「それでええやんか!」 千房・中井政嗣社長の講演を聴く

【それでええやんか!】

 

お好み焼き・千房の中井政嗣社長の講演を聴きました。7年ぶり3度目。相変わらず精力的で感動的な一代記、そして中井氏が力を入れている元受刑者の雇用のお話でした。前回お聴きしたのが7年前のなにわあきんど塾の最終講義でした。中井社長、多少お歳を召されたようでしたが、それでも触れればヤケドしそうなほどの熱さでした。

 

思えば7年前に中井社長から教えられて始めた月給袋のメッセージ。お話を聞いた翌々月(2010年4月)から始め、今月で103号を数えました。
「おかげさまで業績も上がり、会社も良くなりました」とご報告しました。
中井社長、喜んでくれました!
中井社長の給料袋メッセージは毛筆。30年以上続き、今月で363号でした。

 

良いことは続けなさい。
嘘でもいいからやってみる。
続けると本物になる。
本物は続く。
その言葉を励みにやってきました。
これからも、続けます。
中井社長、ありがとうございました!

 


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※ 7年前に聴いた中井社長の一代記(人生論)でしたが、今回はその後さらに熱心に取り組まれた「元受刑者」の雇用についても話されました。

 

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【元受刑者の雇用】
・人が来なかった。猫の手も借りたい。猫以上なら雇った。非行少年、元受刑者も。一流企業に行く人と比べたらアカン、比べず、焦らず、あきらめず。彼らとともに私も育ってきた。共育。

 

・飲食業、学歴や学業成績は問われないが人間性は徹底的に問われる。育てているつもりが、逆にたくさんのことを学ばせられた。

 


・9年前、法務省から受刑者の就労の依頼が来た。いま大卒も入るような会社になったし、敢えてそういう人を採用しなくてもいいようになった。でも、元受刑者を採用して立派に店長や幹部になっている実績を知った法務省から依頼された。刑務所を視察した。沸々と「もう一回そういったことをやってみたい」と思った。あの頃は活気に満ち溢れていた。いまは可もなく不可もなく。あの当時の活気はどこに行ったのか。もう一回やってみたい。

 

・奈良の実家に帰ると、兄、姉、妹、弟はみな成績がいい。「出来の悪い子供ほどかわいい」と言うけど、それは嘘や。私は放ったらかしやった。「おかちゃん(お母ちゃん)、俺こうなると考えられたか?」と聞いたら「まさかと思った」と言った。可愛がって育てた母親ですら分からない。人間て無限の力、無限の可能性を持っている。いろんな人に目を掛けられた、育てられた、支えられた、だから今の自分がある。
・幹部に話したら賛否両論。「お客さん商売、怖がられたらアカン」

 

・経済とは経世済民。人を助けること。経営はお経を営むこと。金儲けとは一言も書いていない。経営も人の教育も、マラソンでなくて駅伝。自分らも人に育てられた、今度は人を育てる。

 

・刑務所で採用募集が始まった。応募者が13名いた。男子2名、女子2名の面接。一人90分面接した。アカン。情が移る、断れなくなる。4人とも泣かされました。すべて家庭崩壊。「こんな女に誰がした」という歌があるが、こんな人間に誰がしたのよ。100%罪をとがめることが出来なかった。

 

・鈴木秀子「縁を生かす」の話。
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(この記事のラストに引用します。)

 

・成功している人は、「いい人と出会った」「運がよかった」と言う。運は一人、でも縁はお互い。運のいい人は縁を大事にしている。人の縁を大事にすると運が向いてくる。

 

・現在まで26名の元受刑者を雇用してきた。それをオープンにした。でもほかの企業は(受刑者を採用したことを)伏せている。受刑者の受け皿は社会。社会の偏見を少しでも緩和できたら、と。それでオープンにした。

 

・採用できなかった二人に言った「仮出所したら訪ねていらっしゃい」と。「千房で採用された二人がうらやましい」と言われた。千房はオープンにしてくれているから。私たちは隠している、おどおどしている、と。

 

・過去は変えられない。自分と未来は変えられる、その気があればチャンスを与えたい。協力雇用主は全部中小企業、しかもオーナー企業だけ。反省は一人で出来ても更生は一人では出来ない。

 

・もず昌平が受刑者を応援する歌を作りたいと、刑務所にも行った。「一厘のブルース

」。鳥羽一郎が歌った。無償で慰問にも行った。受刑者が泣いた。

 

「一厘のブルース」
作詞:もず昌平
作曲:島根良太郎

 

ドブに落ちたら面(つら)を出せ
面を出したら這い上がれ
九分九厘 後がなくっても
引いて残った一厘に
懸けてみせろよ男なら

 

とるに足らない花にさえ
春は残っているものさ
九分九厘 駄目と云われても
引いて残った一厘で
地べた押し上げ芽を出しな

 

陰で支える人がいる
泪こらえる親もいる
九分九厘 夢をなくしても
引いて残った一厘で
人の情けに応えろよ

 

・「職親プロジェクト」。親が子供に望んでいるのはたった一つ、自立。着の身着のままの出所を出迎える、身元保証も。衣服も用意する。冬に入って夏に出てくるのはいいが、夏に入って冬に出て来ると、いっぱい衣服がいる。衣食住とりそろえて迎えた。それが25名になった。いま7名が在勤している。飛んで行ったものも、転職していった者も。

 

・受刑者の一人の経費、年間250ー300万かかる。出所後5年以内に再犯で戻ってくるのが約半分。そのうち7割が無職。就労支援が如何に急がれるか。法務大臣に会いに行った。民間企業の好意にすがっている場合ではない。出所してちゃんと働くと税金を使ってきた者が納税者に変わる。上下大きい。

 

・101匹目のサルの話。元受刑者の採用が当たり前の世の中に。ただし被害者のことを忘れずに罪を償ってほしい。真面目に働くこと。

 

 

 

【中井社長の読み上げたお話】

 

 

縁を生かす

                                      鈴木秀子

 先生が5年生の担任になった時、一人服装が不潔でだらしなく、どうしても好きになれない少年がいた。中間記録に先生は少年の悪いところばかりを記入するようになっていた。
 ある時、少年の一年生の記録が目にとまった。
「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。勉強も良く出来、将来が楽しみ」とある。間違いだ。他の子の記録に違いない。先生はそう思った。
 二年生になると「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」と書かれていた。三年生では「母親の病気が悪くなり疲れていて、教室で居眠りする」。後半の記録には「母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる」とあり、四年生になると「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、子供に暴力を振るう」
 先生の胸に激しい痛みが走った。ダメと決め付けていた子が突然、悲しみを生き抜いている生身の人間として、自分の前に立ち現れてきたのだ。
 放課後、先生は少年に声をかけた。「先生は夕方まで教室で仕事をするから、あなたも勉強していかない?分からないところは教えてあげるから」。少年は初めて笑顔をみせた。
 それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。授業で、少年が初めて手を上げたとき、先生に大きな喜びが沸き起こった。少年は自信を持ち始めていた。
 クリスマスの午後だった。少年が小さな包みを先生の胸に押し付けてきた。後であけてみると、香水の瓶だった。亡くなったお母さんが使っていた物にちがいない。先生はその一滴をつけ、夕暮れに少年の家を訪ねた。
 雑然とした部屋で独り本を読んでいた少年は、気がつくと飛んできて、先生の胸に顔を埋めて叫んだ。「ああ、お母さんの匂い!今日は素敵なクリスマスだ」
 六年生では少年の担任ではなくなった。卒業の時、先生に少年から一枚のカードが届いた。「先生は僕のお母さんのようです。そして今まで出会った中で一番素晴しい先生でした」
それから六年、またカードが届いた。
 「明日は高校の卒業式です。僕は五年生で先生に担当してもらって、とても幸せでした。おかげで奨学金をもらって医学部に進学することが出来ます」
 十年を経て、またカードがきた。そこには先生に出会えた事への感謝と父親に叩かれた体験があるから患者の痛みが分かる医者になれると記され、こう締めくくられていた。
 「僕はよく五年生のときの先生を思い出します。あのまま駄目になってしまう僕を救って下さった先生を神様のように感じます。医者になった僕にとって最高の先生は五年生の時に担任して下さった先生です」
 そして一年。届いたカードは結婚式の招待状だった。「母の席に座って下さい」と一行、書きそえられていた。