「安いニッポン」が直面する素材高 [給料袋メッセージ 170]

【「安いニッポン」が直面する素材高】

 

きょうは給料袋のメッセージを書きました。
今年はガソリンをはじめさまざまな資源価格が大幅に値上がりました。

 

鋼材もそうで、史上最高値を更新中です。そこから考えてみました。
[通算170号]

 

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社員の皆さん、ご家族の皆さんへ

 

きょうはビジネスの現況から書き始めます。いま鉄鋼相場が史上最高値を更新中です。

 

我々の主力商品である厚鋼板の相場は先月末に過去最高となりました。

トン「12万円台」の後半。これはリーマンショックのあった2008年以来の高値更新です。

 

昨年末の「8万円台」から急ピッチで切りあがりました。この1年間で5割値上がったわけです。

値上げ、値上げ、値上げに追われた1年間でした。

 

■ 20年前は1/4の値段だった

 

私が鉄鋼業界に入ったのは1998年(当時29歳)。

バブル経済崩壊後の一つの大底で、大手証券会社や都市銀行の破綻が続出。

鉄鋼需要も激減して「鉄冷え」と称されていました。

 

このとき厚鋼板市況は歴史的な安値でした。トン「3万円」を割り込んだ時期もありました。

「2万7000円(キロ27円)」の伝票を覚えています。なんと、いまの1/4以下の価格です。

 

値段が安いということは第1に「需要がない」ということ。

「不用品に値段なし」という恐ろしい言葉をこの時に知りました。

 

お客さんもどんどん消えました。

先代(私の父)の頃に当社の売上高・第1位と第2位だった会社がこの時代に相次いで倒産しています。

まさに需要消滅でした。

 

値段は安い、仕事はない、得意先は倒産する。

私の鉄鋼マンとしてのスタートは厳しい時代でした。しかし、だからこそ鍛えてもらいました。

 

 

■ 悪夢の「安値競争」

 

相場が安い第2の理由は「供給過剰」です。売り手・作り手が多すぎる。

ライバル社があまりにも多い。

いきおい、他社より少しでも安く売ろうとする会社が現れます。

 

私がよく語るエピソードですが、

当社が例えば1000円で売っていた製品を600円で当社のお客さんに売り込むライバル社が現れました。

 

 

材料代が約半分の500円として、そんな値段では利益が出るはずもなく、売れば売るほど赤字に違いない。

 

お客さんはその600円の見積書を当社にファクスしてきて、抗議です。
「おたくはなんでそんなに高いんだ!」
しかしどんなに値下げしても850円が限度。その仕事は無くなりました、悔しかった。

 

そのライバル社は当社の10倍ほどの規模でした(売り上げも、自己資本も、総資産も)。

創業も当社よりはるかに古い。そんな会社が無茶な競争を仕掛けてくるわけです。

この安値競争の記憶は、いまも悪夢のように脳裏から離れません。

 

■ 苦境から生まれた2つの信念

 

しかし、そのライバル社の商品は質があまりにも雑だったため、その仕事はやがて当社に帰ってきました。

うれしかった。

 

材料も加工技術もサービスも「品質は絶対に守る」。

この苦い経験から生まれた当社の信念です。

 

その会社はのちに廃業しました。

無理は長くは続かない。自分が苦しい時は相手も苦しい。

 

この経験から「決して安売りしてはならない」というもう一つの信念が生まれました。

 

会社が存続し、社員にちゃんとした給料を払えるだけの利益が確保できる値付けを絶対にしなければなりません。

 

■ 廃業・倒産・統廃合

 

2000年代に入ってから安値が常態化し、鉄鋼業界でも多くの会社が廃業・倒産、そして統廃合されました。

 

鉄鋼業界に限らず、歴史をたどると相場の低迷期にたくさんの企業が消えています。

名門と言われた企業があっけなく幕を閉じるのをいくつも目撃しました。

それは規模の大小を問いません。

 

かつて、この九条地区に同業他社は10軒以上あったのですが、いまや数えるほどです。

ライバル社が無くなると、その会社が持っていた仕事が当社にも回ってきます。

残存者利益というのでしょうか。

 

相場低迷期は仕事が減って苦しい時期なのですが、やはり石にかじりついてでも生き残らねばならないと、強く思います。

ではライバル会社が減って競争は楽になったのかというと、必ずしもそうでない。

生き残った会社が設備を増強するので業界全体としての生産能力は落ちていない。

だからこそ、どこまでもお客様に選ばれ続ける良い仕事をしなければならないと思います。

 

■ 中国特需、相場の上昇

 

やがて業界にも変化が訪れます。

2005年ごろから「爆食」というキーワードとともに中国経済が大きく成長し始めます。

2008年の北京五輪をひかえて成長の角度を高めた中国が、世界中の資源を買い占め始めました。

 

需要が回復すると値段も上がります。

厚鋼板相場は「8万円台」に乗せていきます。

そして価格の上昇とともに仕事量も徐々に増えました。

 

とても不思議に思うのですが、同じ買うなら安いときに買えばよいのに、価格が高いときの方がお客さんは増える。

面白い心理というか現象です。

 

人間は安値に慣れると「いつでも買える」「もっと安くなるのではないか」と思うのでしょうか。

そして高くなると「物が無くなると困る」「もっと高くなる前に買っておこう」と思うのでしょうか。

去年のマスク騒動がそうでした。ひと箱数千円のマスクに長蛇の列が出来ました。

 

バブル崩壊後の30年間にわたる日本経済の長期不調は、前者の思考パターンが支配していたと思わざるを得ません。

モノの値段が下がり続け、需要が縮小し続けました。

 

■ リーマンショックの衝撃

 

そして大波乱だった2008年を迎えます。

夏の北京五輪に向けて様々な資源が高騰します。

ガソリンは1リットル180円を超えました。

あらゆる金属類の価値も上がり、「マンホールのふたが盗まれる」という社会現象もありました。

 

鉄スクラップ価格は7月に最高値のトン6万円台を記録(年初の2倍)。

つれて鋼板相場も過去最高の「12万円台後半」まで急伸します。

 

8月に北京五輪が閉幕、そして9月にリーマンショックが世界経済を痛打しました。

アメリカ経済の暗転とともに世界需要が縮小します。

あれほど急な階段を上った鉄鋼相場でしたが、まさに2階に上ってハシゴを外された格好でした。

スクラップ価格はその年末に6,000円水準まで暴落。半年で10分の1です。

厚鋼板相場ももとのトン「8万円台」に向けて足早に値を下げました。

 

この急伸と急落で鉄鋼業界は大きな痛手を負いました。

高値で契約したものの、それが入荷したときにははるかに安い値段でしか売れない。いわゆる逆ザヤです。

 

リーマンショックの翌年、この在庫評価損により当社も創業以来の大きな赤字を計上しています。

 

■ ふたたび巡ってきた高値

 

素材産業である我々は米国経済の動向、中国など新興国の台頭、原油相場など、つまりは海外情勢に大きく翻弄されます。
考えてみれば鉄鉱石も石炭も輸入頼みです。そして日本円の実力が下がれば下がるほど、国内の購入価格は高くなります。

 

リーマンショックから12年が経ち、もう一度「12万円台」の相場にまで値を上げてきたのが今回の相場展開です。

その上昇ピッチの速さも2008年をほうふつとさせる勢いでした。

バブル経済を知る60代の鉄鋼マンたちが「今回のような高値は初めて」と口をそろえます。

景気が良いとは全く言えないにもかかわらず、この相場高騰。

これから先の日本経済にどんな影響をおよぼすのか、心配です。

 

■ 安いニッポン

 

バブル崩壊から30年、経済の「負け戦」で日本には安値意識が浸透しきっています。

なによりも日本の賃金がほとんど上がっていないからです。

 

最近のニュースで教えられたのですが、日本の平均年収はすでに6年前から韓国にも追い抜かれていたようです。

給料が上がらないから、牛丼やユニクロに象徴されるように値段の安い商品が歓迎されます。
コロナ前にインバウンドの外国人観光客があれほど日本に殺到していたのは、

日本そのものに魅力があるのは当然にしても、「日本は安い」からだったという指摘に説得力を感じます。

あのコロナ前の爆買いの光景が、その証明です。

 

この30年間、我々はそんな「安いニッポン」に慣れきってしまい、値上げにとても神経質です。
しかし、我々の商う鋼材は「海外情勢」というまったく別の論理で価格が大きく上下します。

 

日本が足踏みをしている間に、中国など新興国は急激な成長を遂げました。

マグロやサンマが中国市場に向かうように、鉄鋼も新興国の高値に引き寄せられる。

 

値上げに不慣れで臆病になった日本市場に、過去最高値を更新し続ける鋼材を売ってゆくこと。

それがこれからの我々のビジネスの難しさだと思います。

 

 

 

 

■ 変わることのない原則

 

過去の教訓から得たこと、

つまり「品質は絶対に守る」「安売りをしてはならない」という原則を守りながら、これからの新しい局面に向かいます。

 

当社の設立は1952年です。第1期から第40期(1991年)あたりまでが日本経済の上り坂でした。

第41期からいまの第70期(2021年)までが大きな下り坂。

そんな流れでとらえることができそうです。

 

ここから第100期(2051年)に向けての30年間、果たして世界情勢、国内事情はどう変化するでしょうか。

 

どんな時代になろうとも、過去の教訓から得た原則を守りながら、誠実な商売を貫くことを改めて決意したいと思います。

 

2021年11月25日
坂元鋼材株式会社 代表取締役 坂元正三

 

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