中小企業は教育産業 [給料袋メッセージ 119]

〔中小企業は教育産業〕

 

きょうは25日、給料袋のメッセージを書きました。
採用と育成に失敗しつづけた過去を振り返りました。縁あって採用した多くの社員を勝たせることができなかった。その後悔から今の会社があります。
(通算119号)

 

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社員の皆さん、ご家族の皆さんへ

 

いつも社業への貢献、ありがとうございます。
さわやかな五月晴れが続くこの季節、いつも思い出すことがあります。二十年前、先代社長である私の父が腹部に異常を感じて精密検査をしています。膵臓がんが見つかり、夏に手術をすることに。当時サラリーマンで名古屋にいた私は仕事をたたんで大阪に帰ってきました。あれからちょうど二十年。早いものです。

 

父は翌年に他界していますから、私の経営者人生ももうすぐ二十年。振り返ると、前半の十年と後半の十年に分かれます。ターニングポイントは2008年のリーマンショックでした。その翌年に七千万円の大赤字を出したのをきっかけに、私はたいへん遅まきながら経営の学びを始めています。「なにわあきんど塾」が最初でした。

 

そのときの講師・小笠原士郎先生から「倒産にみちびく危険性のある経営者の特徴」という資料をいただき、たいへん衝撃を受けました。いくつもの項目が挙げられており、情けないことにほとんどすべての項目にチェックが入りました。なかでも「ひと」に関する項目が、胸に突き刺さりました。

 

「朝礼も会議もなく部下の指導やケアもなくほったらかしである」

 

「人を育てる気持ちや意思がなく、何も施策を打っていない」

 

まさに、私のことでした。

 

それまでの十年間、採用や育成で失敗をいくども繰り返しました。計画的に新卒採用するようになったここ数年と違い、当時はまさに行き当たりばったり。

 

人が欲しくなるとハローワーク頼み。でも応募はほとんどない。たまに来てくれれば、よく話を聞きもせずに採用。そして「ほったらかし」。問題が起こって右往左往する。そんな情けない状態でした。

 

最初の失敗は、当時お世話になっていた税理士事務所の紹介で来てくれたAさん。ちゃんと話を聞くこともなく受け入れ、指導も中途半端。それでは仕事の成果も出しようがない。すると周りの社員たちもいい気がしません。社員の働きぶりや勤務態度は、実は私よりも社員同士のほうが厳しく見ていました。結局は、職場に溶け込めずに早期の離職でした。

 

続くB君もそう。私が経営者として駆け出しのころにハローワークから来てくれました。実は難しい病気を抱えていたものの、それを面接で聞くことができず。入社後に初めて打ち明けられ、体調を気遣って工場から事務所へ配置換えしました。しかし事務所での仕事も身が入らずじまい。足掛け5年もいてくれたけれど、私は最後まで彼の心に火を点けることができなかった。

 

その後のC君も。入社の際に経歴を偽っていたことがのちに判明。しかし私は「仏の心」と自分に言い聞かせて安易に許してしまった。いや、許すこと自体の是非はともかく、きちんと大人としての責任感を指導できなかった。私の薄っぺらな「許し」など、周りの社員は到底認めがたかった。だから社内で彼は心底からは受け入れられていなかった。その後も問題行動が続いたのは、彼なりの感情表現だったのかもしれない。

 

今から思えば、彼に十分な反省の心をもつ機会を作り、社内に残る感情的なしこりを取り除くことに力を尽くすべきだったと後悔しています。私の判断ミス、指導力不足です。彼を正しい方向に導くことができず、結局は退職に至っています。

 

D君も数カ月いてくれました。アルバイトとして1週間の試験採用のあとのこと、思えば正式入社の初日から遅刻でした。その後も続いた遅刻などで社内にはなじめずじまい。

 

3カ月の試用期間内に辞めたり辞めさせたりした社員もE君、F君、Gさん、H君・・・。そして一年未満ではI君、Jさん・・・。

 

「人を幸せにする経営」というのが昨今の中小企業経営のキーワードですが、私は真逆。縁あって採用した社員を不幸にしてしまった。勝たせることができなかった。経営者になって二十年、数々の間違いをしてきましたが、人にまつわる失敗がもっとも胸痛むことです。

 

社内からは「社長は人を見る目がない」と声が上がりました。なにも言い訳できません、その通り。

 

しかし、おかげで採用方法が変わりました。それまでは私ひとりが行っていた面接を改めました。社員2人が同席し、面接の回数も2回以上に。そのやり方で採用した社員は、なんとすべて定着しています。三宅君、一橋さん、河野君たちが、その複数面接官による採用世代です。その後、脇田さん、中本さん、原口さんといった新卒世代が続きます。彼ら彼女らの活躍がいまの坂元鋼材を支えています。面接トレーニングを積み、そして真剣勝負の面接を何度も重ねてくれた先輩社員たちの努力のおかげです。社員全員でも「求める理想の社員像」というテーマで会議や学習会を重ねました。

 

しかし失敗続きだった時代からも、前君、前田君、大石君たちが育ってくれました。いまや会社を牽引する堂々たる中堅幹部です。「育つ人は勝手に育つ」という言葉がありますが、彼らはまさに自らネジを巻いて成長してくれた人財です。求める心が強く、成果に対して素直に努力する彼らを見ていると、私は人に恵まれた幸せな経営者だと感謝の気持ちが止まりません。

 

廃業した同業他社から佐々木さん、吉山さんという熔断業界のプロフェッショナルが入社してくれるという幸運も重なりました。そしてベテランの荒川さん、中上さん。事業承継してもうすぐ二十年、最高の布陣です。父も安心してくれていることでしょう。

 

さて、なにわあきんど塾での最終授業で登壇されたのが「お好み焼き・千房」の中井正嗣社長でした。こんなことおっしゃいました。

 

「中小企業は教育産業」
「大企業に行く人と比べたらあかん。来てくれた人に感謝して、人財に育てる」
「比べず、あせらず、あきらめず」

 

社員教育に情熱を燃やすことで千房を大きく発展させました。「育てるつもりが実はこちらが育てられてきた」ともおっしゃいます。さらには元受刑者の雇用にも使命感を抱いておられる中井社長の言葉。人材育成への生半可でない覚悟が伝わります。

 

松下幸之助の有名な言葉――

 

「松下電器は人を作っています。あわせて電化製品も作っています」

 

これにも深く納得させられます。

 

 ひるがえって、坂元鋼材で実際に人を育ててくれたのは私でなくむしろ社員たちでした。ベテランが中堅を、中堅が若手を育ててくれました。いまは若手の河野君と三宅君が、新人を育てる側になってくれています。うれしいことです。

 

就職(採用)は結婚ととても似ています。単に時間の長さでは配偶者よりも長い時間を過ごすのが社内の人間関係。どんな人と働くのか、どんな会社で働くのか。無数の選択の組み合わせの中で私たちは働いています。

 

ご縁があって出会い、お互いがお互いを認識し、そして価値観と方向性をすり合わせ、長く一緒にいれる幸せな関係を築けるかどうか。私は社長として、迎え入れた社員を必ず幸せにする責任を負っています。自分が選択したことを正解にしていく努力を最後の最後まであきらめない。過去の経験が教えてくれることを無駄にしてはならない。あらためてそう思います。

 

2018年5月25日
坂元鋼材株式会社 代表取締役 坂元正三

 

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