子を持って初めて知る親の恩 [給料袋メッセージ 227]

【子を持って初めて知る親の恩】

 

夏休み恒例の「子供向け研修」に親子そろって参加しました。

反抗期に差し掛かった娘の姿を見ていて気づいたのは、父から頂いた恩でした。

[通算227号]

 

■■■■■■■■■■

 

 

日時:2025年9月9日 18:30-20:30

場所:アチーブメント大阪支社(大阪市中央区)

[お申込みフォーム]

 

 

■■■■■

 

 

社員の皆さん、ご家族の皆さんへ

 

先週、アチーブメントの子供向けプログラム(アチキッズ)

に子供たちと参加してきました。

もうすぐ14歳になる長女と、9歳の長男。

夏休みの恒例行事をきっかけに、子育てについて考えてみます。

 

■ 大切なことは、シンプル

 

参加する子供たちは小学1年生から高校3年生まで。

世代を超えて共通して大切なことを学びます。

 

・ 人と仲良くすること。

・ あいさつや靴をそろえるといった、人として大切なこと。

・ 自分の良いところを知る。

・ 自分だけの夢を描く。

・ 夢を描き、挑戦し、仲間と達成する。

・ 感謝の心を育む。

 

まさに、ごく当たり前のことです。

しかし大人である私たちは、本当にそれができているか。

反省することしきりです。

 

2日間のラストは子供たちから親への「感謝の手紙」です。

 

「いつも美味しい料理を作ってくれてありがとう」

「いつも応援してくれてありがとう」

「生んでくれてありがという」など、

子供たちが一生懸命に作った感謝のメッセージを読み上げます。

感動いっぱいのラストです。

 

■ 曼荼羅(まんだら)チャート

 

中高生は別枠で、かなり高度なことを学びます。

「曼荼羅チャート」がそれです。

米大リーグの大谷翔平選手が16歳の時に取り組んだことでも有名です。

 

9×9=81個のマス目で構成されていて、

その中心に最も達成したい大きな「目標」を置きます。

その目標達成に必要な要素を周囲に8つ書きます。

 

さらにその8要素を叶えるための具体的な行動を8つ書きだすというもの。

16歳の大谷選手は中央に「ドラフト1位・8球団」と記しています。

 

それに必要な要素が次の8つでした。

 

体づくり

人間性

メンタル

コントロール

キレ

スピード160km/h

変化球

 

これだけでも感心しますが、すごいと思うのは最後の「運」です。

その要素の周りには次の8つの行動が書かれています。

 

挨拶

ごみ拾い

部屋掃除

審判さんへの態度

プラス思考

応援される人間になる

本を読む

道具を大切に扱う

 

野球の技術だけでなく、態度や心がまえなど人
間性にまで言及していることに現在の大活躍のルーツを見る思いです。

 

若くて柔らかな頭の時にこのような人生で大切なことを考え、

将来の目標を考えること。どれほど価値のあることか。

 

■ 反抗期(?)の長女

 

さて、ここで我が家の光景です。

長女は小学校の高学年くらいから、なかなかの反抗期です。

 

今回の参加も、直前まで「絶対に行かない!」の連発です。

「感謝なんか、しない!」と、

毎年の参加で中身をすでに知っているので、警戒(?)しています。

 

それでも結果は2日間のプログラムにきちんと参加し、

最後は「ママを泣かせるねん」と意気込み、

一生懸命に手紙を作り上げました。

 

大勢の前で堂々と感謝のメッセージを読み上げる姿は、

日ごろの態度とはまったく違う立派なものでした。

ママは本当に目を真っ赤にして泣いていました。

 

「行動のみが真実」と言われます。

口では反抗的でもキチンと参加して結果を作る娘の成長を、頼もしく感じます。

 

■ 実は長く反抗的だった私

 

さて、私自身の子供時代を振り返ってみます。

坂元鋼材の3代目を期待されて生まれ、

小さいころは漠然と「いずれは跡継ぎ」と思っていました。

 

しかし中高生のころから社会問題に関心を持ち始めた私は、

新聞記者を目指すようになります。

 

もし高校時代に曼荼羅チャートの実習を受けていたら、

間違いなく中心に「ジャーナリスト」と書いていたでしょう。

 

政治への関心が高じた高校時代、

与党支持だった父親を青臭く批判した自分もいました。

 

そして工場を継がないと言い張って大阪を飛び出します。

中国留学を経て時事通信社に就職。

東京、名古屋で新聞記者としての道を進みました。

 

そんな跳ね返っていた私。

それでも父は私の勝手を許してくれました。

 

それどころか最大限に応援してくれました。

中国留学のとき、東京生活を始めるときの支援。

書いた記事を私は大阪に送っていたのですが、

父は几帳面にファイリングして残していました。

 

父は婿養子として坂元家に入っています。

最大の使命は会社を存続させ、そして3代目をつくることだったはず。

よく私のわがままを許したものです。

 

■ 経営理念の前に人生理念

 

アチーブメントの青木仁志先生の言葉に

「経営の中に人生を置くのでなく、人生の中に経営を置きなさい」

というものがあります。

 

経営者としてのロジックの前に、

人として正しいことを貫きなさいという教えです。

 

そうでないと仮に経営で成功しても、

家族を犠牲にしたり、配偶者や子供と不仲になったり、

つまりトータルに見れば「不幸な人生」になる恐れがある。

 

経営で成功して人生で失敗する。

その戒めが「経営理念の前に人生理念」という言葉です。

 

父は立派に「人生理念」を貫いた生き方でした。

セミナーを受講したり経営の勉強を特にしたわけではありません。

しかし青木先生の説かれる内容を体現していました。

 

私に対して「勝手なことをするな!」「黙って会社に入れ!」

などと外的コントロールを使うことは一度もありませんでした。

 

経営者である前に、親として子の幸せを最大限に願ってくれました。

だから私も父を願望のど真ん中に置き続けました。

 

61歳で父がすい臓がんにかかり生命の危機に瀕したとき、

私は記者職を自ら捨てました。

 

父の願望を叶えるべく帰阪したのは、

私自身の強い意志による選択でした。

 

そう考えると、記者を志した中高生のころから

28歳で坂元鋼材に入るまで、

私の反抗期は15年ほども続いたと言えるかもしれません。

 

■ 反抗期は「模索期」

 

長女は「感謝なんかしない!」と初めは突っぱねました。

それは「ひとに言われたからやる」のではなく

「自分は何をしたいのか」を長女なりに

必死に考えているからかも知れません。

 

人は自分の決断にしか従いません。

いくら「良いもの」であっても、それは親の思考でしかない。

自らが選択しない限り、心底から受け入れはしない。

その原理を娘から改めて教えられました。

 

私が家業の承継というレールを外れて新聞記者を目指したこと。

それは今から思えば単なる反抗ではなく

「生き方」や「使命」を見つけるための15年に及ぶ長い旅でした。

 

反抗期とは人生を模索し、

自己を確立するための重要なプロセスです。

 

娘は娘なりに必死に自分自身を模索しているのでしょう。

そして頑固なところも「私にそっくり」と苦笑します。

 

■ 信じて待つこと

 

父は私の選択を尊重してくれました。

外的コントロールで子供の人生を左右するのでなく、

信じて「待つこと」の大切さを、父の後ろ姿から教えられます。

 

「子を持って初めてわかる親の恩」

という言葉を青木先生から教わりました。

 

父の恩を思い出し、信じて待てる親に私もなります。

経営と人生の双方で成功できる人生を歩みます。

 

今月はプライベートの話題にお付き合いいただき、

ありがとうございました。

 

2025年8月25日 

坂元鋼材株式会社 代表取締役 坂元正三

 

[この記事のFacebookページ]