自己資本という防潮堤 [給料袋メッセージ 124]

【自己資本という防潮堤】
きょうは25日。給料袋のメッセージを書きました。今月4日に関西を襲った台風21号の被害を振り返りました。
(通算124号)

 

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社員の皆さん、ご家族の皆さんへ

 

いつも社業への貢献、ありがとうございます。今月は何といっても台風二十一号のことから話さねばなりません。会社でご家庭の様子もお聞きしましたが、大丈夫でしたでしょうか。

 

会社も少々の被害を受けました。飛来物と大風により工場の屋根が破損し、高いところにある窓ガラスにもヒビが入りました。

 

私はその日は研修アシスタントのためビルの一室にこもり切りで様子が分からず。夜になって外に出て驚きました。

 

道路の木々がなぎ倒され、信号機がゆがみ、大きな看板が落っこちています。会社の近くに来ると、九条南四丁目方面は停電で真っ暗。会社の前の道も街灯が消えています。工場屋根のテント部分がめくれて無残な姿でした。

 

幸いにも停電は免れたので翌日からの業務に大きな支障はなかったのですが、屋根の修理には期間を要しそうです。応急処置のために社員の皆さんががんばってくれて、本当に助かりました。高所に上ってもらうなど危険な作業でした。無事に処置していただけたこと、あらためて感謝します。

 

台風からいろんなことを考えさせられました。
気象予報では二十五年ぶりの大型台風と言われており、JRが前日のうちから早々と台風当日の運休を決めるなど素早い動きでした。これらを受けて鉄鋼業界の同業他社でも当日朝からの休業を決めた会社が多くありました。短納期が売りの当社としては、当日の納期をお約束しているお客様に対してどうするか、悩みました。

 

結論として、最も忙しい午前中(早め)のみの営業とし、台風接近が予想される正午までには社員全員が帰宅しているように、という中途半端な選択となりました。結果として事なきをえましたが、「もし交通機関が混乱しておれば帰れない社員が出たかも」と考えると、今回の私の判断が正しかったとは言えません。お客様の利便性とのはざまで悩んだのですが、これほどの被害をもたらす大型台風であれば、朝から休業する選択が正解でした。この点、いまさらですが反省しています。

 

台風は「まさか」を痛感させてくれました。以前にお話したエピソードです。防災アドバイザーとしてテレビでもおなじみの山村武彦氏の講演を二年ほど前に聞きました。冒頭、「皆さんのなかで三十年以内に大地震が来ると思う方は手を挙げてください」と山村氏。会場のほとんどの人が挙手します。続けて「では、その大地震が今夜来る、と思う人はそのまま手を挙げ続けてください」

 

結果はお分かりと思います。ほとんどの人が手を下ろします。「まさか今日ではないだろう」――そう考えてしまうのが人間というもの。ここに判断ミスが生じるということです。

 

この講演を聞いた直後に「会社でも防災グッズを用意する!」と意気込んでいたものの、結局は 用意しておらず。いままた反省しています。

 

会社の位置する九条一帯は湾岸エリアに近く、過去に台風で浸水しています(一九五〇年のジェーン台風)。当時小学校六年生だった母の記憶によると、ひざ上まで水に浸かったようです。その前年に焼け野原の大阪に舞い戻って商売を再開させた祖父母でしたが、台風のパンチでさらなる困難に直面したことになります。井戸が使えなくなり、これをきっかけに水道を引いたそうです。創業者の苦労がしのばれます。

 

大阪は南海トラフ大地震による津波も警戒されています。大阪市は上町台地から西側はもともと海です。だから船場とか難波とか浪速とか、そんな地名があふれています。波除、夕凪、磯路など、九条の西側にある港区にはそれらしい地名がたくさん。

 

港区の市岡高校に通っていた姉によると、職員室が二階にあったのですが、それは過去の台風被害でいろんな資料が散逸した反省によるものらしい。そういえば私が通った九条北小学校も西中学校も職員室は二階、または三階でした。真相は定かではないものの、いかにも、という話です(高校は上町台地にあったからか、職員室は一階でした)。

 

今回の台風でも、もし潮位の高い時間帯に台風が直撃していれば被害はさらにひどかったと指摘する方がおられます。湾岸エリアの倉庫では材料の潮濡れ被害があったようです。

 

「もし」を考えてみます。ひざ上くらいの高潮でも在庫の鉄板は錆びて売り物にならなくなります。しかし津波の場合、大津波なら事務所ビルの四階、または第三工場の上(食堂)への避難が必要です。高さ約十メートルです。東北を襲った津波の規模ならばこれでも危ういかもしれませんが。とにかく人命が一番です。

 

その場合、レーザー加工機など工場の設備は当然、ダメになります。在庫の鉄板も同様。これが想定される最悪の被害です。そのときの金銭的損失はいくらになるでしょうか。在庫、機械設備、工場建屋、事務機器まで入れると数億円には当然なります。それでも会社が持ちこたえれるかどうか。損害保険にも入っていますが、あらゆる状況をカバーするほどの保険ではありません。支払う保険料とのバランスを考えると、加入する合理的なラインを定めざるを得ません。

 

そうすると大事なのが「自分のカネ」。すなわち自己資本(内部留保)であると、やはり考えます。私がつねに経営目標に置いている「社員一人当たりの自己資本」は、この最悪の局面を想定してセットした目標です。

 

「社員一人当たりの自己資本が一千万円あれば、地震や津波、リーマンショックなどで仮に売り上げがゼロでも、二年間は社員に給料を払える。その間に会社を立て直せる」。これが故・木村勝男会長からBS経営塾で示唆された考え方でした。

 

その重要性に気づいた二〇一一年当時、当社のその数値は一人当たり四百万円ほどでした。リーマンショック前には一千万円あったのですが、大赤字で自己資本を大きく減らしていました。

 

これでは心もとない、そう気づいたとき私は本気スイッチが入りました。何としても、まずは一千万円を回復させるのだ。

 

そしてその四年後に一千万円を回復。その後も順調に利益を重ねて、いまは二千万円が目前です。単純に考えて、大津波が来ても四年間は大丈夫な数字です。

 

この数字を伸ばし続けることが、当社にとっての最重要の経営指標です。会社を大きくする(社員数を増やす)にしても、自己資本のたまり具合とのバランスをみながら進めます。この会社で働いてよかった、どんな事態になっても安心して働けると思っていただけること、そういう大きな大きな目的にかなった目標です。

 

「地獄の沙汰もカネ次第」ではありませんが、いざという時に持つべきものを持っていなければ、守るべきものを守れない。自然災害を目にした今だからこそ、それを痛切に思います。

 

皆さんの日々の誠実な業務が、自己資本という防潮堤を高く高く積んでくれています。ありがとうございます。

 

二〇一八年九月二十五日
坂元鋼材株式会社  代表取締役 坂元正三