インサイドアウト -- 私の使命 [給料袋メッセージ 180]

【インサイドアウト ― 私の使命】

きょうは賞与の支給日にあたり、メッセージを書きました。
父の23回目の命日(7月6日)を前に、今年も父を偲びました。
いろんなことを赦してもらいました。おかげで今があることに感謝です。
[通算 180号]

 

 

 

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社員の皆さん、ご家族の皆さんへ

 

今日は夏季賞与の支給日です。

この時期は先代社長(私の父)の命日である7月6日が近く、つい父のことを振り返って書いてしまいます。

今年も、そうさせてください。

 

父が他界したのは1999年ですから、もう23年になります。
父の命日は経営者としての私のスタートの日。

未経験ながら父の他界とともに3代目を継ぎました。

いま思うとゾッとするほど無知蒙昧でした。

 

■ 会社から目を背けていた私

 

私は父の長男として生を受けました。

会社と自宅が同じ敷地です。誰が見ても私が後継者でした。

 

ところが高校時代に「ペンの力で社会を良くする」という、

若者らしい使命感を抱いてジャーナリズムを志します。

学校を出て実際に新聞記者として働きます。

父は私のわがままをよく許したものでした。

 

父は私に外的コントロールで「会社の後を継げ!」

などと命令することはありませんでした。

 

外的コントロールというのは「選択理論心理学」の用語で、

相手に強い刺激を与えて思考や行為を変えさせる、というものです。

 

批判する

責める

文句を言う

ガミガミいう

脅す

罰する

目先の褒美で釣る

 

という方法です。

 

父は全くそうではありませんでした。

それどころか、新聞記者になるという私の夢を最大限に応援してくれました。

 

■ 願望が貼り替わる

 

思えば不思議なことです。

父は婿養子として坂元家に入っています。

その最大の使命は後継者を作ることだったはずです。

 

父がなぜ私のわがままを許したのか、

いまさらながら聞いてみたくて仕方がありません。

 

父は60歳を過ぎてすぐに重病になります。

すい臓がんでした。余命はいくらもありません。

 

私は反省しました。

あれだけやりたかった新聞記者の仕事でしたが、辞表を書いて大阪に戻ることを決意しています。

 

父の余命を知り、会社の後継ぎとして父を助けることが

私の願望のど真ん中に入ったのでした。
選択理論の言葉でいうと「願望が貼り替わった」ということです。

 

しかし父は翌年に他界。私は未経験のまま3代目社長になったわけです。

 

■ 学びによる経営改革

 

当時の私には目先しか見えていませんでした。

我流経営を10年間続けた結果、リーマンショックで大赤字に瀕します。

会社始まって以来の経営危機でした。

 

私が幸運だったのは、そのタイミングで数々の学びに出会ったことでした。
中でもアチーブメントの学び、

そしてその基礎となっている選択理論に出会ったことは決定的でした。

 

自分自身の考え方を肯定的に変えることで自分の強みにフォーカスし、

営業に恐れが無くなりました。

業績がどんどん良くなり12期連続の黒字です。

 

その結果、財務体質が一変しました。
リーマンショック直後に自己資本5000万円(自己資本率10%)だったのが、

いまは3億5000万円(同65%)に伸びました。
実質無借金、ようやく安定経営の入り口に立ちました。

 

■ 心の平安

 

かつては社内のチームワークが機能せず、バラバラでした。

そんな状況にいら立っていた私は、いわゆるガミガミ社長でした。

 

社員を怒鳴って辞めさせるという、恥ずかしい過去もありました。

私はまさに外的コントローラーでした。

 

そのような行為には当然、天罰が下りました。

慰謝料請求が待っていました。

「変わるべきは自分だ」と痛感しました。

 

選択理論の教えは

「相手を変えることはできない。変えることが出来るのは自分の思考と行為だけ」

というものです。

 

外的コントロールによる関わりは人間関係を破壊します。

批判する、責める、文句を言う、ガミガミいう。いくらそうしても人を変えることはできません。

 

そうでなく人間関係構築の原則に従うように努めました。

 

 

傾聴する

支援する

励ます

尊敬する

信頼する

受容する

意見の違いを交渉する

 

私もまだまだ修行中です。

しかし学んだことを実践し続けた結果、社内は大きく変わりました。

 

いまは社員全員が一丸となって少数精鋭で会社を回してくれています。

チームの一体感は感動的です。

 

経済の安定、良好な人間関係。もたらされたのが心の平安でした。

 

■ 自分の経験を伝える

 

学びを活かして成果が出ると、なんと私を慕ってくれる人が現れ始めました。

とくに印象的だったのが笠野晃一さん(東陽精工株式会社)です。

 

笠野さんは大阪で私と同じ金属加工業、町工場3代目の経営者です。

経営状態は当社の最も厳しかった頃よりもさらにキツイ状況でした。

赤字続き、そして債務超過。

 

笠野さんは私の書くメッセージをFacebookで見てアチーブメントの学びに興味を持ち、

そして受講しました。そして誰よりも熱心に学び続けました。

 

私も相当打ち込んだつもりでしたが、彼には及びません。

それほど「会社を立て直したい」という思いは切羽詰まっていたのでした。

 

3年間必死に学んだ結果は2期連続の最高益達成、債務超過の解消、そして2年間の離職ゼロ。

まさに快進撃でした。

 

笠野さんの成功を目の当たりにして、満たされたのは私でした。

私が自社を良くしたいと思ってやってきたことが、人さまの見通しになる。

人助けになる。

 

「自分が豊かになるのは通過点、周りを豊かにし続けることが使命」
アチーブメントの青木仁志先生の言葉が腑に落ちました。

 

■ 大廃業時代

 

いま日本の中小企業は後継者問題が深刻です。

「大廃業時代」と言われます。

 

経営者が高齢化し、2025年には経営者が70歳以上の会社は245万社(64%)。

そのうちの半数(127万社)は後継者が未定ということです。

日本企業の3社に1社が後継者不在です。

 

企業が廃業すれば経済基盤が失われ、雇用も守られません。

これは国家的問題と言われています。

 

日本の中小企業はオーナー経営、同族経営が多い。

しかし子供たちが会社を継ぐことを選択しなくなっているのです。

 

なぜか?

 

問題は2つ、経済と人間関係だと思います。

 

■ 会社を「金のなる木」に

 

日本経済はバブル崩壊後の長期低迷で、中小企業経営が困難になりました。

高度経済成長の時代と違い、なかなか儲からなくなったのです。

 

親は「継がせたくない」と考え、子供も「継ぎたくない」と思う。

経営状態の悪い会社を継がせることはできず、継ぎたいとも思わない。

 

しかし経営には原理原則があり、それを学んで活かせば業績は必ず良くなります。

 

会社を「金のなる木」にすればいい。

子供たちは継ぎたくなります。

それは不可能ではありません。

すると事業承継問題の半分は解決するでしょう。

 

■ 「親子関係」という問題

 

これまでに多くの中小企業経営者と出会ってきましたが、

親子関係がこじれた例をいくつも見ました。

 

オーナー企業、同族企業は日本の中小企業の8割を占めます。

「幸せな事業承継」がスムーズに行われることがどれほど大切なことでしょうか。

 

ここで、やはり私の父のことを思います。

 

「会社を継がない、新聞記者になる」と言い放っていた私に対して、

父は外的コントロールを使うことはありませんでした。

 

「こんな小さな会社でも、社員の家族を入れたら50人が飯を食っている」

そう語り、企業経営の責任、その理念を伝えてくれました。

 

父は選択理論を学んだわけではないのに、とても選択理論的なかかわりでした。

親子なのに、私は恥ずかしい限りです。

 

おかげで私たちの親子関係は極めて良好でした。

私は父を心から尊敬し、そして内発的に動機づけされて3代目を継いでいます。

選択理論を学んだからこそ知った父の思いです。

 

オーナー経営者が極めて多い日本の事業承継に選択理論の教えが大きな役割を果たすのではないか、そう思います。

 

■ インサイドアウト ―― 私の使命 

 

若き日の私は「ペンの力で社会を良くしたい」という志を抱いて新聞記者を目指しました。

そして一時は、会社を継がないという選択すらしました。

 

52歳になったいま、当時を反省しています。

若き日の私は「インサイドアウト」の考え方が分かっていませんでした。

 

インサイドアウトとは、自分、家族、社員(会社)、業界、世の中と、

「自分の最も身近な人から大切にしていく」という考え方です。

 

大きな円の中心に自分がいて、その外側に向かって

家族、社員、業界、日本、世界と、輪が広がっていくイメージです。

 

これを全く理解していなかった20代の私は、

自分や家族(そして会社)をおろそかにして「世の中を良くしたい」と考えていました。

 

たしかに志はありましたが、本末転倒でした。

身近な人を幸せにできずして、遠くの人を幸せにできるはずがない。

 

自分から始まって内側から良くしていくことで、最終的に社会全体を良くしていく。

自分を確立し、家族と社員を満たし、そして縁ある人を幸福に導くお手伝いをさせていただく。

 

そういう生き方こそがまっとうな道でした。

回り道をしましたが、ようやく理解しつつあります。

 

若き日に新聞記者を志したときと手段は違いますが、

ペンの道ではなく会社経営を通じて縁ある人に幸せを感じていただく努力をする。

それをもって社会に貢献する。

 

方法は違っても、使命は同じです。
父の23回目の命日を前に、あらためて父に感謝します。

 

 

 

 

2022年7月1日
坂元鋼材株式会社 代表取締役 坂元正三

 

 

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