逆境は成功の前奏曲 [給料袋メッセージ114]

【逆境は成功の前奏曲】

きょうは25日。給料袋メッセージを書きました。10年前、20年前を振り返り、今年を展望してみました。
(通算114号)

 

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社員の皆さん、ご家族の皆さんへ

 

いつも社業への貢献、ありがとうございます。今年の鉄鋼相場の話から始めます。

 

最近の業界紙に「リーマン前の相場再現か?」という観測記事が出ていました。私たちの仕事は材料(鉄板)があってこそのもの。その相場は景気や世界情勢など様々な要因で時々刻々と変動します。時には東証平均株価をはるかにしのぐ乱高下を演じます。さて今年はどうなるのでしょうか。

 

記事にあった「リーマン前」とは、2008年のことを指します。ちょうど10年前、北京オリンピックが8月にあった年です。いろんな素材が値上がり、ガソリン価格は180円を超えました。鉄鋼相場も春先から高騰し、道路のマンホールや側溝のフタのような鉄までが盗まれてニュースになりました。

中でもスクラップ(鉄くず)の値動きが極端で、それまで30円くらいだったものが夏には75円くらいまで急騰しました。私たちの使う薄板や厚板も枯渇しました。当社の仕事は鉄板が無ければ始まりません。いくら相場が高くても「入手しなければ」という強迫観念で仕入れ続け、そして毎月の契約量を増やしました。

ところが8月末に北京五輪が閉幕するのと時を同じくして雲行きが一変。まずスクラップが下がりました。夏に75円だったものが2カ月で半値、3カ月で3分の1、年末には10円にまで暴落。鉄鋼製品はこれほど極端ではなかったものの、秋に反落してからは下落の一途。

 

やっかいだったのは契約残でした。当時のメイン仕入先の納期は半年から一年。契約時の価格は固定です。相場が暴落した後もいつまでも超高値の母材が入荷し続けました。しかし売値は「時価」です。高値で仕入れたものを、懇切丁寧に加工し、そして「仕入れ値以下」で売る異常事態(逆ザヤ)が生じました。その結果、翌2009年は過去最悪の赤字に。自分の見通しの甘さを悔やみ、恥じました。

 

折しも2008年は第3工場の竣工、そしてレーザー導入が重なり、過去最大にお金を使っています。借入金も過去最大に膨らんでいました。そこに過去最悪の赤字です。会社始まって以来のピンチでした。しかし、それが会社を変えるチャンスになりました。

 

翌2009年から始まったのが経営改革です。なにわあきんど塾や中小企業家同友会に入会して私は経営を学び始めました。それまで「我流」で経営していたのが大失敗の原因だと大いに反省しました。「会社を良くするのにいい」と言われれば、なんでも試しました。朝礼、そして社内学習会がこの年に始まっています。紆余曲折のあった新卒採用も数年間かけて定着しました。そのおかげで、いま若手が大活躍してくれています。「教えあう社風」を高めることに注力し、組織としてもずいぶん強くなりました。新規顧客を開拓し続けたのも、この厳しかった時期でした。まだまだ、まだまだ、まだまだやることは山積みですが、この10年を振り返ると、会社が強く良くなったのは明らかです。

 

成果は数字が語ってくれます。私の一番重視している「社員一人当たりの自己資本」はリーマンショック直前の1000万円が一時は400万円以下になりましたが、いまは1600万円になりました。これを一人当たり5000万円にするのが次の10年間の目標です。借入金も着実に減らしました。おかけで自己資本比率は50%を超えました。どんな事態に遭遇しても、財務が強ければ守るべきものを守れます。

 

ここで、時計の針をもう10年戻してみます。1998年です。私の父である先代社長にすい臓がんが見つかっています。ワンマン社長が重病という非常事態。それまで好き勝手に生きていた私は反省し、大阪に帰ってきました。

 

先代社長は手術の甲斐なく翌年の夏に逝去(享年63)。後を継いだ私は経営者としてはおろか、業界的にも初心者。鉄の扱いも知らず、電話ひとつ取れず、右も左も分からないお粗末極まりない状態。恥ずかしい話、決算書もろくに読めていませんでした。世間の景気も悪く、その前年に山一證券が廃業するなどバブル崩壊後の景気低迷が一つの極点にまで下り切った頃でした。鉄鋼相場は過去最低水準で「鉄冷え」と呼ばれていました。

 

10年前のリーマンショックも大きな危機でしたが、20年前の私への社長交替は、さらに薄氷を踏むような船出だったと言えます。

 

しかし私は人に恵まれています。当時の社員さんたちが一致団結してくれたお陰で、この難局は乗り切れました。父が亡くなってすぐの頃に橋本さん、そして前君が相次いで入社し、現場で大活躍してくれます。社長3年目だった2002年にツイスターを導入し、会社は成長軌道に乗ります。前田君の入社がこの時代です。そして隣地の購入、新工場、レーザー導入に至るのが2008年。そこで先述のリーマンショックによりもう一度振り出しに帰ることになったわけです。

 

10年、20年の単位で社歴を振り返りました。大きな変動の波は、これくらいのスパンでやってくるのかも知れません。今年は相場高騰を覚悟せねばならず、会社の成長につれて課題は増え、難問も出現します。しかし、過去のさまざまな苦境が成長の促進剤になってくれました。いろんな言葉に励まされて、今があります。

 

逆境は成功の前奏曲、乗り越えればキャリアになる。
(青木仁志アチーブメント社長)

 

逆境に勝る師なし。
(木村塾 木村勝男会長)

 

ウエルカム トラブル!
(上能喜久治税理士)

 

まさに逆境が会社を強くしてくれます。変化への対応力は20年かけて強固になりました。
さあ、どんな一年になるか、楽しみにしましょう。

 

2018年1月25日

坂元鋼材株式会社 代表取締役 坂元正三