経営者は社員に食べさせてもらっている [給料袋メッセージ 175]

【経営者は社員に食べさせてもらっている】

 

きょうは25日、給料袋のメッセージを書きました。

日々の実務を社員の皆さんが担ってくれているおかげで、

未来をつくる時間をいただいています。

感謝です。

[通算175号]

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社員の皆さん、ご家族の皆さんへ

 

今月は私がコロナ陽性で10日間の自宅待機になりました。

症状は軽く、37度くらいの微熱とノドの違和感のみでした。

ご心配をおかけいたしました。

 

毎朝、朝礼をZoomでつないでいただきました。

 

日中は自室のパソコン前にいましたが、会社からの連絡はほとんどなし。
毎日夕方に売上と利益の報告が上がってくるだけ。

 

ぜいたくでゆっくりとした時間をいただきました。

 

■ 目先に追われた30代

 

この数年間は会社の実務をほぼ社員の皆さんにお願いしてきました。

だから10日間留守にしても何の問題もなかったのですが、

これは以前なら到底考えられなかったことです。

 

23年前、私が30歳の時に先代社長が急逝し、あわただしく3代目を継ぎました。

 

社長と言っても入社1年目です。

昼は現場で鉄板を切り、夜は事務所で伝票整理。

土曜も日曜も実務処理が続きました。

 

やがて、のちに工場長となるA君が入社してからは

私が現場で鉄板を切ることは無くなりました。

しかし事務所で朝から晩まで電卓を叩く日々です。

 

平日に会社を留守にすることはありません。

新婚旅行も年末年始に行きました。

 

30代半ば頃のこと。

どうしても外せない義理で九州にお葬式に行ったときは、電卓持参でした。

旅先で、しかもお葬式の合間にも見積りを計算し、

携帯電話で事務所とやり取りしていました。

まさに時間貧乏。

 

経営者が現場の実務しかしていない、極めて危ない会社でした。

 

■ 自己変革の40代

 

そうです。私には目先のことしか見えていなかった。

外部環境の変化に気づかず、自社をどう動かせばいいのかもわからない。

いや、わからないことすらわからない。

 

そこへ襲い掛かったのがリーマンショック。

13年前、40歳の時に大赤字に瀕したのは当然の結果でした。

 

しかし、それが転機でした。

40歳から始めた経営の学びがきっかけで私は会社を少しずつ留守にし始めました。

 

最大のチャレンジが中小企業家同友会の訪中団でした。

会社を1週間も空けるのです。

私の抱えていた仕事をマニュアル化し、留守中の手順を皆さんにお願いして出発しました。

 

躍進著しい中国経済を経営者仲間とともに直に見る最高の旅行でした。

行かせていただき、心から感謝しました。

 

その訪中団の帰路のこと、飛行機で隣になった先輩経営者の言葉に衝撃を受けました。

 

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「社員のできる仕事を社長がやったらアカン。

それは社員がやる。すると社員が成長する。

社長は社長にしかできひん(出来ない)仕事をせなアカン」

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ガーンと頭を殴られた思いでした。

 

■ 緊急ではないが重要な仕事

 

この「社長にしかできひん仕事」が、

タイムマネジメントで言う「緊急ではないが重要なこと」、

いわゆる第2象限です。

 

  第1象限:緊急かつ重要なこと
★ 第2象限:緊急ではないが重要なこと
  第3象限:緊急であるが重要でないこと
  第4象限:緊急でも重要でもないこと

 

この第2象限がすっかり抜けていたのが当社でした。

理念もなければ計画も何もなく、行き当たりばったり。

その結果、大赤字で右往左往したのでした。

 

・ 経営理念の策定、経営計画づくり
・ 新規開拓営業・ 社員の採用と育成
・ 社風を良くする様々な施策

 

すべてが必ずしも「社長にしかできひん」わけではありませんが、

経営者が優先して取り組むべき仕事です。

 

重要だけれども緊急ではないので、しなくても毎日は過ぎていく。

しかし、これらをする会社としない会社では1年後、3年後、5年後の未来がどれほど違うか。

それは30歳からの10年間まったく無為無策だった私の失敗体験から明らかでした。

 

「無計画は失敗を計画すること」
(アチーブメント青木仁志社長)

 

まさにこの格言通りです。

 

 

 

 

 

 

 

■ 社員の皆さんに助けられる

 

40歳から始めた経営の学びのために3日単位で会社を留守にするのが頻繁になりました。

 

つれて、私の日々の実務も徐々に減りました。

 

若手社員がCADや営業事務を支え、

 

そしてCADチームの中心だったBさんが私の営業実務を引き取ってくれました。

 

Bさんに私のデスクを明け渡したのが45歳ごろ(7年前)。

それからは私が伝票を計算することはほとんど無くなりました。

 

新規開拓営業も、かつては私が1軒ずつ訪問して、まさに足で稼いでいました。

いまはWEB集客システムを構築し、それもBさんが前面に立ってくれています。

 

1軒ずつの訪問はC君が私に代わってやってくれています。

 

現場は工場長のA君が取り仕切り、ベテランのDさんがしっかりと支え、

中堅や若手が育ちました。

工場のすべてのマシンを扱えるA君を手本に、

みんなが第2、第3の専門分野を勉強してくれています。

これも会社にとって大事な第2象限です。

 

コロナがらみで社員の出社が難しくなっても、

代役が何重にも控える丈夫な組織になりました。

ありがたいことです。

 

■ 経営者は社員に食べさせてもらっている

 

コロナで自宅待機していた10日間は、

買い込んでいた経営書を読んだりセミナーDVDを視聴したり。

ゆとりある充実の時間をいただきました。

 

会社では毎日社員の皆さんが一生懸命に働いてくれています。

 

「悪いな」と思わずにはいられない贅沢な時間でした。
思い出したのが「日本で一番大切にしたい会社」の著者・坂本光司教授がセミナーで語られた言葉です。

 

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経営者は現場に「食べさせてもらっている」とも言えます。

現場の日常的な仕事が付加価値を生み、それが利益になるのですから。

 

だから経営者はもっと現場に愛情を込めてほしい。

「何か困ったことはないか」と聞いて回って、問題を解決していくこと。

 

社長の仕事の一つに

「社員一人ひとりにどれだけ時間を捧げるか」があると思います。

 

経営者の仕事はそんなにたくさんはありません。

3つだと私は考えています。

 

 

まず「方向を明示する」
次に「決断する」
そして「よい職場環境を準備する」

 

 

すなわち、モチベーションを高めることです。

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この言葉を読み返して、反省します。

 

これほど社員の皆さんに助けてもらっていて、私は皆さんにきっちりと時間を使っているだろうか。

 

「経営者の3つの仕事」を果たせているだろうか。

 

社長のやるべき仕事をあらためて肝に銘じます。

 

■ 最高業績の70期

 

我流経営だった30代の10年間は無為無策でした。

景気が良ければ黒字、不況になれば途端に大赤字。

しかし、経営を学んで会社に活かした40歳以降は「別の会社」になった気がします。

 

12年連続の黒字で、今期(第70期)は過去最高益で終わることが出来そうです。

 

財務体質が良くなり、自己資本比率10%だったのがこの3年間は55-70%で推移。

実質無借金(借入金は手持ち現金の範囲内)で、経営にゆとりが生まれました。

社員が定着し、過去8年間の離職は実質ゼロ。

 

これらは、かつて私が目先のことに追われて机にしがみついていた時代では到底成し遂げられなかったものです。

 

人は一人ではしょせん1馬力。

多くの人の力を合わせて初めて多馬力になる。

 

これからも少数精鋭、高収益、良好な人間関係の職場を作り続けます。
皆さんが一致団結してくださっていることに心から感謝します。

 

ありがとうございます。

 

2022年3月25日
坂元鋼材株式会社 代表取締役 坂元正三

 

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