不況、またよし [給料袋メッセージ 198]

【不況、またよし】

 

 

給料袋のメッセージを書きました。

私たちは景気の波というものを相手に商売をしています。

良い時ばかりではない。

そうでない時にどうしたらよいか、考えました。

 

 

[通算 198号]

 

 

 

 

 

 

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社員の皆さん・ご家族の皆さんへ

 

 

今期(第72期)も9月で半分が過ぎました。

足元の業績は3年ぶりの低水準です。

 

 

鉄鋼業界は景気の変動をかなり受けやすい。

過去をすこし振り返って考えてみます。

 

 

■ 不況期だったこの4年

 

 

私が3代目を継いだのが1999年。

バブル崩壊後の金融不安の底にあった頃で、

鉄鋼需要は冷え切っていました。

 

 

そこからの約10年間、景気が回復していきます。

世界経済をけん引したのが中国経済の急成長でした。

あらゆる資源相場が上昇し、鉄鋼も活況を呈しました。

 

 

頭打ちとなったのが2008年のリーマンショックです。

翌年にかけて世界経済が急降下、鋼材価格も大暴落。

ここで当社も過去最悪の赤字を計上しています。

 

 

2010年あたりから経済は再び上昇に転じます。

ちょうど経営改革が始まった当社の業績も、

ここから右肩上がりになりました。

 

 

異変が生じたのが2019年、

米中貿易摩擦で世界経済が足踏み。

 

 

2020年からのコロナ期間をへて現在までの4年ほどは、

総じて下降トレンドの中にあります。

 

 

仕事量は7割水準で推移しました。

業界団体のまとめを見ても、だいたい7割です。

驚くほどの一致です。

 

 

■ 好況よし、不況またよし

 

 

景気の変動は波のようなもので、大波・中波・小波がある。

避けては通れない。

ならば不況の時の過ごし方でその会社の未来が変わる。

 

 

このことを考えると「好況よし、不況またよし」という

松下幸之助氏(パナソニック・創業者)の名言を思い出だします。

 

 


 

 

好況はよいが、不景気は困る。

これが多くの経営者の正直な感懐だろう。

しかし、松下幸之助の景気観は違う。

 

 

「好景気のときは駆け足をしているようなものだ。

一方、不景気はゆるゆる歩いているようなものだ。

 

 

駆け足のときは他に目が移らないから

欠陥があっても目につかないが、

ゆるゆる歩いているときは

前後左右に目が移るから欠陥に目がつき、

修復訂正ができる」

という。

 

 

つまり、景気が悪く商品が売れないときは、

それまで手が回らなかったアフターサービスを徹底する、

社員教育に力を注ぐなど、不景気なりに利点がある。

 

 

世の中が不景気で停滞しているときに、こうした努力をすれば、

「不景気こそ千載一遇のチャンス」にもなるというわけだ。

 

 

(松下幸之助 .com)

 


 

 

パナソニックのような大企業も

小さな町工場からスタートしています。

最初の試練が1929年の大恐慌(昭和恐慌)だったようです。

 

 

仕事が激減するなかで松下氏は

「一人の社員も解雇しない」

「賃金も守り抜く」

と決心し、在庫を徹底的に売りつくすように指示します。

そして一致団結を作り出しました。

 

 

厳しい冬の時代に企業発展の土台を作っています。

 

 

■ リーマンショックに感謝

 

 

当社にとっての「不況またよし」はリーマンショックによる

大赤字(2009年度)からの経営改革に相当します。

 

 

会社始まって以来の大赤字を経験しました。

「どんな不況でもビクともしない会社を作る」

そう心底から念じました。

 

 

結果、それから13期連続の黒字です。

財務状況が一変しました。

 

 

当時の自己資本比率10%

(自己資本5000万円・社員1人当たり400万円水準)

だったものが、一時は70%を超えました。

 

 

今年2月に新しい土地を購入したために

借入金が膨らみましたが、

それでも自己資本比率は55%

(自己資本4億円・社員1人当たり2600万円水準)です。

 

 

「どんな不況でもビクともしない会社」

に一歩ずつ近づいています。

 

 

まさに「不況またよし」。

もしあの大赤字がなければ、私は経営の学びに出ることもなく、

ぬるま湯のままに無計画な経営をまだ続けていたでしょう。

 

 

■ 慰謝料請求に感謝

 

 

改革が始まって3年目だった2013年9月、

私が退職させた社員から「不当解雇」ということで

慰謝料請求がありました。

 

 

今月でちょうど10年です。

 

 

これを機に私は経営者としての自分の在り方を反省しました。

私はまさに他責思考。

社員への感謝の気持ちのない、至らない経営者でした。

 

 

批判する・責める・文句を言う・ガミガミ言う――。

 

 

そのように外側からの強い刺激で

他人をコントロールしようという試みがいかに無意味か、

この事件から痛みとともに教えられました。

 

 

だから社員の願望を叶えることを自分の願望とすることに

シフトするよう努め、会社の在りたい姿を示し続けました。

 

 

採用と育成にも力を入れました。

 

 

そこから社員の離職が止まりました。

今月で離職ゼロ10年です。

 

 

1999年に私が3代目を継いでから慰謝料事件までの

定着率が3割でしたから、全く別の会社になった

と言っても過言ではありません。

 

 

いまも人間関係にまつわる問題がゼロ

というわけではないでしょう。

 

 

しかし水質のまったく違う会社になれたこと、

働く仲間同士の人間関係がどれほど大事か

ということを皆が理解して働いてくれていること。

 

 

いくら感謝してもしすぎることはありません。

 

 

私が未熟だったばかりに不幸な別れ方をした多くの社員に、

申し訳なく思っています。

 

 

しかしその痛みを経験したからこそ、

会社も私も鍛えられました。

 

 

 

 

 

 

 

■ この不況への感謝

 

 

この10年間に作り出すことが出来たのが

一致団結の社風です。

おかげで7割の仕事量でも黒字を確保しています。

 

 

適正人員数を守り、

少数精鋭で教え合い・助け合いを続けてきた結果です。

 

 

この4年間の不況期、

さらに新しいチャレンジを続けました。

新規開拓に改めて力を入れました。

 

 

小さな仕事をいただき、

誠心誠意よい仕事をして信用を積み重ね、

定着していただくことを目指しています。

 

 

既存顧客に対しても、大石君や前田君を中心に

丁寧に回ってくれています。

仕事が減ったこともあり、

お客様のところに足しげく通ってくれています。

 

 

不況期は同業他社もしのぎを削ります。

サービスが磨かれる一方、価格競争もまた激化しています。

生き残りのためにどの会社も必死です。

 

 

そんななか、当社に対するご不満もお聴きしました。

厳しい瞬間です。

 

 

お客様の声に真摯に耳を傾け、

お客様に選ばれるように常に努力せねばなりません。

 

 

品質・サービス・価格、その総合点で

ご満足いただかなければならない。

そう痛感します。

不況期だからこそ、仕事をあらゆる観点から見直します。

 

 

■ 苦労イコール不幸ではない

 

 

「不況またよし」といえば、

厳しかった境遇への感謝もあります。

 

 

私が28歳の時に父が重病になり、慌てて大阪に帰ってきました。

翌年に父はこの世を去り、私は未経験なまま経営者になります。

 

 

父が62歳という若さで他界したことは残念でなりませんが、

そのおかげで私は若くして経営を任されるという得難い経験をしました。

 

 

それから人一倍熱心に働いた自負はありますが、

経営者としての確固たる信念も定見もなかったことが

失敗の原因だと悟ります。

 

 

リーマンショック後に様々な学びを始めたのは、

理の当然でした。

 

 

そんななか出会った師の一人・木村塾の

故木村勝男会長の言葉です。

 

 

「給料をもらう側と払う側、どっちの苦労が大きい?

そう、払う方が何倍も苦労する。

でもな、苦労イコール不幸ではないねん。

苦労は人を磨くんや。苦労は自分を成長させてくれるんや」

 

 

そう、しみじみとおっしゃいました。

 

 

14歳から働き、さまざまな仕事を経験する中で

木村会長が見つけた哲学でした。

 

 

「問題が器を大きくしてくれる。

大きな問題が来るということは大きな器になったということ。

その人の器以上の問題は来ない。

天はその人に乗り越えられない壁は与えない。

やると決めたら方法が出てくる。

逃げたら出てけえへん」

 

 

そう発破をかけられました。

 

 

リーマンショックのおかげで様々な学びに出会い、

人生観が鍛えられました。

試行錯誤する中で今があります。

 

 

 

 

 

 

 

■ 楽は苦の種、苦は楽の種

 

 

「不況またよし」という言葉に共通するのが

「楽は苦の種、苦は楽の種」です。

 

 

古くからの言い伝えのような言葉ですが、

当社の創業者の一人である私の祖母(坂元はる)の口癖でした。

 

 

祖父とともに着の身着のままのような状態で

故郷から大阪に出てきてゼロから商売を立ち上げた苦労人です。

 

 

さて、いま会社は72期。あと28年後に第100期。

永続する企業の象徴である百年企業になります。

 

 

どんな不況にもビクともしない強い財務体質を持つこと、

そして人の育つ良い会社にすること。

このビジョンのもとに長期計画を進めています。

 

 

28年後、私は82歳です。

皆さんは、いくつになっていますでしょうか?

 

 

特に今の若手・中堅の社員の皆さんは、

まだ在職の年齢だと思います。

 

 

その時、この会社のかじ取りをし、

あるいは幹部としてぜひ会社を支える側に立っていてほしい。

 

 

相応の苦労はあります。

しかし、それに倍する成長と報酬が必ず待っている。

そんな世界を一緒に作り出してまいりましょう。

 

 

今月もお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

2023年9月25日

坂元鋼材株式会社 代表取締役 坂元正三

 

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