人に助けられた24年間 [給料袋メッセージ 195]

【人に助けられた24年間】

 

きょうは夏季賞与の支給日。

毎年、父の命日の前後に当たります。

 

父を見送ってからの24年間を振り返りました。

多くの人のお世話になり、助けられ、いまがあります。

 

感謝とともに、この不思議さをしみじみ思います。

 

[通算195号]

 

 

(▲この24年間を凝縮して語ります!)

 

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社員の皆さん、ご家族の皆さんへ

 

いつも社業への貢献、ありがとうございます。

きょうは夏季賞与の支給日。先代社長だった父の命日に重なります。

夏の賞与の文章で父のことを振り返るのも恒例になりました。

 

父が世を去ったのは1999年7月6日。

すい臓がんが見つかってわずか1年ほどでした(享年62)。

 

ことしは6月末の日曜日に25回忌の法要を行いました。

父を見送って24年、つまり十二支が2回り。

当時29歳だった私は53歳になりました。

 

そんな年月が経ったとは信じられないくらいです。

それは未熟な私が会社を経営した24年間と重なります。

 

父が他界した1999年はひどい不況でした。

当社の経営状態は良くなく、父は行く末を案じていました。

 

我流経営でスタートした私は紆余曲折、アップダウンをたくさん経験しました。

 

転機となったのが2008年のリーマンショック・2009年の大赤字でした。

 

そこから改革を進め、その後は経営が徐々に良くなりました。

13期連続黒字で財務状況も好転。

社員が定着して離職ゼロが10年になろうとしています。

 

父も生きておれば86歳。

できればこの状態を見届けてほしかった。そう思わざるを得ません。

 

 

(▲父と私=幼稚園の年長のころ=わたし6歳・父38歳)

 

■ 家族・親族の結束

 

この24年間、多くの人たちのお世話になりました。

まず2人の姉が強力に私を支えてくれました。

 

上の姉は取引先に嫁いでいて陰に陽に坂元鋼材をバックアップしてくれました。

その存在がどれほど心強かったか、あらためて言うまでもありません。

 

2番目の姉は中上さんです。

結婚と同時に坂元鋼材に入りましたから、もう誰よりも長い社歴です。

私が社長として仕事をできているのは姉のおかげです。

献身的に働き、それを誰にも気づかせない心。

わが姉ながら、すごい人物です。

 

私たち3姉弟は父が大好きでした。

だから3本の矢として結束したのだと思います。

それが24年間の原動力でした。

 

そして妻の由妃、生まれてきてくれた子供たち。

家族の存在が私の頑張る一番の理由です。

 

平日はほとんど自宅に寝に帰るだけですが、

妻が家族を守ってくれているからこそ仕事に全力を尽せています。

 

85歳になった母。

いくつかの手術はしたけれども健康そのもの。

父の分まで元気で長生きしてくれています。

 

家族・親族が結束して会社を盛り立ててくれていること、感謝しかありません。

 

■ 社員の皆さんの尽力

 

24年前、私はまだ社歴1年でした。

父のがんが発覚し、あわてて大阪に帰ってきた私。

鉄も商売も、まして経営の何たるかも一切分かっていなかった。

 

そんな私についてきてくれて、支えてくれたのが当時の社員さんです。

先日他界された塩谷さん、3年前に定年退職された荒川さんをはじめとするベテラン社員さんたち。

 

不景気な時に父がいなくなり、後を継いだ息子(私)はヒヨッコ。

さぞかし心配だったことでしょう。

 

当時の社員さんがみな父のことを慕ってくれていました。

だから全力で私を支えてくれました。

 

もう当時の社員さんはすべて卒業されました。

本当にお世話になりました。

 

■ 不思議なご縁

 

父が不在になって数カ月後のこと、当社にひょっこりと来られたのが橋本さんでした。

お勤めだったT鋼材さんが廃業し、当社に移籍してくれました。

 

橋本さんは生前の父と懇意にしており、父は橋本さんの仕事ぶりを気に入っていました。

 

「社長、もしT鋼材がやめたら雇ってや!」

「おう!」

 

という会話がなされていたとのことです。

 

橋本さんはこの道30年近いベテランで、アイトレーサー(ガス溶断)の達人でした。

ちょうど当社でアイトレーサーを使っていたベテランさんが退職するタイミングでした。

 

橋本さんの切断技術は実に見事なものでした。

「橋本さんが切るから坂元鋼材に仕事を出す」というお客さんが現れたほどです。

当社の技術水準を大きく引き上げてくれました。

 

 

(▲アイトレーサーと橋本さん)

 

その橋本さんが「よく知っている若者がいる、紹介したい」と連れてきたのが前君。

いまや当社の工場長であり大幹部。

この人脈の連鎖を不思議に思わずにはおれません。

 

同じことを佐々木さんと吉山さんにも感じます。

リーマンショック後に廃業した同業他社から当社に移籍してくれたのが佐々木さん。

CADと営業事務のプロでした。

 

その佐々木さんが連れて来てくれたのが、

前職でコンビを組んでいたアイトレーサーの名人・吉山さん。

 

それは、当社で12年間勤めてくれた橋本さんがご体調もあって退職する時期に重なりました。

その吉山さんが当社の技術水準をまた高めてくれました。

 

 

■ 若手社員たちの成長

 

このころから当社の採用は新卒(あるいは若手だけ)になりました。

それ以前は社員を採用してもなかなか定着せず、離職のさいには痛みも伴いました。

 

しかし「一緒に働きたい社員像」をみんなで明確にしてチームで採用に取り組んだ結果、

素晴らしい若者が続々と入社しました。そう、皆さんのことです。

 

新卒で未経験な若者が入社するので、課題は育成でした。

進めたのが「教え合い」です。

 

社員同士がお互いに仕事を教え合い、育て合う。

すると、とても水質の良い組織になりました。

 

その結果、ことしの9月で離職ゼロが10年になります。

 

 

(▲工場長の前君、リーダーの大石君)

 

 

■ さまざまな社外の協力者

 

社外の人たちにもたくさん助けられました。

 

当社発展の起爆剤となったのが2002年のプラズマ加工機の導入。

そのご縁をくれたのが武市商会の故・武市会長でした。

 

プラズマだけでなく隣地の土地購入も世話してくれました。

地権者に熱心に掛け合ってくれて、当社が購入できるように縁をつないでくれました。

15年前に第3工場が建ったのは武市会長のおかげです。

 

さらに今年2月、当社裏の工場跡地の入札に際しては、

その息子さんである武市社長のアドバイスが奏功しています。

親子2代にわたって土地購入ではたいへんお世話になりました。

 

 

 

(▲故・武市雅男会長=私の結婚式にて)

 

経営コンサルタントの立道岳人先生(株式会社久遠経営)は、

顧問に入っていただいてもう15年です。

キャッシュフローや決算書の読み方を丁寧に教えていただき、

当社の財務を根本から見直してもらいました。

おかげでリーマンショック後の窮地を切り抜けることが出来ました。

税理士先生、社労士先生、弁護士先生、

さまざまなプロの専門家の方々にお世話になったことを挙げればきりがありません。

本当にたくさんの社外の方々に助けていただきました。

 

(▲立道岳人先生と。六甲縦走の終着点・塩尾寺にて)

 

■ 学ぶことの喜び

 

それにしても転機はやはりリーマンショックと翌年の大赤字でした。

これを機に社外に出て経営に関する学びを始めました。

 

なかでもアチーブメントの青木仁志先生と佐藤英郎先生に教えていただいたことは、

経営のみならず人生を根本から見直すものでした。

 

青木先生の「ビジネスはサクセス、プライベートはハピネス」という言葉から、

バランスよく成功することが人生には不可欠だと教えられました。

おかげで平日は仕事どっぷりでも週末は家族100%の生活です。

 

私は41歳で第1子、46歳で第2子が生まれましたから長生きは必須です。

週末に家族と過ごす時間はまさにゴールデンタイム。青木先生の教えを生涯守ります。

 

佐藤英郎先生からは不屈の闘志、感情を律すること、生涯現役でいることなど、

その超魅力的なお人柄を通じてたくさんのことを教えられています。

 

(▲青木先生と佐藤先生。2018年2月、JPSAベーシックプロスピーカー合格の時)

 

■ 逆境に勝る師なし

 

木村塾(BS経営)の故・木村勝男会長との出会いも一生モノでした。

バランスシートを重視して長期的な視点で会社を発展させるという視座を授けられました。

 

「逆境に勝る師なし」

 

「ビジネスの失敗は人生の失敗ではない、むしろチャンス!」

 

「やってみなわからん! やったことしかのこらん!」

 

そうハッパを掛けられました。

 

私が最も苦しかった時代に、挑戦する勇気をもらいました。

木村会長が他界されて5年、その教えはますます胸に響きます。

 

さまざまな師と出会えた40代は、黄金の10年間でした。

 

 

(▲故・木村勝男会長と。2015年12月・木村塾にて経営報告をさせていただいたとき)

 

 

■ 人に恵まれた24年

 

このように父不在の24年間、本当に多くの方々に支えられ、助けられ、導かれてきました。

私が窮地に陥った時に、まさに絶妙のタイミングで力になってくれる人が現れています。

 

思えば不思議なことです。

 

まるで父が天上から下界をのぞいていて

「ほほう、正三が困っとるな。わしの代わりにこの人をつかわそう」と、

私のもとに数々の素晴らしい人々を連れてきたように思えてなりません。

 

父さん、ありがとう。

 

先日、父の法事を行ったのは2年前に父祖の地からお墓を持って帰ってきた生駒の長弓寺でした。

自宅からすぐの場所で、息子と私の散歩コースです。

 

じいちゃん、ばあちゃん、父さんが眠っています。

先祖が近くにいることが目に見えないパワーとなって私を守ってくれている、そんな気がします。

 

私がここに入るのは30-50年後の予定。

それまでに与えられた命を世のために生かし切ります。

楽しみでなりません。

 

父が守ってきた会社。

みんなとともに力を合わせて発展させていきます。

これからも私と会社にお力をおかしください。

 

2023年7月7日

坂元鋼材株式会社 代表取締役 坂元正三

 

 

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(▲父の25回忌にて)