我が社の現場を支える大黒柱である尾和田さんが今日で定年退職です。勤続42年6カ月でした。
尾和田さんの入社は1972年(昭和47年)1月。まだ初代社長(私の祖父)のころでした。尾和田さんはまだ22歳。のちに2代目社長となる私の父がその時に35歳でしたから、父にとって尾和田さんはほぼ一回り下の世代(その時、後に3代目となる私は2歳半)。その2年後に父は37歳で2代目社長になります。当時、石油ショックによる不景気に加え、最大の販売先だった顧客が倒産。巨額の不渡りを被り、経営危機に陥りました。父はそのタイミングで2代目を継いでいます。その苦しかった時代、そしてそれを乗り越えて会社が発展していった時代、尾和田さんはずっと現場から父を支えてくれました。父も尾和田さんのことを非常に信頼していましたし、尾和田さんも父を慕ってくれました。父は結局、25年間社長を務め、62歳の若さで病により急逝します。その時、尾和田さん49歳でした。
私がサラリーマンを辞して大阪に帰ってきて3代目を継いだのがその前年である1998年です(私29歳)。あれからもう15年。当時はバブル崩壊後の不景気な時代でした。前社長の急逝による不安定な時期、プラズマ・レーザーの導入による拡張期、そしてリーマンショックによる経営暗転、改革と復活の6年間。新米社長だった私を、黙々とした仕事ぶりで現場から支えてくれたのが尾和田さんでした。どれほど助けられたことか。
尾和田さんはいつも冷静で、感情を表にすることなく、常に安定した仕事をされました。ミスやクレームが少なく、製品をキレイに素早く切断する生粋の溶断職人です。そして几帳面なご性格のため、材料を本当にしゃぶりつくすように使い切り、捨てるところがほとんどない位に歩留りの良い仕事をしてくれました。それがどれほど利益に貢献してくれたか。そしてそのご姿勢が材料を「始末する」(関西弁で“節約する”“大切に使う”)よい社風を体現してくれました。仕事が多少空いたときには、誰も見ていないところでコツコツと道具を作ったりされました。それがとても器用で、誰もがうならされました。とにかく「手を抜く」ということが一切なく、その裏表のないご性格を父はほんとうに好いていました。
さて、2051年の第100期を目指して経営を進めている我が社からすると、尾和田さんは第21期から第63期までの42年間在職してくれたことになります。我が社の歴史において最も長く在籍してくれた社員さんになるかと思います。「先代社長に認めてもらったから、ここまで長く勤められました」と尾和田さん。
きょう、定時で仕事を終えられた後、仏壇に線香をあげてくださいました。久しぶりに父、そして祖父と祖母との対面。尾和田さん、すこし涙ぐんでいたように見えました。私たちも感無量でした。「父さん。尾和田さんが無事に定年退職したよ。ずいぶん助けられたね、親子2代、いや3代にわたって」。そう私は仏壇に報告しました。
尾和田さん。本当に、ありがとうございました。これからもお元気で、いつでも遊びに来てください。そして、私たち後輩にまた仕事を教えてください。