コロナが問題ではない、コロナに対する捉え方が問題 [給料袋メッセージ 146]

【コロナが問題ではない、コロナに対する捉え方が問題】

 

きょうは25日、給料袋のメッセージを書きました。先月の加賀屋さんの話の続き(営業の話題)を予定していましたが、急きょコロナショックにテーマを変えました。
逆境のいまこそ、これまで学んできたことを生かすとき。
アチーブメントの青木社長流に言えば「コロナが問題ではない、コロナに対する捉え方が問題」ですね。
(通算146号)

 

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社員の皆さん、ご家族の皆さんへ

 

いつも社業への貢献、ありがとうございます。いま世の中はコロナ、コロナで先行き不透明です。世界規模で経済に急ブレーキがかかっています。いまからどんな事態になるか、まさに歴史が動く現場にいる感覚です。リーマンショックから12年、当社ではその翌年の大赤字から11年目です。久しぶりに経済の大きな転換点を迎えました。

 

しかし結論から書けば「必要以上の心配は無用」です。これまでの10年間われわれが準備してきたことに自信を持ち、会社をさらに強くする絶好の機会が到来したのです。

 

■ もともと景気の後退期

 

今期(第68期)も今月末で終わりますが、仕事の少ない一年でした。切断量は例年の8割ほどで、利益は前年度の半分ほどになりそうです。

 

しかし仕事の少なさは鉄鋼業界全体に共通しています。昨夏あたりをピークに相場も緩やかに下がりました。当社だけがヒマなら心配ですが、みんなヒマです。

 

業界の会合でもいい話は聞きません。「リーマンショックより悪い」という声すら聞きます。この道五十年のベテラン社員・Aさんも「こんなヒマなんは初めて」と言います。

 

それでも過去最高益だった昨年度の半分近い利益を確保している、それも一面の事実です。

 

振り返れば過去5年ほど、相場は堅調で仕事量も旺盛でした。数年のスパンで景気が変動するのは自然なこと。もともと米中貿易摩擦の余波が製造業全体に影を落としていました。さらに昨秋からは消費増税によるマイナス圧力が加わった。

 

そこへきて1月からのコロナ騒動です。外国人観光客がすっかり消え、日本人の行動も制限され経済は急ブレーキ。現代人が初めて経験する事態です。

 

直接の客商売である観光業や飲食業などはコロナが直撃です。この余波は鉄鋼業界にも遅れて必ず来る、その覚悟は必要です。

 

 

 

■ 小波、中波、大波

 

人生を五十年やってきて景気の波には小波、中波、そして大波があることを体感しています。

 

第2次世界大戦での敗戦(1945年)を出発点として、朝鮮戦争(1950年)を経て1960年代、1970年代、1980年代を駆け抜け、そのピークが1989年(平成元年)、バブル崩壊に至るまで40年間の大きな経済成長。

 

その後の30年間、ちょうど「平成」と呼ばれた時代は大きな流れとして右肩下がり。これが30-50年周期でやってくる大波。

 

その大波の中に、10年程度の中波、2-5年程度の小波があるように実感しています。

 

私が会社を継ぐために大阪に戻った22年前(1998年)も景気の悪いころで、バブル崩壊からほぼ10年、経済が右肩下がりに落ち切ったころ。大手銀行や証券会社が破綻する金融不安のどん底でした。

 

鉄鋼業界の景況感は経済全体を映す鏡です。われわれの日常は鉄鋼製品で支えられています。鉄鋼相場は社会全体の動向、景気の浮き沈みと密着しています。

 

私が3代目を継いだ2000年前後、鉄鋼相場は歴史的な大底で、いまの半分程度の値段でした。値段が安く、モノも動かない。「鉄冷え」と称されていた時代で、大手の鉄鋼問屋をはじめ様々な会社が姿を消しました。

 

そんな苦しい時代でしたが、当社は新しい設備投資(プラズマ)で業績を立て直しました。さらに次の設備投資(新工場とレーザー導入)に打って出たのが2008年、そのタイミングでおとずれたのが前回の不況(リーマンショック)でした。

 

鋼材価格の暴落と仕事の激減で大赤字を出してしまい、経営状態は過去最悪でした。新工場とレーザーはほとんど借金によるもの。年間の売上高を超える4億円近い有利子負債(借金)を抱えていました。このタイミングで私は遅まきながら経営の勉強を始めました。

 

「景気が良くても悪くてもビクともしない会社は、どうすれば作れるのか?」
その答えを探し求めました。

 

■ 荒波に翻弄される小舟

 

当社の改革が始まるのが2009年、私は40歳でした。それからの10年余り、なにわあきんど塾、中小企業家同友会、アチーブメント、木村塾を4本柱として経営を学び続けました。

 

学んで分かったのは、それまでの私の経営には「羅針盤がなかった」ということです。どこを目指すのか、何を基準にするのか、会社をどう動かすのか、何も分からないままに大きな海を航海していたのです。

 

経営の行き先とは目的(理念・ビジョン)であり目標(計画)でした。

 

大波、中波、小波の渦巻く経済社会という荒波に出て行く小さな船なのに、行き先が分からず、羅針盤も運行計画もない。あとから気づくのですが、この小舟は「自己資本」を積んでいないために船体は軽く、景気という荒波(外部環境)に翻弄されるばかりでした。

 

経営の目的を考え続けたときに思い浮かんだのが、先代社長だった父がかつてつぶやいた言葉でした。

 

「社員の家族を入れたら五十人以上が飯を食ってるんやぞ」

 

会社に集う皆がちゃんとメシを食えること、絶対に潰れないこと、永続発展すること。それを父は父なりの言葉で表現していました。

 

■ BS目標という羅針盤

 

一昨年他界された木村勝男会長(木村塾)からは決算書のバランスシート(貸借対照表=BS)を意識した経営を教えられました。それまで決算書がさっぱり読めなかった私に、木村会長はBSの極意を平明な言葉で語りました。

 

「BSの見方はかんたん。まず左右に分けて左側がお金の『使い途』、右側がお金の『出どころ』。その右側は上下に分けて上が『他人のカネ』、下が『自分のカネ』。返さんでええ自分のカネが多ければ多いほど経営は安定する、潰れにくい会社になる」

 

なるほど。その視点で見た当社の決算書はボロボロでした。

 

自己資本比率は10%(総資産5億円に対して負債4億5000万円、自己資本5000万円)でした。「他人のカネ9割」「自分のカネ1割」というわけです。

 

他人のカネでほとんど成り立っていた坂元鋼材。他人のカネとは「返さなあかん」カネ。返せなかったら倒産です。
木村会長はこう言います。

 

「経営してると何が起こるか分からへん。地震や津波、リーマンショックみたいなんが来よる。そんなとき『返さんでええカネ』が社員一人当たり1000万円あったらひとまず安心や。売上が仮にゼロになっても社員に給料が2年間払える。その間に会社を立て直すことができる。中小企業はまずこれを目標にせえ」

 

BSをベースにしたその目標数字(社員一人当たり1000万円の自己資本)を教えられたとき、視界がパーッと明るくなりました。父が言っていた「五十人」が安心して暮らせる会社をつくるという目的。それにズバリ叶った目標。景気が良くても悪くてもビクともしない会社をつくる羅針盤、それが社員一人当たりの自己資本だと肚落ちしました。

 

私は自分が3代目になってからの10数冊の決算書を調べました。するとリーマンショック直前、当社はこの数字をクリアしていました(社員12人で自己資本1億2000万円)。ところが大赤字の結果、一人当たり400万円以下にまで目減りしていたのです。これを再び1000万円にすること、さらに2000万円、3000万円、5000万円を目指していくこと。それを最も大切な目標数値としたのです。

 

木村会長からBS目標を授けられてほぼ10年になります。50歳のいま、自己資本は2億9000万円(本来の計画では今期3億円を超える予定でした)。社員14人で割って一人2000万円強です。木村会長流にたとえると、4年間売り上げゼロでもメシが食える状態です。

 

「他人のカネ」の代表格である借入金は手持ち現金以下の5000万円台で実質無借金。自己資本比率は65%です。つまり自分のカネ(返さんでええカネ)が6割以上。ようやく手にした安定経営です。

 

 

■ 米びつをいっぱいにしておく

 

過去4年間は一度も借り入れすることがなく、この調子であと2年経過すれば完全無借金です(自己資本比率70%超)。これまでの経営計画書ではそう書いてきましたし、一度はその状況を実現させたかった。

 

しかしここへきてのこの事態、そして先行きの不透明感。ええカッコはせずに借金をします。今週、新たな融資を申し込んできました。事前対応、事前準備です。

 

会社には「固定費」というものが毎月かかっています。仮に売り上げがゼロでも毎月支払う必要のあるお金です。給料、家賃やリース料などです。売り上げがどうなろうが「固定してかかる費用」です(売り上げの変動につれて増減するのが変動費=材料代や燃料費など)。

 

「固定費の6カ月分のキャッシュを持つこと」と顧問の立道岳人先生からも指南されていました。いまも8カ月分ほど積んでいますが、これを更に4カ月ほど積んで1年分は現金を持ちます。不透明な事態を前に、米びつをいっぱいにしておきます。さらにいつでも使える銀行枠(当座貸し越し)も固定費2カ月分ほどあります。

 

最悪を想定して楽観的に進んでまいりましょう。心配ばかりしていると免疫力が下がります。

 

航海のための燃料は十分に積んでいます。万が一の事態でも大丈夫。皆さんのこの10年間の働きのおかげで、この状態にまで持ってきてもらったわけです。感謝の気持ちでいっぱいです。

 

■ 楽は苦の種、苦は楽の種

 

過去5年ほどは仕事が潤沢で、いわば順境でした。さまざまな経営者が口にする名言を思い出します。

 

「逆境は人をつくる、順境は人を滅ぼす」

 

当社の創業者だった私の祖母(坂元はる)の口癖も「楽は苦の種、苦は楽の種」でした。

 

今回は10年ぶりに廻ってきた逆境です。会社の足腰をさらに強くする良いトレーニング(負荷)がまたやってきたようなものです。

 

アチーブメントの青木仁志社長もこの事態を見ておっしゃっています。

 

「コロナウィルスで倒産することはない。経営者であるあなたのコロナウィルスに対する考え方が会社を倒産に追い込むことはある。コロナウィルスを発展の機会に考えること」

 

私は経営者となって二十年、人生も五十年、ずっと凪ばかりの海はないということを知っています。また、荒れるばかりの海でもないということも知っています。かならず大波、中波、小波はある。

 

大事なのはその時々で方向性を見失わず、どんな時でも動くことのない羅針盤を持つこと。社員とその家族が安心してメシを食える財務の強い会社にし続け、良い仕事をしてお客さんに喜んでもらい、人材を育てることで社会に貢献すること。

 

まさに、よい会社をつくり、よい社会をつくる。その経営の目的さえ大事にしていれば大丈夫。

 

どんな荒波もいずれ静まります。冷え込んだ経済も必ず回復します。それが自然の法則です。

 

その時に備えて会社の基礎体力を鍛えます。営業戦略の見直し、教え合いの加速、そして新人の育成。さらに、この3年間進めてきた経営理念の再構築も大詰めです。基本に立ち返ることのできる貴重な時間です。

 

4月からは2人の若い乗組員を迎えます。ともに良い航海にしてまいりましょう。

 

2020年3月25日
坂元鋼材株式会社 代表取締役 坂元正三

 

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