企業の平均寿命 ーー 永続のための2視点 [給料袋メッセージ 173]

【企業の平均寿命 ―― 永続のための2視点】

きょうは25日、給料袋のメッセージを書きました。
人生はいまや100年時代ですが、企業の寿命はどれくらいでしょうか。
健康・長寿であるために必要なことを考えてみました。
[通算173号]

 

 

 

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社員の皆さん、ご家族の皆さんへ

いつも社業への貢献、ありがとうございます。
きょうは年初にあたって長期的なことを考えてみます。

 

■ 人生百年、企業は何年?

 

「企業の平均寿命」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
会社を作って10年後に残っているのは2-3割などと言われます。

 

満10歳を迎えることのできる企業がそれほど少ないということです。
では企業の平均寿命は何年くらいでしょうか。

 

調べ方によって異なり、時代によっても変化するものですが、最近のニュースからご紹介します。

 

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〔平均寿命は23.3年 ―― 2年連続で短縮〕

 

2020年の倒産企業の平均寿命は23.3年で、前年から0.4年短縮した。

2年連続で前年を下回った。
2019年は深刻な人手不足、消費税増税で倒産が増加。

2020年は新型コロナ感染拡大で経営環境は大きく変化した。

甘い事業計画や脆弱な経営基盤のため創業まもなく事業が頓挫する企業が増え、

2020年は2年連続で平均寿命が短縮した。
産業別で平均寿命の最長は「製造業」の33.4年。

以下、卸売業27.4年、運輸業26.2年、小売業25.1年、建設業22.5年の順。

平均寿命が最も短いのは情報通信業の14.9年だった。

(東京商工リサーチの記事より抜粋・簡略化)

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人間の平均寿命は80-90歳ほどで、いまや人生100年時代です。

しかし企業は20-30年と、短命です。

 

仮に20歳ごろに就職したら50歳になるころまでに

倒産するか廃業するのが平均というわけです。

 

■ 坂元鋼材は70歳

 

当社の創業は1935年(昭和10年)ですが、終戦をはさんで8年間、休業しています。

 

戦後、祖父母が焼け野原の大阪に戻って商売を再開したのが1949年(昭和24年)。

 

そして1952年(昭和27年)に会社を設立しており、これが企業としてのスタートです。

 

人間にみたてると当社は1952年12月27日が誕生日で、いま70歳の古希です。

 

製造業の平均寿命が約30年とすると、ずいぶん長生きです。

 

しかし振り返ると3度の大きな経営危機がありました。

 

■ 昭和40年代の危機

 

最初は1973年(昭和48年)でした。

第1次石油ショックで景気低迷する中、

当社にとって最大の取引先だった「N商事」が倒産します。

 

大量の鋼材を同社に販売したのですが、倒産されてしまうと売掛金が回収できず、

受け取った手形も紙切れ同然(不良債権)になる。

 

一方、当然ながら当社は仕入れ先に代金を支払わなければならない。

払えなければ当社もつぶれます。これが連鎖倒産というもの。

「坂元鋼材も危ない」と悪評がたったそうです。

 

そのタイミングで社長が祖父から父に交代しています(1974年)。

父は37歳。

婿養子として坂元家に入った父が背負った重圧はどれほどのものだったでしょうか。

まさに身を粉にして働いてピンチを乗り越えました。

 

このとき会社は第23期。

もしここで倒産していたら、当社も平均寿命で終わっていたということです。

私はまだまだ無邪気な5歳で、そんな事情など知る由もありませんでした。

 

■ 父から私へのバトンタッチ

 

2度目の経営危機が1998年(平成10年)です。

父に重病(すい臓がん)が発覚します。

3代目になるべき長男(つまり私)は「新聞記者になる」と言って大阪を飛び出していました。

 

息子は好き勝手をしている、自分の健康状態は悪化する、しかもバブル崩壊後は赤字続き。

先行きを案じた父は「廃業」も覚悟しています。

 

しかし、この時に私は「継ぐ」ことを決意しています。

その翌年に父が他界していますから、

もし私が戻ることを選択しなければ、ここで会社は終了でした。

 

 

会社の寿命は47歳だったことになります。

 

父の後を継いだとはいえ、私はずぶの素人。

経営を全く知らず、鉄の知識も商売の経験もない。

 

バブル後の景気低迷は歯止めがかかりませんでした。

私が会社を継いですぐのころ、

父の時代に売上高1位だった会社と2位だった会社がともに倒産しています。

父が最も大切にしていたお客さんです。「まさか、あの会社が!」と父も天上で驚いたことでしょう。

 

さらに鉄鋼業界で有名な社長が倒産し、当社も大きな不良債権を抱えてしまいました。

「まさか、あの大社長が!」。

私はその社長を無邪気に信頼していました。なんにも見えていませんでした。

 

今から思うと、社員とご家族の皆さん合わせて50人以上もの命を乗せた大型バスの運転席に、

無免許運転の私が座っていたようなものでした。

 

 

 

■ 3度目の危機

そして2009年(平成21年)のリーマンショックです。

アメリカの経済危機に端を発した世界同時の不況でした。

 

当社は売り上げが半減。

それも痛かったのですが、最高値で仕入れた大量の鋼材が暴落し、

創業以来の大赤字を出してしまいました。

 

しかも前年に新工場を建ててレーザーを導入したばかりで、

借入金が過去最高に膨らんでいました。

 

 

自己資本比率は10%まで低下しています。

「自分のお金」が10%、「他人のお金」が90%です。

 

他人のお金は返さなければならない。

返せなければ会社はつぶれれる。
もしこの時に破綻していれば会社の寿命は58歳だったことになります。

 

■ 危機はいつ訪れるか?

 

当社の70年間を振り返ると22歳、47歳、58歳のときに

命取りになりかねない大きな出来事に見舞われていました。

 

ここからわかることは何か?

 

世の中の景気は10年や20年のスパンで大きく変動しているということ。

そして不況の時に危機が訪れやすいということ。

それが第1点です。

 

石油ショック、バブル崩壊、リーマンショック、そしていまのコロナも。

 

自社がいくら頑張っても、業界やお客さんが不調ならば影響を受けます。

モノの売れ行きは景気という「風向き」でまったくと言っていいほど変わることは、

この2-3年の状況からも実感できます。

そしてお客さんが倒産すれば連鎖倒産になりかねない。

 

会社はお金が途切れるとつぶれます。

そして外部環境の変化は周期的に襲ってくる。

 

ということは、どんな事態にもじたばたしないように

「自分のお金」を手厚く持っておくこと。

自己資本の大切さです。

 

■ 世代交代を乗り越える

 

経営危機が起こりやすい第2点は「世代交代期」です。
初代から2代目に移行するとき、父が後を継いだから会社の命脈がつながりました。

 

まじめを絵に描いたような父でしたから、

まさに寝食を忘れて商売に励んだに違いありません。

そして父から3代目の私への承継も同様です。
いまでこそ「無知なまま経営者になった」という恐怖感を覚えますが、

当時は自分が分かっていないことすら分かっていない。

 

「絶対につぶしてはならない」というコケの一念だけでした。

当時の社員さんたちは父を慕ってくれており、

不肖の息子である私に最大の協力をしてくれました。

 

それまでに積み上げてもらった自己資本、

そして父が体を張って残してくれた生命保険という資金面のバックアップも大きかった。

まさに経営をつなぐのは「ヒト」と「カネ」であることをあらためて認識します。

■ 永続、という理念

信用、成長、貢献 ―。それが当社の3つの理念です。

それに加えて「永続」 というキーワードが脳裏に浮かびます。

30年後の2051年、当社は第100期となります。

永続する企業の代名詞である百年企業です。

そのために何が必要か、それもハッキリと見えます。

「自己資本を積むこと」

 

「人を育てること」

リーマンショックから始まった経営改革で目指してきたのがまさにこの2点でした。

「強くて良い会社」をつくることです。

強い会社とは売り上げの大きい会社、人数の多い会社ではなく

「社員一人当たりの自己資本」の厚い会社です。

良い会社とは人が育つ会社、徳と才を兼ねそなえた立派な社員が育つ会社です。

仕事ができて、仲間思いで、だから人に仕事を教えることができ、

いまだけでなく将来のことを常に考えることのできる人です。

 

 

 

 

■ 百年企業は日本の宝

 

木村塾の故・木村勝男会長がよくおっしゃっていました。

「百億企業よりも百年企業のほうが上」

「百年企業は日本の宝、二百年企業は世界の宝」

 

30年後といってもわりと近い未来です。

私は82歳になっていますが、いま20代の社員からするとまだ50代。

ここで会社が終わるわけではない。企業は永続です。

 

私たちにとっての百年企業とは「100年先も存在しつづける企業」です。

次の100年間も世の中のお役に立ち、存在を許される企業であること。

景気がどんなに変動しようともびくともしない会社、

社会がどんなに変化しようとも対応できる会社です。

 

第100期は通過点、その先さらに第150期、第200期とつないでいくこと。

 

第100期は見届けても、150期や200期には私はこの世にいません。

だからこそ、経営や人生で考え抜いたこと、

実践から見つけたことをこうして言葉に残しています。

 

「その行動は次の100年を作るのに役立つか?」

 

その視点で考え、日々の仕事を続けてまいりましょう。
今年もどうぞよろしくお願いします。

 

2022年1月25日
坂元鋼材株式会社 代表取締役 坂元正三

 

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