【人生とは人格を完成させる旅】
きょうは25日、給料袋メッセージを書きました。
先週、アチーブメント株式会社の青木仁志社長が古希を祝われました。
私は40歳で青木社長に出会って、いま55歳。
学び続けた15年間を振り返りました。
[通算220号]
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社員の皆さん、ご家族の皆さんへ
先週の2日間、アチーブメント・青木仁志先生の古希祝いのイベントに参加してきました。
すでに日本を代表する能力開発トレーナーでいらっしゃいますが、
このたび米国ナポレオン・ヒル財団より
「成功哲学の考えを実践して実績を出し、社会に大きな貢献をした人物」
としてゴールドメダルを受賞されました。
アジア人初の快挙ということです。
きょうは、私が青木先生に出会ってからの15年間を振り返り、
会社の過去・現在、そして未来を書いてみます。
[青木仁志先生の古希祝い(JPSA主催)にて]
■ 解釈の質が人生を決める
先生は幼少期から厳しい境遇で育っておられます。
3歳の時に両親が別れて義理の母親に育てられます。
そこで受けた数々の虐待ともとれる日々が人生のスタートでした。
継母による虐待を先生は後年
「それは能力開発トレーナーとして最高の訓練だった」
とポジティブに解釈されますが、
まさにこの「肯定的な考え方」こそが先生の人生を切り開きました。
「ストーリー(解釈)の質が、人生を決める」とおっしゃいます。
「厳しい躾だったからこそ、いまの私の厳格さが身についた。
生みの母は優しかった。
けれども生みの母に育てられていたらこの価値基準にはなっていなかった。
だから義理の母に感謝だ」
長じて成功の人生を歩まれ、いまも義母への仕送りを欠かしておられません。
「本当に救われたのは自分だ」と述懐されます。
■ 自分を過小評価してはならない
苦しい環境ゆえに早く社会に出ざるをえず、
学校歴がないというだけで偏見にもさらされました。
こんな詩を作って自分自身を励ましました。
私には価値がある
私には無限の英知と知恵がある
私は自分の可能性を信じる
そのように自分自身を鼓舞し、自分の中にある無限のエネルギーを開発していきます。
そして時価総額100億円を超える会社を1代で築かれました。
だから私たち受講生にも力説されます。
「自分のことを低く見ないでください。大きな存在と見てください」
「多くの人は自分を過小評価しすぎる。だから能力開発がなされない」
■ 「実行歴」でしか語れない
若き日には事業で失敗し、3000万円もの負債を背負いました。
その返済のために入ったセールスの世界で「成功哲学」(ナポレオン・ヒル)に出会い、
それが人生を一変させます。
「書いてあることを知識として知っただけで終わらせず、
実行した。誰よりも深く実行した」
「なぜ? それしかなかったから。
学歴もない、家柄もない、何もない。
『実行歴』でしか語れなかった」
セールスで成功し、やがて社会人教育のアチーブメントを創業して
「成功の原理原則」を世に伝えてこられました。
すでに全国で6万人以上が受講しました。
■ 人生は出会いで決まる
さて、ここからが私のストーリーです。
1999年、私が30歳の時に父が他界し、急に会社の3代目を継ぎました。
そこから我流経営を十年続けて会社は迷走、社内はバラバラ。
決定打が2008年のリーマンショックでした。
翌年は会社始まって以来の大赤字。
その2009年、毎月の月次決算がみるみる赤字に染まっていく最中、
私は「なにわあきんど塾」を振り出しに、さまざまな経営の学びに手を出します。
学んだことを一つずつ会社で実行しました。
すると大なり小なり、結果に直結します。
実学の面白さです。
2010年、40歳の時に出会ったのが青木先生でした。
そこで、問われました。
「社員が内発的に動機づけされて生き生きと働く会社、作りたくないですか?」
まさに私が渇望するものでした。
[青木先生と出会って2年目=2011年6月=ピークパフォーマンスコースにて]
■ リーマンショックに感謝
受講して分かったのは、私には理念やビジョンがなかったことでした。
これでは社員も着いてきようがない。
経営者である私自身が
「どんな会社を作りたいか」
「どんな人生を送りたいか」
が不明確だったのです。
ゴールを知らずに走るマラソンでした。
受講を重ねて理念・ビジョンを鮮明に描きました。
それに合致した目標設定をするのに役立ったのが翌2011年に出会った
故・木村勝男会長(木村塾BS経営研究所)でした。
だから、この2年間に私は経営人生にとって決定的な二人の師に遭遇しています。
まさに「リーマンショックに感謝」です。
■ 自社を過小評価してはならない!
当時はリーマンショック直後で売り上げが激減。
だから営業しなければいけないのに、私は尻込みしていました。
当社は小さい、無名、(廉価販売する同業他社に比べて)値段が高い。
それが私の行動を抑止していました。
自社にコンプレックスを持っていたのです。
そんな私に青木先生は問い掛けました。
「坂元さん。では、質はどうなんですか?」
そう問われて自社を「品質」という視点で見てみました。
使っている鋼材は一級品ぞろい、マシンは世界最高峰のレーザー加工機、
そして職人も粒ぞろいです。
質なら決して負けない。
加えて少人数体制で小回りも利くため、
ライバル社よりも「短納期」に強いことが分かりました。
ならば、堂々と売りに行けばよい。
尻込みしている場合ではない。
自社をポジティブに捉えることによって心のブレーキが外れました。
それから15年連続の黒字です。
まさに「解釈の質」が結果を変えました。
■ 外的コントロールとの戦い
一方、なかなか身につかなかったこともあります。
講座では「外的コントロール」を強く戒めます。
「批判する・責める・文句を言う・ガミガミ言う・脅す・罰する・褒美で釣る」
といった行動様式で、外側からの刺激で他人を変えようとすることです。
外的コントロールの手法では人間関係が破壊され、
組織の水質は悪化し、結果としてメンバーの内発的動機付けが働かなくなるからです。
そうではなく
「傾聴する、支援する、励ます、尊敬する、受容する、意見の違いを交渉する」
という人間関係構築の原則へ転換するように勧められます。
しかし私は外的コントロールの悪癖が抜けませんでした。
学んで3年たった時でした。
私の考えを受け入れない女性社員をこっ酷く怒鳴って辞めさせてしまいました。
その結果として「不当労働行為」「不当解雇」だと慰謝料請求されます。
情けない。まさに因果応報でした。
知っただけ、学んだだけ(知識)では成果など出ない。
実践・実行、まさに「実行歴」こそがすべて。
外的コントロールがいかに効果がないか、嫌というほど教えられました。
貴重な授業料を払って、ようやく外的コントロールを手放す習慣に入りました。
私は行動を改め、社員の欲求が満たされる職場づくりを目指しました。
その後は10年間離職ゼロ。
これが好業績を下支えします。
とはいえ不満足な人間関係もゼロというわけではありません。
私の描く理念・ビジョンを受け入れてもらえない事態も生じました。
しかし、外的コントロールによって人を変えることが出来ないのは学習済みです。
そんなときこそ「傾聴する」「意見の違いを交渉する」という行動様式を貫きます。
それでも、話し合いで解決しないなら、と残念な離職もありました。
自分の非力を痛感します。
紆余曲折をへて、いまは過去最高に良い状態です。
価値基準のそろう組織に大きく近づきました。
助け合い・教え合いによる少数精鋭体制こそが当社の強みであり、
心の通い合った結束力あるチームこそが最強です。
「小さくとも日本を代表する超一流の中小企業」
「人の育つ良い会社」
このような経営ビジョンにたどり着きました。
15年連続黒字の結果、
リーマンショック直後に10%だった自己資本比率は、一時70%を超えました。
当時5000万円(社員一人当たり400万円)だった自己資本額は、
もうすぐ4億5000万円(同3000万円)です。
「どんな不況にもビクともしない強い会社」
当社のもう一つのビジョンです。これを追求します。
■ 未来志向の大型投資
この15年間に貯めた4億円の内部留保が力となって、
新工場計画が今年・来年と実現します。
まだ売り上げ4億円台の会社ですが、一連の投資額は7億円を超えます。
一昨年に1カ所目の土地(裏の隣地)を競売で落札したのが計画の始まりでした。
その数カ月後に2カ所目の土地(横の隣地)の購入話が舞い込みます。
このときに顧問税理士(当時)のA先生に反対されたことは、すでに何度も書きました。
「2つ目の土地を買うと借入過多である」
「返済には過去最高益を大きく上回る利益が毎年必要だ」
「銀行は商売だから貸してくれるだろうが、いざ経営が傾いたらどうするのか?」
大きな岐路に立たされました。
A先生のアドバイスに従って隣地購入を断念するか、
それとも未来のビジョンから逆算し、リスクを覚悟して投資すべきか。
「自分を過小評価しない」
「大きなビジョンを描いて逆算して生きる」
「現状維持は衰退の始まり」
「逆境は成功の前奏曲」
「あなたは出来る!」
この15年間に鍛えた積極思考が行動を促しました。
熟慮に熟慮を重ねて2カ所目の土地購入を決断しました。
■ 幸運が続く
そして昨年末、
何と幸運なことに3カ所目(2カ所目の隣地)という縁が転がり込んできました。
もう、このときは即断即決でした。
しかし「蛮勇」ではありません。
政府系2行、地方銀行2行、信用金庫あわせて5行の金融機関すべてに照会し、
支援可能との方向性を確認しました。
何よりも中長期の経営ビジョンから判断すると、買わない選択は皆無でした。
会社を発展させ、もっと社会に役立つ存在になるためには絶対に必要な新工場だと確信しています。
思えばA先生に反対意見をいただいたことにも感謝です。
おかげで財務を改めて勉強しなおして、数字を腹落ちさせました。
そして慎重かつ綿密に計画を進めることができました。
・ 無は有の原点
・ 思考の中に未来がある
・ 偉人とは、目には見えないものを信じた人
これまで学び続けた成功の原理原則を、
当社の未来計画に重ねています。
■ 生涯現役を誓う
今月は、この15年間ご指導いただいた恩師の人生の節目に立ちあえて、感無量でした。
先生のメッセージが心にしみています。
「人生とは人格を完成させる旅。自分が豊かになるのは通過点。
経営者は周りの人をいかに豊かにしたか、それで評価される。
年々よくなる生き方を選択してください」
リーマンショックで最も苦しかった時代だったからこそ必死に学び続けて、今があります。
良い会社を作り、社会に役立つ存在になっていきます。
生涯現役を貫きとおします。これからも力をお貸しください。
2025年3月25日
坂元鋼材株式会社 代表取締役 坂元正三