それでええやんか! 千房・中井政嗣社長 講演(若手鉄鋼人4団体交流会 in 大阪)

それでええやんか!
千房・中井政嗣社長 講演

 

2017年10月27日
若手鉄鋼人4団体交流会 IN 大阪

 

東京、名古屋、新潟、そして大阪の経営者団体が集う「若手鉄鋼人4団体交流会 IN 大阪」。今回は、私たち大阪がホストを務めさせていただきました。
この記念講演で「お好み焼き・千房」の中井正嗣社長にお話しいただきました。各地から大阪に集う経営者に話を聴いてもらうなら、ぜひ中井社長の「もんまもん」の話を。その思いで講演をお願いしたのが半年前。念願叶った講演会。66人の参加者の前で、大阪の商売人の心意気、経営者の心を存分に語っていただきました。

 

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【周りを元気にしてください、実は自分が一番元気になる】

 

・ 大阪は「食の街」だが、食だけでは持たない。いまはインバウンドの需要で持っている。千房も留学生をたくさん雇用している。中国、韓国、ベトナムなど40数名。本当によく働くし、誠実。
・ 道頓堀商店街。繁華街は「食」だけでは持たない。かつては芝居でにぎわっていた。角座、中座、朝日座、弁天座、浪速座が「五座」といわれていた。それがいまパチンコ、ゲーム、ドラッグストアに変わった。数年前にできたラーメン大食堂は2年でつぶれた。食だけでは持たない。大阪は「演芸の町」でもある。お笑い、お芝居、いわゆる演芸文化。食が何かとドッキングして相乗効果が生まれる。
・ 「わらいぶ」というのを心斎橋・大丸劇場で始めた。そのあいさつで言った。「声出して笑ってあげて」「指が折れるほど手を叩いて拍手してあげて」。面白くなくても声出して笑ったら面白くなってくる。会場の拍手だけで、気が入っているのかどうか舞台から分かる。掛け声ひとつで芸人と客席が一体になる。
・ 拍手は相手にしているかにみえて、実は「拍手したその人」にスイッチが入るもの。
・「誰よりも大きく」「誰よりも早く」「誰よりも遅くまで」――
この3つを心掛けるだけで、実は人生が変わる。周りを元気にすることによって、その照り返しで自分が元気になる。周りを元気にして下さい、間違いなく自分が元気になる。
・ 千房にも伸びている支店、そうでない支店があった。店舗を見に行くと、伸びている支店は店長が元気、従業員も生き生き、お客さんは喜んでいる。一方、伸びてない支店は店長に元気がない、従業員も元気がない、お客さんも下向いて食べている。
・ 大事なのは「元気」「礼儀」。いまは就職状況が好転しているが、かつては大変だった。その就職難の時代でも「就職率100%」の学校があった。奈良県の王寺工業高校。「日本一礼儀正しい工業高校」と呼ばれた。以前は荒れた学校だったが、ある先生が赴任してきた。「10メートル離れたところから100ホンの挨拶をする」――。それを先生から始めた。まず先生が本気に。子供たちがそれを学んでいった。
・ 生徒は夢中になるものを求めている。挨拶が目配り気配り思いやりを生む。そして大きな声。大きな声は大きな自信につながる。自信には根拠が要らない。そのベースは大きな声。
・ 生徒は教師の本気度をいつも見ているもの。生徒のためなら先生は苦労を惜しまなかった。企業は「元気」「礼儀」を重視している。だから就職率100%になった。皆さんは経営者。この生徒を「社員」に置き換えて聞いてください。

 


 

 

【縁を大事にしたら、運がよくなる】

 

・ 相手に通じて初めて「こだわり」。通じなかったら、それは「独りよがり」
・ 味や値段や立地条件。これらは全部マネできる、でもマネできないものがある。これは私のネームプレート。「CHIBO 中井正嗣」とある。こいつが光っているかどうか。
・ 愛とは何か。愛の反対は? 無関心。関心を持つこと、それが愛。なによりも、相手に関わることが大事。
・ 成功者の共通項が2つ。「いい人と出会った」「運がよかった」と言うこと。「この人と出会ってなかったら今はない」――。そんな人が私にはいくらでもいる。
・ 「縁」はある、なんぼでも。そっからどうすんの? 関わることが大事。相田みつをさんの言葉「人生を覆すような出会い」。それには関わらんとアカン。
・ いい人と出会った、ならば、その人と関わっていく。運は1人だけのもん。でも縁は「お互い」のもん。縁を大事にしてたら、間違いなく運がよくなる。運のいい人はみな縁を大事にしておられる、運の悪い人は縁をないがしろにしている。
・ 運がいいと思う人と悪いと思う人、なにが違うの?
・ 運が悪いと思っているそのことが運が弱い。運が強いと思っているそのことが運が強い。
・ 幸せ、不幸せ。いま幸せと思える人、不幸せと思う人。「今の心」と書いて「念」。念ずれば花開く。「いま幸せやねん」と思った瞬間、生まれてからあった色んなことが全部正しかった、そうなる。

 

【売れる人、売れない人、それは人間力の違い】

 

・ 千房のお好み焼き。1000円のお好み焼きの原価は、実は300円。なら700円は何でいただいているんですか? 家賃、光熱費、諸経費・・・。純利益は1割以下。でもお客さんから見れば、700円は「接客」でいただいているもの。接客が悪かったら、値切ったらいかがですか? 飲食業、きょう入ったアルバイトも、ベテランも、同じ定価で売れる。なにが違うんですか?
・ 甲子園球場で阪神タイガースの応援に行く。生ビールのタンクを背負って売る女の子たちが「ビールいかがですか!」とやっている。同じ子から2杯買ってしまった。3回目に気づいた。「あ、この子と目線を合わせたらアカンな」と。
・ 河井寛次郎さんという芸術家に「眼聴耳視」という言葉がある。人の話は眼で聴きなさい。人の話は耳で視なさい。NHKラジオに「音の風景」というのがある。川のせせらぎの音を聴きながら、景色が視えてくる。眼で聴き、耳で視る。人と接する仕事をしている人は、眼で聴いてください。耳で視てください。眼で見たものを書いたのが作文、眼で聴いたものを書いたのが詩。
・ ビール売りの女の子。彼女は「眼」でオーダーを取っている。目線があって「いかがですか」と言われると、つい買ってしまう。肩を見ると「売り上げナンバーワン」と書いてある。やっぱり!
・ 彼女に聞いてみた。生タンク1本で20杯とれる。1杯650円、ナンバーワンはいくら売るか。何と250-300杯。すごい。こんな子がウチに入ってくれたら追加注文がいくらでも取れるのに。でも、すでに彼女は超一流企業の就職が内定している、やっぱりな。
・ 同じ味、同じ値段、同じ場所。何が売れているか? そう「この人」が売れているんです。人間力が如何にすごいか。売れてる人、売れてない人、それは人間力の違い。

 

【一人一人が大事】

 

・ 千房は北海道から鹿児島まで。ニューヨーク、オーストラリア、ハワイ、ソウルも出した。しかしハワイ以外は大失敗。二度と海外はやらない、と思った。でも3年前から、三男が入社した。野村證券出身でエリートコースだった。残念にも長男が亡くなってしまって、三男を呼んだ。「これからはグローバルの時代です」と三男は言う。いまフィリピン、ベトナム、タイ、中国、香港、シンガポール、ダラス。海外合わせて65店舗。
・ 従業員965名。900名「強」とか、1000名「弱」とか、強とか弱とかいう人間は一人もいません。965名、間違いありません。半数以上がアルバイト、パート、フリーター。でもお客様から見ればすべて社員。社員と同じ教育(共育)をしなけばなりません。当り前のことなんですが。
・ いま、皆さん(鉄鋼業)と関係のあるところの大企業も大きな話題になっている。飲食業にも、冷蔵庫の中で写真を撮ってブログに出したり、いろんな問題があった。こういうものはすべて内部告発。アルバイト、パートと侮ったらエライことになる。アルバイト、パートほど徹底的に指導していかなければならない。
・ 学校では 100-1=99。しかし社会は違う、百人いてもたった一人の不注意でダメになる。100-1=0 になる。飲食なら食中毒出したら一発でダメ。逆に1人ええ子がいたら、またスゴイ。1は100になる。一人ひとりがいかに大事か。

 

【社長をしながら高校卒業】

 

・ グループ合わせて年商63億円、私はその創業者。今年で開店から44年になる。「なぜそうなったんですか?」とよく聞かれる。それは自分でもよくわからない。
・学歴は無い。昭和36年、地元の中卒。37歳、全国展開真っ最中の時、大阪府立桃谷高校(通信制)に入学した。4年間レポートを出し、週4回のスクーリング。
・ 「なんで学校に行ったの?」と聞かれる。子供が3人いる。長男が進学の時期に「息子さんはお父さんの背中を見ている」と先生。「親父は中卒でも元気で活躍している、学問なんて」と息子。いくら言っても俺の背中を見ているもの、会社は歓楽街のど真ん中。妹婿がたまたま高校の教師で、見つけてくれたのが大阪府立桃谷高校。さあ通った。20数年学校から離れている、なかなか付いていけない。社長をしている、言い訳もできる。それでも通った。人に言われた。「中井社長、素晴らしい。ポーズだけでも素晴らしい」
・ 辞めようと思った。でも辞めると「やっぱりポーズやった」と言われる。クラスメートに助けられながら、無事4年目に卒業証書を手にした。重たい重たい卒業証書。それが、周りに大きな影響を与えることになった。人間て、お互いに影響受け合って生きているんや。
・ それは何か。私の元に不登校の学生が訪ねて来る。私の話を聞くと100%、学校に行きます。担任、保護者は「どういう話をされたんですか?」と質問する。「社長をしながらでも高校に行った理由亅「何を学んだのか」――。それを一生懸命に話しただけ。
・ 子供は親の言うことはなかなか聞かないけど、近所のおっちゃん、おばちゃんの話は聞く。「親父の言ってることと一緒」と気づいて悟る。残念ながらいまは近所のおっちゃんとあんまり関わらない、誰からも学ばない。私はまさに近所のおっちゃん。
・「お前、勘違いするなよ」「社会をなめたらアカン」「いまは学校がチヤホヤしてくれるが、社会は違う」「吉本興業で『休ませてください』と言ったら『ずっと休んどいて下さい』と言われる、それが社会」
・ 学校に行っていたある日曜日、おかちゃん(奈良の言葉で『お母ちゃん』)が電話で「正嗣。お前、学校行ってたんやなあ、誰の?」と聞いた。(子供は3人いる)「誰のって、俺の。なんで? 俺、高校行ってへんやんか」と言った。すると電話の向こうでおかちゃん絶句。お墓参りの時、いつも「政嗣、お前学校に行ってんのか」としつこいほど聞かれた。4年目の卒業式の朝いちばん、誰に聞いたのか電話が掛かってきた。「政嗣、きょう卒業式やな、おめでとう。よう頑張ったな」と。思わず「おかちゃん、ごめんな。嫌味で言ったんやないねん、許してほしい」
・ (だから不登校の子供に言う)「俺は学校行って親不孝したんや。お前は学校行かんと親不孝するのか」

 

【人間には無限の可能性】

 

・ 貧しい農家の生まれ、7人きょうだいの上から4番目。3つ上の兄は優秀。「出来の悪い子供ほど可愛いもん」というが、あれはウソ。全国展開真っただ中の時、「俺こうなるなんて考えられたか」とおかちゃんにさりげなく聞いた。「まさかお前がこうなるなんて夢にも思わんかった」と。私のこと誰よりも知っている母親ですらわからんもん。ああ、人間て無限の可能性を持ってるんや、と実感する。
・ 3つ上の兄には「奨学金もある、進学させたら」と先生がしつこく言って来た。でも兄は就職した。私の担任は、そんなこと1回もなかった。中学の卒業式のあくる日、3月19日、奈良から大阪へ丁稚奉公に。
・ 昭和48年、千房誕生。最初は暇だったが1年ほどたって売り上げがグーッと伸びた。人手不足でたいへん。猫の手も借りたいけど、借りる猫もいない。言い方は悪いが、猫以上なら誰でもいい。
・ある日人間が応募に来てくれた。学歴、成績、身元保証人、一切問わない(いまもそう)。この言葉、大っ嫌いですが、いわゆる「落ちこぼれ」――。非行少年、非行少女、少年院、鑑別所、教護学校あがり、そして元受刑者たち。でも一流企業に行く人と比べたらアカン。比べず、焦らず、あきらめず。この3つを信条にしながら、彼らと共に私も育ってきた。それが「共育」
・ 飲食業、学歴は問われないが人間性は徹底的に問われる。企業は人なり。

 

【変えてはならないもの】

 

・ おじいちゃん、おばあちゃん、そして創業者。昔のことばかり言っている。でもいくら時代が変わろうとも「絶対に変えてはならないもの」がある。
・98年前(大正7年)初版の尋常小学校の教科書が、そう。読んでみた、感動した。
・ 1年生。よく学びよく遊べ、時刻を守れ、怠けるな、友達は助け合え、ケンカをするな、元気よくあれ、食べ物に気を付けよ、行儀を良くせよ、始末を良くせよ、ものを粗末に扱うな、親の恩、親を大切にせよ、親の言いつけを守れ、兄弟仲良くせよ、家庭忠義、過ちを隠すな、うそを言うな、自分のものと人のもの、近所の人、思いやり、生き物を苦しめるな、人に迷惑を掛けるな、良い子供。
・ 2年生。孝行、親類、きょうだい仲良くせよ、自分のことは自分でせよ、勉強せよ、きまりよくせよ、自慢するな、臆病であるな、体を丈夫にせよ、友達に親切であれ、無作法なことをするな、人の過ちを許せ、悪い勧めに従うな、正直、忠義、約束を守れ、恩を忘れるな、祖先を尊べ、年寄に親切であれ、召使をいたわれ、辛抱強くあれ、工夫せよ、規則に従え、人の難儀を救え、良い子供。
・ 3年生。忠君愛国、孝行、仕事に励め、学問、整頓、正直、師を敬え、友達、規則に従え、行儀、勇気、堪忍、物事に慌てるな、質実倹約、慈善、恩を忘れるな、健康、自分のものと人のもの、近所の人、生き物を哀れめ、良い日本人。
・ 1年生、2年生、この2冊を徹底的にたたき込んだだけで、立派な人間になる。
・ 3年生までの3冊、徹底的にたたき込んだだけで、立派な経営者になる。立派な幹部、立派なリーダーになる。
・ 二宮金次郎の銅像。背中に薪を背負って歩きながら本を読んでいる。「家の手伝いをしながらでも勉強せよ」という教え。それが、なんと銅像に変化がある。二宮金次郎が座って本を読んでいる。教育委員会の見解は「歩きながら本を読んだら危ないから」というもの。いまの教育の現場は、改めて怖いなあと思う。
・ 小さいころに学んだことは記憶の底に残る。何年前だったか、母校の白鳳中学校に講演で呼ばれた。講堂に入ると大きな垂れ幕で「ようこそ先輩」。感動した。子供たちを見て中学校時代の自分とダブった。丸刈りで学生服の自分。校歌はいまも同じですか、と聞いたら同じという。52年間一度も歌ったことがない校歌がスッと空で歌えた。感動しながら歌った。ああ、小さいころに学んだことは記憶の底に残るんだ。教育がいかに大事か。

 

【お金は使わんかったら貯まる】

 

・ 中学を卒業したその年に親父がガンで亡くなった。私の人生はそこから始まっている。何を頼りに生きていったらいいのか。カネだけがすべてだと(当時は)思った。小さな店でも始めるにはお金が要る。義兄に言われた。「お金を貯めるコツは簡単や。お金は使わんかったら貯まんねん」と。
・ チリメンジャコは美味しい。でも食べたらすぐに溶ける。辛抱してチリメンジャコを餌にしてサバを釣れ、サバなら一日食える。でも辛抱してサバを餌にしてマグロを釣れ、マグロなら一カ月食える。でももう一回辛抱してマグロを餌にしてクジラを釣れ、クジラなら一生食える。
・ 大阪の「三大けち」と言われた吉本晴彦さん(マルビルのオーナー)。「経済の知恵をケチという」と言った。なるほど。金は使わんかったら貯まる。でも、こんな簡単なことがなかなかできない。
・ これは千房開店前につけていた金銭出納帳。5円拾った、10円拾った、そんなことまで克明に記帳されている。5年間の金銭出納帳。実は創業の時(昭和48年)、貯金が80万円だった。小さな信用組合がこれ(金銭出納帳)を担保とみなして3000万円融資した。それが千房の誕生になった。継続は力なり。

 

【続けると本物になる、始めたらやる気は出る】

 

・ 給料袋に社員へのメッセージを入れ続けた。30年と9カ月続いている。
・ わたしもある人のまねでスタートした。途中で書けないときもあった。しかし「きょうは書けない」と書いただけで、ダダーと書くことが出てきた。いまはそうでない。毎日たえずアンテナを張っているし、メモも取っている、何の苦痛もない。
・ 良いことは続けなさい、続けたら本物になる、本物は続きます。
・ 「やる気がない」「やる気はしょっちゅう出るもんやない」とか言う。しかし違う、「始めたらやる気は出る」

 

【もと受刑者の雇用】

 

・ 9年前、山口県の刑務所(法務省)から、受刑者の就労支援の依頼が来た。むかし千房が元受刑者を採用して立派に立ち直って、そして幹部になった。その実績を知った法務省が尋ねてきた。
・ いま刑務所の経費は1年250―300万(1人あたり)、出所して5年以内に6割が再犯で戻ってくる。その7割は無職。仕事に就けさすことが如何に大事か。
・ 経営会議は賛否両論。怖がるお客さんがいるかも、でも応援してくれるお客さんもいるかも。プラスマイナス、ちゃら。損か得か。でも、このことは企業として「善か悪か」。いうまでもなく善だ。なら、やってみたい。
・振り返ったらいろんなひとに目掛けてもらってん。支えられてん。だからいまがある。経営も教育もマラソンとは違うねん、駅伝。自分がしてもらったことを次にバトンタッチしたいと思わないか。
・ 経済は「経世済民」の略。経営は「お経を営む」と書く。経営も経済もお金儲けとはひと言も書いていない。世を興し、民を救う。その結果が売上であり、利益。
・ いま欧米流の数字がすべて、効率とか合理性とか。肝心の理念がどっかで抜けている、それが大企業の起こしている問題につながっている。
・ 最終的に「社長がすべて責任を取りましょう」。それで刑務所の中で採用募集が始まった、前代未聞。募集、面接、内定。そして仮出所、着のみ着のままで出てくる。私が身元引受人に。居住地、職場を提供、しかもこの試みをオープンにしよう。「受刑者の就労支援」を世に知らしめなければ。受刑者の受け皿は社会。その偏見を少しでも緩和させられたら。
・ 関西テレビの報道部が密着取材してくれた。モザイク無し、名前も実名(未成年以外は)。13名が応募し、最終的に2人に内定。4人面接した、ひとり90分。そんなに長く面接したらダメです。すべて泣かされました。情が移ってしまって、断るのに難儀する。
・ 4人とも家庭崩壊でした。じゃあ、家庭崩壊の子供はみんなぐれてるのか、決してそうじゃない。でも「こんな女に誰がした」という歌が昔あった。こんなひとに誰がしたのよ、と思うと100%罪をとがめることが出来なかった。
・ 《鈴木秀子「縁を生かす」 = 読み上げ》
(末尾に掲載)
・ いま元受刑者26名を採用している。日本財団から「助成金を出すからもっと」と言われた。一人採用するとマンション借りて、布団、テレビ、いろんなものを用意、約80万掛かる。「職親プロジェクト」―― 大阪から世界初の取り組みが7社で始まった。東京でも始まった。福岡、和歌山、新潟、富山、山口、佐賀、京都、奈良に出来ようとしている。残念ながら大企業が入っていなかった。なんで、と思っていたが、3社入ってくれることに。1社はホテル。1社はラーメンで有名な一風堂。いま超大手企業も手を挙げてくれている。その社長が自ら刑務所を視察して、感動された。ぜひ取り組みたい、と。近い将来、受刑者を雇用することが当り前の世の中になれば。
・ 自分と未来は変えられる。反省は一人でも出来る、でも更生は一人ではできない。みんなの力がいる。

 

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【中井社長が講演で読み上げたお話】

 

縁を生かす
                            鈴木秀子

 

 先生が5年生の担任になった時、一人服装が不潔でだらしなく、どうしても好きになれない少年がいた。中間記録に先生は少年の悪いところばかりを記入するようになっていた。
 ある時、少年の一年生の記録が目にとまった。
「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。勉強も良く出来、将来が楽しみ」とある。間違いだ。他の子の記録に違いない。先生はそう思った。
 二年生になると「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」と書かれていた。三年生では「母親の病気が悪くなり疲れていて、教室で居眠りする」。後半の記録には「母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる」とあり、四年生になると「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、子供に暴力を振るう」
 先生の胸に激しい痛みが走った。ダメと決め付けていた子が突然、悲しみを生き抜いている生身の人間として、自分の前に立ち現れてきたのだ。
 放課後、先生は少年に声をかけた。「先生は夕方まで教室で仕事をするから、あなたも勉強していかない?分からないところは教えてあげるから」。少年は初めて笑顔をみせた。
 それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。授業で、少年が初めて手を上げたとき、先生に大きな喜びが沸き起こった。少年は自信を持ち始めていた。
 クリスマスの午後だった。少年が小さな包みを先生の胸に押し付けてきた。後であけてみると、香水の瓶だった。亡くなったお母さんが使っていた物にちがいない。先生はその一滴をつけ、夕暮れに少年の家を訪ねた。
 雑然とした部屋で独り本を読んでいた少年は、気がつくと飛んできて、先生の胸に顔を埋めて叫んだ。「ああ、お母さんの匂い!今日は素敵なクリスマスだ」
 六年生では少年の担任ではなくなった。卒業の時、先生に少年から一枚のカードが届いた。「先生は僕のお母さんのようです。そして今まで出会った中で一番素晴しい先生でした」
それから六年、またカードが届いた。
 「明日は高校の卒業式です。僕は五年生で先生に担当してもらって、とても幸せでした。おかげで奨学金をもらって医学部に進学することが出来ます」
 十年を経て、またカードがきた。そこには先生に出会えた事への感謝と父親に叩かれた体験があるから患者の痛みが分かる医者になれると記され、こう締めくくられていた。
 「僕はよく五年生のときの先生を思い出します。あのまま駄目になってしまう僕を救って下さった先生を神様のように感じます。医者になった僕にとって最高の先生は五年生の時に担任して下さった先生です」
 そして一年。届いたカードは結婚式の招待状だった。「母の席に座って下さい」と一行、書きそえられていた。