【壁が分子、器は分母】
きょうは給料袋のメッセージを書きました。
この14年間の経営改革のおかげで財務が安定し、次の大型設備投資が可能になりました。
社員の一致団結に感謝の気持ちでいっぱいです。
[通算189号]
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社員の皆さん、ご家族の皆さんへ
今月は大きな幸運に恵まれました。
当社の真裏にある土地・倉庫の競売入札で、私たちが落札できました。
念願だった新工場の建設にめどが立ちました。
当社の歴史として特筆すべき出来事です。
新工場の建設は大きな投資であり、会社の方向性を決める重大な判断です。
今回の入札に至った経緯、そして長年考え続けてきたことを振り返ります。
■ 次の事業展開は、どこで?
工場の拡張は大きな目標でした。しかし近年は土地が値上がりしています。
この九条地区は都心に近い人気エリアです。
もともと坪単価100万円くらいだったのが過去数年で1.5倍から2倍にもなってきました。
こんな地価の高いところで事業展開し続けてよいのだろうか、そんな思いが消えません。
とはいえ九条は今も昔も「鋼材業のメッカ」です。
さまざまな品種を扱う鋼材会社がそろい、加工業者も多い。
顧客からみた利便性が非常に高く、地の利は大きい。
社員にとっても交通至便で通勤に便利であり、これは将来の採用にも有利です。
だから地元で工場用地を探し続けましたが、なかなか出物がありません。
2年ほど前からは遠隔地での第2拠点を探していたところでした。
■ 悩み抜いた入札価格
そこへ2年前に事業停止した真裏の工場跡地(旧N社)の競売情報が飛び込んできました。
1月中旬でした。とある不動産業者が当社を訪れました。
「N社の物件が競売に出ている。入札しませんか」と。
競売に関わるのは初めての経験で、知らないことばかりでした。
相場はいくらか、誰が入札するのか、どう値付けをすればいいのか?
それからの2週間ほど、多くの人に相談しました。
銀行3行、懇意の工務店、顧問の先生方、地元をよく知る社長、知人の経営者たち・・・。
入札価格については各人各様でした。
最安値(8000万円)から最高値(1.6億円)まで。
最も多い見解が1億円でした。
土地82坪なので坪120万円相当です。
これが妥当かと思いました。
しかし最終的に決め手になったのはA社のA社長の見解でした。
「もしマンションが来れば仕事はやりづらい、防音対策に追われる恐れがある。
いくら防音しても限度がある。取れる値段で入札したほうが良い」
というアドバイスでした。
悩みに悩み、最終的に1億2400万円で入札しました(坪150万円×82坪+100万円)。
結果、当社が第1順位で無事に落札しました。
そして第2順位につけたのがマンション業者(1億2012万円)。
なんと約400万円、まさに僅差でした。
もし逆転しておれば、当社工場の真裏にマンションが近接するところでした。
銀行さんは「結果的に非常に安い買い物」と評価してくれました。
■ 当社は強運
それにしても当社はさまざまな意味で幸運でした。
まず、この不動産業者さんが当社に情報を持ってきてくれたことが幸運の始まりでした。
それが無ければ、私はこの競売のことを知りえませんでした。
知らないうちに競売が進み、気が付いたらマンション業者が落札し、
2年後くらいには真裏にマンションが建っている事態でした。
そして、こういう時に相談できるさまざまな人脈がいてくださったこと。
銀行、専門業者、顧問の先生方、取引先の社長、そして経営者仲間です。
この人脈に感謝です。
ちなみに。
もう20年近く前の2004年、当社は工場の真横の土地を購入しました(現・第3工場)。
その時はA社の先代社長が地権者に熱心に掛け合って当社への売却に道筋をつけてくれています。
そのおかげで、当社は事業を伸ばすことが出来ました。
そして今回の入札には、その息子さん(現・社長)のアドバイスが効いたわけです。
当社の土地購入ではA社2代に渡ってお世話していただいた格好です。
改めまして、この御縁に深謝する次第です。
■ このエリアの将来展望
今回は幸運にも当社が落札しましたが、これで安心ということでもありません。
当社の位置する都心部の抱える「住工混在」という古くて新しい問題です。
その結果、都心の工場が遠隔地へ移転する流れがあります。
最初は1960年代(高度経済成長期)、
手狭になった工場が都心部から出ていく動きがありました。
大阪では東大阪などの衛星都市、または南港エリアへの移転が進みました。
次いでバブル期(1980年代後半)、
都心部の地価が暴騰して工場が移転したのが「第2波」。
いまは「第3波」と言われるようで、それは都心部への人口集中が理由のようです。
私は生まれてから半世紀に渡って九条を見てきました。
まさに工場地帯がマンション地帯へ変貌してきました。
とくにバブル崩壊後の30年間が顕著でした。
廃業した工場跡には、お決まりのようにマンションが建ちました。
土地の形が良くて大きい。そして大阪の中心部へ至近、地下鉄・JR・私鉄もそろっています。
■ 第2拠点も同時に考える
このため過去数年間、第2拠点として内陸への展開を模索してきました。
企業の成長を考えると、本拠地の九条とあわせて別拠点を整備する必要があります。
ビジネスを私の代で終わらせるなら九条のみでもよいでしょう。
しかし当社の社是は「永続」です。
30年先、50年先を考えると、災害リスクも考慮せねばなりません。
その意味でもエリアを分けての第2拠点が必要です。
そこへの投資額は10億円を超える規模になります。
当社が年間で生むキャッシュフローから考えると20年以上の計画です。
私の年齢は53歳。
残りのビジネス人生をかけて、この大仕事をやり遂げます。
そして今回は九条本社の増強(新工場、新レーザーの導入)が決まりました。
そこへの投資が4億円規模。当社にとって久しぶりの大型投資です。
向こう数年間はこの新工場・新レーザーの成功に力を尽くします。
その成功が、次の投資を可能とします。
永続のために必ず成功させねばなりません。
■ 財務を磨いたおかげ
今回の入札で幸運にも落札できましたが、
それは過去14年間に渡って会社を改革し、業績を上げ、
財務を磨いたおかげでした。
リーマンショック直後に大きな赤字を出したころ、
会社の財務体質は脆弱でした。
有利子負債4億円、一方で自己資本は5000万円(自己資本比率10%)でした。
当然、銀行の融資姿勢が厳しくなりました。
当時のメインバンク1行からは融資条件の大きな変更(悪化)が提示されました。財務を悪くしたことの報いでした。
そこから奮起しての14年間です。
社内体制を整備し、人材採用・育成に力を入れ、新規開拓営業にも注力しました。
その結果、直近の自己資本は3.8億円(自己資本比率68%)。
この数字が背景にあるので、銀行さんもとても協力的です。
本当にありがたいことです。
この財務状況を築き上げることが出来たのは
社員の皆さんが一致団結して努力してくださったことの賜物です。
感謝しかありません。
■ 壁が分子、器が分母
経営を続けていると必ず変化が訪れます。
当然あるのが景気の浮き沈みです。
そして町の変貌に見られるような操業環境の変化もそうです。
気候の変動、そして大災害も起こります。
長期的には国力の栄枯盛衰も挙げられるでしょう。
過去30年間の日本の国際競争力の低下、
それによる経営環境の激変がまさにそうです。
さまざまな変化が否応なく押し寄せます。
それに適応できた会社だけが、生き残ることができます。
「壁は分子、器は分母」とは、故・木村勝男会長(木村塾)の名言です。
「立ちはだかる壁の高さを決めるのが自分の器。
器が大きかったら壁は小さくなる」
そうおっしゃっていました。
それをもじると、次のようにも言えるでしょう。
「変化が分子、自己資本が分母」
予測不能な様々な変化に対応するために必要なのが強い自己資本です。
過去14年の改革で最大の目標としてきたのが自己資本の増強でした。
そのおかげで決断できた今回の買い物でした。
これから新工場を整備し、新設備を導入し、生産能力を拡充します。
そして人材育成を加速させます。
超長期のプランニングに従って企業を健全に成長させます。
お客様に喜ばれる工場づくり、永続し続ける会社づくりを進めます。
そのためにも一人ひとりの能力を高め続けて参りましょう。
今年も幸先の良いスタートとなりました。
今月も社業への貢献、ありがとうございます。
2023年2月24日
坂元鋼材株式会社 代表取締役 坂元正三