ベトナムから日本を考える [給料袋メッセージ 219]

 
 
 

【ベトナムから日本を考える】

 

きょうは25日、給料袋メッセージを書きました。

15年ぶりに訪問したベトナムでチャレンジングな国民性に触れました。

そこで思うのは、やはり日本のことでした。

[通算219号]

 

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社員の皆さん、ご家族の皆さんへ

 

2月中旬、大阪鐵鋼流通協会(OSA)の海外視察ツアーに参加して

ベトナム(ホーチミン市)を訪問しました。

 

 

 

 

当時から外国資本の導入で経済が活気づいていました。

いまも年率7-8%と、高い経済成長率を維持しています。

ベトナムで考えたことを書いてみます。

 

■ 帝国主義との闘いを勝ち抜く

 

ベトナムは中国という大国に隣接するがゆえに、

その支配と闘い続けた歴史を持ちます。

 

「三国志」に出てくるエピソードで知られるように

、諸葛孔明が南蛮「征伐」に出かけたのがベトナムです。

南蛮の王・孟獲(もうかく)を7度捕らえて7度解放する故事に、

私も少年時代に心躍らせました。

いま思うと、支配者の作る歴史でしたが。

 

中国との苛烈な支配・被支配関係があったためか、

ベトナム人の対中感情はいまも複雑なようです。

 

近代はフランスの植民地(19世紀後半~)、日本支配(1940-45年)がありました。

フランスからの独立戦争(1946-54年)、

そしてベトナム戦争(1955-75年)でアメリカを敗退させるまで長い闘いの歴史が続きます。

 

こうした歴史から不屈の精神を持つ粘り強い国民性が錬磨されたとされています。

 

その後は社会主義政策で経済が低迷するも、中国の改革開放をモデルに経済自由化を推進。

それが奏功して2000年代から現在に続く経済成長を手にしています。

 

■ 起業家としての夢の実現

 

今回のツアーの主眼はOSA会長である

井上浩行社長(大裕鋼業株式会社)の現地工場を訪問すること。

 

井上社長は30代でベトナムを初めて訪問し、

そのエネルギッシュかつ親しみやすい人々に感銘を受けます。

 

「いつかこの国でビジネスをしてみたい」

「海外にも拠点を持つ強い会社を作りたい」

「社員に夢や希望を与えたい」

 

その思いを50代になって実行します。

 

2013年、最初はホーチミン都心に小さなオフィスを借りて現地調査。

翌年、郊外の工場団地にある現地企業の工場を買収し、拠点を構えます。

 

地道な営業努力を重ね、取引先数が拡大。

現地事務所の開設から2年11カ月、ついに月次が黒字となります。

 

しかしその後もコロナ発生、現地社員の不正行為など苦難も続きます。

紆余曲折を経て、いまや取引先が約450社、売り上げ9億円の規模に育て上げられました。

 

 

 

■ チャレンジングな国民性

 

井上社長から聞く印象的なエピソードです。

初めてベトナムに来て机3つだけのオフィスを借りた時のこと。

通訳の女性を雇いました。

 

5カ国語(越英中韓日)ができる逸材ですが、日本語が最も苦手でした。

しかし彼女は「だから日本企業に応募した」と言いました。

ベトナム人の挑戦精神、向上心が垣間見えます。

 

またベトナム社会は転職が激しい。

特に若いうちは様々な職種を転々とするようです。

自己の可能性を試すチャレンジングな国民性で、安定よりもチャンスを求める価値観が強いようです。

 

■ ベトナムの起業家たち

 

ツアーではベトナム人起業家の工場2社を訪問しました。

どちらも金属加工業で、1社は当社と同じレーザー加工業でした。

 

2社ともに、ホーチミン近郊あるいは都市部で充実の設備を取りそろえた工場展開。

「アマダ」「マザック」など日本の最新鋭マシンがひしめいています。

 

さらに欧州トップメーカー(バイストロニック)のレーザー加工機がずらり。

高級機がいくつも鎮座する工場は壮観でした。

彼らの共通点が「日本体験」です。

一人は群馬県、もう一人は大阪府の製造業で勤務経験がある。

日本の高いクオリティを母国で実現しようと奮闘しています。

 

20代に日本でモノづくりを学び、やがて帰国。

30代で起業し、40代のいまは業容拡大に驀進。

エネルギッシュな彼らを見ていると、「昭和」の日本を彷彿とさせます。

 

昨日より今日、今日より明日。確実に発展する社会を確信し、積極投資を恐れない。

国の経済発展と歩調を合わせて大きく事業を伸ばしています。

 

■ 外国にいて見える日本の良さ

 

エネルギッシュな常夏の国にいて、やはり日本を思わざるを得ませんでした。

 

高度成長期を経た日本は低成長期に入りました。

「失われた30年」も35年になろうとしています。

鉄鋼需要も大きく減りました。

 

しかし外部環境の厳しさはどうあれ、社業を維持発展させる経営者がいます。

海外進出を成功させる経営者もいます。

「打つ手は無限」という名言を思い出します。

 

さらに、海外にいると日本の良さも見えます。

良好な治安、安定した社会情勢。

これは諸外国に目を転じると明らかです。

 

ウクライナや中東では戦争やテロの惨禍がやみません。

欧州は移民問題の激化、アメリカは銃犯罪や治安への恐怖がついてまわります。

中国も世界第2位の経済大国とはいえ、その監視社会ぶりや政治的制限は厳しいものがあります。

 

日本は戦後80年間、先人の苦労のおかげで戦火を免れてきました。

中小企業家としてビジネスだけに集中することを許されてきた80年です。

 

さまざまな分野でのクオリティの高さも、実感します。

水道水がそのまま飲めるというありがたさは、外国に出て初めて実感するもの。

工場生産にとって重要な電力も、停電とはほぼ無縁です。

 

社会インフラの充実を考えても、

諸外国と比べて格段に安定した社会ということをあらためて実感します。

 

 

 

 

 

■ 逆境を克服し続けた日本

 

同時代の世界を見る横軸の次に、

こんどは日本の歴史をさかのぼって縦軸でも見てみます。

 

明治期以降の日本はまさに国の存亡が試された時期でした。

私はNHKのテレビ小説「おしん」(1983-84年放映)が人生のバイブルになっていて、

10年に1度くらいの頻度で全話を見返しています。

 

そこで描かれたドラマを見ると、

明治・大正・昭和前半の日本は庶民や中小企業家にとって

相当に苛烈な時代だったことが分かります。

 

主人公のおしんは7歳で「口減らし」のために奉公に出されます。

私の長女(13歳)や長男(8歳)よりも、まだ幼い。

それなのに過酷な労働に身を投じています。

当時は貧しい農村では生きていけなかった。

 

いまの時代からは考えられませんが、生きるために中南米や満州への大量移民もありました。

おしんでも困窮した農村から南米を目指して移民していく人々が描かれています。

 

 

 

戦前の日本はアジアに戦争を仕掛ける一方、国内では庶民の生活も非常に厳しかった。

国家総動員体制で経済が統制され、徴兵に取られ、戦争末期には多くの都市が焦土と化しました。

とても経営に専念できる時代とは言えません。

 

1935年(昭和10年)に当社を創業した祖父母も、

1941年から1949年までの8年間は商売を休止して兵庫県の故郷に帰っています。

祖父は戦争末期に兵役に服しています。

 

終戦直後は焼け野原、極度のインフレ、物資不足です。

祖父母は1949年に大阪に戻ってゼロからの再出発でした。

 

闇市のコメで空腹を満たし、

畳を買うお金がなくて「むしろ」を敷いての生活だったと祖母からよく聞かされました。

 

やがて1960年(昭和35年)あたりから1990年(平成2年)近くのバブル期まで、

30年ほどの高度経済成長期が続くわけです。

この時代、日本は経済成長率10%ほどを維持し続けました。

 

このように明治維新から現在までの160年ほどの歴史を見ると、

中小企業家にとって経営が比較的楽だったのは、

たった30年ほどに過ぎないということです。

 

そして我々は幕末・明治維新、そして敗戦という2つの大きな逆境を克服した、

ベトナム人にも負けない不屈の闘志を持った国民だということが分かります。

 

 

 

 

 

■ 自らの置かれた環境は最高最善

 

久しぶりに出た外国で気づいたのは、やはり日本の良さでした。

横軸で見ても縦軸で見ても、いまの日本はビジネス環境としても恵まれています。

中小企業経営者として「あるもの」への感謝を新たにします。

 

ベトナムのチャレンジングな国民性に触れ、

先輩経営者の挑戦する生き方を見せてもらい多くの刺激を頂きました。

 

日本はもっともっと奮起できるし、せねばならない。

私も経営人生の後半に差し掛かって、もっともっと挑戦したい。そう思わせられた旅でした。

 

2025年2月25日

坂元鋼材株式会社 代表取締役 坂元正三

 

 

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