天職としての商売 --武市雅男会長、ありがとうございました [給料袋メッセージ 31]

天職としての商売 -- 武市雅男会長、ありがとうございました。

[給料袋メッセージ 31]

 

当社がプラズマ加工機(ツイスター)を導入する際に大変お世話になった武市商会の武市会長がご逝去されました。

まさに生粋の商売人、それも「相手を勝たせて自分も勝つ」というビジネスの王道を歩まれた武市会長。

今の当社があるのは、あのときにプラズマ加工機を導入したからであり、その意味でもわが社の恩人です。

そして、武市会長からは商売の醍醐味、仕事に向かう姿勢など、人生にとって大事なことをいくつも教わりました。

 

必死に働いて駆け抜けられた69年のご生涯でした。

ありがとうございました。

 

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社員の皆さんへ

 

5月26日、株式会社武市商会の武市雅男会長がご逝去されました(享年69歳)。

 

武市会長に初めてお会いしたのは2000年の春。私30歳、武市会長(当時社長)57歳。

前年に私の父である先代社長が亡くなり、私がまだ駆け出しで悪戦苦闘している頃でした。

 

武市会長はあの大きな体を少しかがめながらの、あの独特の姿勢で突然に事務所に入ってくるなり

開口一番 「ツイスターって知ってますか!」

 

当時の我が社はガス熔断だけで、「いずれはレーザーを導入したい」という夢を見ていました。

高精度のレーザー加工機は、わたしたち溶断工場にとっては夢の設備です。

 

しかし、いきなり当社に飛び込んでこられた武市会長はレーザーではなく、

このプラズマ方式の加工機(ツイスター)が如何に革命的なものかと力説しました。

 

そして 「まあ一緒に来はなれ」 と私を車に乗せました。

向かった先は既にツイスターを入れている大正区の熔断会社。

 

初めて見るツイスター加工機。

レーザーには及ばないものの非常にキレイな切り口。

何よりも切断スピードの速いこと。

それまでガス方式とレーザー方式しか知らなかった私には衝撃でした。

 

しかし即決はできません。

当時のツイスターは大量に発生する粉塵の処理技術がまだまだ不十分で、切断テーブルのサイズも小さかった(5尺×10尺=1・5㍍×3メートル)。

私は 「これらが改善されねば買えない」 と言いました。

 

その後も武市会長は何度も我が社を訪れます。

それは非常に熱心で、執念すら感じさせるほどでした。

 

あの押し出しの強い姿勢で何度も何度も来られる武市会長。

私も時には感情的になってしまい、

「ツイスターは絶対に買わない。レーザーを検討する!」と断言したほどでした。

 

しかしそれから2年後になる2002年の春の日。

武市会長が満面の笑みで来られました。

 

「お約束の粉塵処理とテーブルサイズが解決しました」。

確かに新型ツイスターは、粉塵対策が大幅に改善し、サイズも2㍍×6㍍。

私の出していた条件をすべてクリアした新型が世に出たのです。

いよいよ決断に迫られました。

 

ツイスターの素晴らしさはわかったものの投資金額は5000万円。

迷いに迷いました。

まだ赤字基調だった我が社にとっては社運を賭した決断でした。

最後は、えいっ、や!

 

2002年8月、いよいよツイスター導入。その後の結果は皆さんご存知の通り。

切断速度の速さ、切断品質の確かさでツイスターは大活躍し、我が社の業績はみるみる良くなりました。

「買ってよかった」と心底から思いました。

 

その翌年のこと。

「ツイスター2台目はどないですか」と武市会長。

 

とんでもない。

確かにツイスターは大成功したものの、2台目を買う余裕などない。

なによりも置く場所がない。

 

すると武市会長は我が社の隣にある他社の古い倉庫を指して

「あれがありますがな。わしが買えるようにしてあげまっさ」――。

 

それから武市会長は懇意の不動産業者を使い、その倉庫の所有者(遺産相続で持っていた方)を探し出しました。

そして再三再四にわたっての交渉を粘り強くしてくれました。

 

その結果2004年秋、ついに隣地の購入に至ったわけです。

そこに新工場を建て、ツイスター2台目ならぬレーザーを導入することとなりました。

 

2台目をツイスターにしなかったのは、レーザーにこだわった私の意図を武市会長が汲み取ってくれたためです。

レーザーでは世界最高峰のトルンプ(ドイツ)を紹介してくれました。

だから今の我が社に第3工場とレーザーがあるのは武市会長のおかげです。

「武市雅男会長なしに今の坂元鋼材はない」 と言えます。

 

武市会長はコマツ製ツイスターの普及に情熱を燃やし、ツイスター販売で日本一を成し遂げられました。

そんな武市会長はしばしば 「坂元さんが買ってくれたことが原点」 と言ってくださいました。

 

そんなことはありません。過分なお言葉です。

大きなお体に似合わぬ低姿勢。

親子ほど歳の離れた若輩の私に対しても終始、謙虚すぎるほど謙虚に接してくださいました。

申し訳ないほどです。

 

あるときのこと。

 

私は会社の売り上げに限界を感じ、営業の難しさに弱音を吐きました。

営業のプロである武市会長に、どうしたらいいのか聞きました。

 

すると、武市会長は 「わしのように飛び込みなはれ」 とハッパです。

なるほど武市会長は、「ここぞ」 という会社には飛び込み、執念を持って営業し、そして成約に結びつけます。

相手にとって必要と判断するや、相手がいくら断わっても粘りに粘ります。

 

皆さんご存知のように私はいま新規顧客の開拓に注力しています。

我が社の商品が役立つ会社を探し出し、狙いを定めて売っています。

それは実は、武市会長から学んだ姿勢なのです。武市会長が原点です。

 

何のツテもない新規のお客さんの扉を叩くことは、いつも緊張が付きまといます。

そんな時、私は武市会長を思い出します。

「飛び込みなはれ」。

そんな武市会長の大きな体と柔らかな笑顔を思い出し、勇気をもらいます。

 

積極果敢、しかしとことん謙虚。大胆かつ緻密。

相手を研究して最善を尽くし、自らの商材を世の中に役立てる。

相手にとって必要と信じれば、いくら断られてもとことん説得して売る姿勢。

その営業スピリッツのすさまじさ。

これこそが本当の商売であると武市会長から学びました。

 

数年前に武市会長が社長職をご子息に譲られた時の挨拶状に 「天職としての商売」 と書いてありました。

仕事を生きがいにして人生を駆け抜けた武市会長。

そのご姿勢を脳裏に焼き付け、私もこれからの商売人生に生かします。

 

再来月の8月、ツイスター導入からちょうど10年目にして新型のツイスターに入れ替えます。

天上から祝ってくださることを信じて、私もこれからの商売に励みます。

 

武市会長、ほんとうに、ありがとうございました。ごゆっくりとお休みください。

 

2012年6月25日

坂元鋼材株式会社 代表取締役 坂元正三

 

▼ 2006年11月 私の結婚式に出席してくれた武市会長