娘が教えてくれること [給料袋メッセージ109]

【娘が教えてくれること】

きょうは25日。給料袋のメッセージを書きました。
日ごろの仕事を通じて、大げさですが「人間とは何か」を学ぶ気がします。幼い娘からも、ハッと教えられる毎日です。
(通算109号)

 

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社員の皆さん、ご家族の皆さんへ

 

これまで何度か書いたCAD班と「ミスへの対処」の話の続きです。

 

CAD班は毎日毎日、複雑な図面とにらめっこ。しかし、その図面が不鮮明だったり、お客さんの指示があいまいだったりと、落とし穴がいくつもあります。そしてミスが出たときに報告に来てくれます。

 

最近の実例では「360度の32等分」です。図面にそう書かれていながら、かつ「11.5度」とも図形にハッキリと記入されています。正解は11.25度ですが、つい引っ掛かってもおかしくない落とし穴です。電卓で計算してみて図面の矛盾(お客さんの指示ミス)に気づいて指摘できればベストなのですが、なかなか難しいもの。

 

しかし「私たちが気づけたかもしれませんでした」との一言がCAD班から。これは嬉しい言葉でした。

「お客さんの図面が悪いんです」と片づけることも、あるいは出来たかもしれません。しかしそうでなく「自分たちで防げたかも」という悔恨の情。

 

もし私がCAD担当だったら素直にそう口に出来たかどうか、100%の自信はありません。嬉しい一言でした。

 

こうしたときに必ず思い出すのが、私がよく話題にする小学生の作文「うちの家はみんなが悪い」です。

 

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きょう私が学校から帰ると、お母さんが「お兄ちゃんの机を拭いていて金魚鉢を落として割ってしまった。もっと気を付ければよかったのに、お母さんが悪かった」と言いました。するとお兄ちゃんは「僕が端っこに置いておいたから、僕が悪かった」って言いました。でも私は思い出しました。きのうお兄ちゃんが端っこに置いたとき、私は「危ないな」って思ったのにそれを言わなかったから、私が悪かったと言いました。
夜、帰ってきてそれを聞いていたお父さんは「いや、お父さんが金魚鉢を買うとき、丸い方でなく四角い方にすれば良かったなあ。お父さんが悪かった」と言いました。そしてみんなが笑いました。うちはいつもこうなんです。うちはいつもみんなが悪いのです。
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何度読んでも感動的です。うちもこんな家族だったらいいな。

 

しかし、先日6歳になったばかりの娘の晴花(はるか)がこれと正反対のことを言ったエピソードは、かつてご紹介しました。
居間で走り回っていた娘がテーブルのお茶をひっくり返してしまい、一言。「こんなところにお茶を置くからや!」
私も私で大人げなく「なんや、その言い方は。走り回るからやろ!」と大きな声を。
「ギャー!」と娘。なんと情けない我が家――

 

一方、この作文の家族がなぜ感動的なのか。7月の社内研修でその理由の一つが見つかりました。「現実にここまで美しい話はなかなかない」からでもありますが、さらにその奥にある論理が見えてきました。それが研修で学んだ「責任と被害者」という話です。

 

人は責任の追及から逃れるために「被害者」を演じがち。仕方が無かった、自分のせいではない、と周囲へ責任を転嫁するもの。しかし、そこに成長や改善はない。逆に「自分にも責任の一端があったのかもしれない」と考えることが出来れば、改善や最善に向けた取り組みが出来るようになる。しかし人は往々にして自分を被害者の立場に置いてしまい、なかなか責任を取りたがらない、という話です。

 

では、なぜ人は被害者を演じがちなのか。その遠因は子供時代にまでさかのぼるということです。子供の頃、私たちは物事がうまくいかなかったとき、それを誰か他の人や物のせいにすることによって、両親など大人たちの怒りや叱責を避けてきた。それは非力な立場である子供が、圧倒的に強大な存在たる大人の支配下で生き残るための「戦略」であった――。

そんな話でした。

 

だからこそ「自分の責任です」「私が悪かった」と潔く言えることがいかに尊いか、この作文の家族がなぜ感動的なのか、ここに理由の一つを見ます。私たちは大人になってからでも、自ら律しなければ「被害者」を演じがちなもの。それは子供の頃から身についた習慣(生き残る術)だから。

 

この「被害者を演じる子供」ということでは、娘の晴花がまた実例をくれました。数カ月前のこと。私は休日によく簡単な手料理を作るのですが、熱湯がグラグラしている鍋を手にしているときに晴花が足にまとわりついてきました。「危ないから、あっちへ行け!」と何度注意しても、逆に面白がってじゃれついてきます。あまりにしつこいので、つい足で振り払ってしまいました。すると、ワーンと泣き出して母親に言いつけました。

 

「晴花、なんにも悪いことしてないのに、パパがキックしてきた!」

 

もう笑うしかありません。「●●してきた」という表現自体が被害者そのもの。ちょうどこの「被害者」の話を学んだ頃だったので、おかしいのなんの。これぞ私たちの原初の姿なんだな、と深く感動しました。

 

私たちは最初はみんな晴花のような子供。それが長じるにつれて様々な経験をし、学び、反省し、そして責任を取る態度を身につけてゆく。それが成長であり「大人になること」なんだと思います。

 

改めて反省します。うまくいかないとき、まずい状況が起こったとき、私も自問自答することを課します。

「自分はちゃんと大人になっているだろうか」
「責任を取っているかどうか」

48歳になっても、まだまだ成長途上です。

 

2017年9月25日
坂元鋼材株式会社 代表取締役 坂元正三