【将軍は育てられない】
きょうは25日。給料袋のメッセージを書きました。
人は一人では1馬力。仲間の力を結集して多馬力になる。
会社を支えてくれる社員たち、そして幹部のおかげでいまがあります。
[通算160号]
■■■■■■■■■■
社員の皆さん、ご家族の皆さんへ
いつも社業への貢献、ありがとうございます。
今期(2020年度)はコロナの影響がありましたが、良い話題もたくさんありました。
なによりも高校新卒の有為な若者2人が入社し、目覚ましい勢いで成長してくれています。
そして工場長のA君が勤続20年の節目を迎えました。
■ 会社の成長を支えた20年
A君の勤続20年は、私にとっても感無量です。
2000年11月に面接に来ています。
当時のベテラン社員さんからの紹介です。
面接といっても一緒に回転ずしを食べながら3人で話をしただけ。
いまから思うと隔世の感があります。
その前年の1999年に先代社長が急逝し、私が3代目を継いだばかり。
バブル崩壊後の不況の真っただ中。父不在、不景気、私は素人経営者。
いろんな困難を抱えていました。業績も赤字でした。
A君は高校を出て5年ほど別の業界にいたので、このとき24歳でした。
私は31歳。みんな若かった。
彼にはその時すでに1歳の子供がいたのですが、それからも次々に子供が生まれます。
だから必死になって働きました。
その彼の頑張りが会社の成長を支える原動力になりました。
■ 社運を賭けた設備投資
A君が入って2年目の夏、2002年8月に大型の設備投資をしました。
プラズマ加工機(初代機)です。
まだ赤字基調だった当時、社運を賭けた5000万円の投資でした。
失敗は許されない。
この新しいマシンを担当したのがA君でした。
考えてみれば入社2年目にして会社の命運が掛かったマシンを担当したわけです。
物おじせずによく引き受けたものです。
折しも景気が回復して仕事が増えます。
6ミリ厚から25ミリ厚までの最も受注量の多いレンジをプラズマ1台がフル回転でこなしました。
仕事が最高に忙しくなったころに入社してきたのがB君。
彼の頭の回転の良さを見抜いたのがA君で、事務所のCAMにB君を抜擢しました。
板取り(レイアウト)を担うCAMは、その歩留まりの好悪が利益に直結し、
そして短納期を追求する現場の作業効率を左右する重要セクションです。
予想は的中、B君はCAMで才能を開花させました。
A君・B君コンビ時代の始まりです。
■ レーザーも成功、そして初代工場長に
プラズマの成功で会社は利益体質に変貌し、6期連続の黒字。
たくわえたお金で隣地を買い(現在の第3工場)、そしてレーザー導入。
この投資総額は2億5000万円超でした。
プラズマを後輩に譲り、A君はレーザーを担当。
ここでもA君・B君コンビが大活躍です。
レーザー導入の直後にリーマンショックが襲って会社は創業以来の大赤字に瀕しましたが、その苦境も2-3年で脱出しています。
レーザー・プラズマ・ガスの3方式が見事にかみ合って会社は再び成長し始めました。
そして今年度からA君は初代の「工場長」に就任。当社は歴史は長いのですが組織図が平板で、オーナー家出身の取締役以外に役職者がいません。
それではいつまでたっても「家業」のまま。
縦糸も横糸もあるピラミッド型の組織図にしたい。
そのスタートが「A工場長」でした。
レーザーの主担当を若手に譲ったころから、彼は後進の育成にシフトしていきました。
そしていまも新人教育に力を尽くしてくれています。
自分を原版にして後輩を育てています。見事です。
■ 現場から生まれた仕事哲学
彼は4年前の夏(2017年8月)、大阪市立東淀工業高校で就職希望の高校生に講話しています。
「工業高校を出て社会で活躍している人」という職業人枠で招かれました。
そこには彼の仕事哲学が集約されています。振り返ってみます。
「会社に新しい機械が入るたびに触らせてもらった。
いまは若い子に機械を譲って遠目から見ている。
やり方を聞きに来たら『まず自分で考えたんか?』と聞き返している。
違ってたら意見してあげる。そうやって『考えるクセ』をつけさせる。
厳しいけど、成長してほしいから。
最初から人に依存していると、伸びない」
「自分から進んで動くこと。
自分の手が空いていたら他の仕事の応援に行く。
仕事がなければトイレを掃除したり、車を洗ったりすること。
それは日頃から考えてないと出来ない。
考える習慣のある子は2年、3年たつとすごく成長する。
『自分は周りから見られている、ヘンなことでけへん』。
そう思って頑張る子は周りから愛される。それが一番大事」
一言一言に、彼の能動的・主体的な働く姿勢が現れています。
後輩に掛ける愛情もすばらしい。
彼との付き合いは20年になったわけですが、叱咤激励などしたことは一度もありません。
「がんばれ」と言ったこともない。むしろ彼から社長の私への注文の方が多いくらいです。
なぜ、彼の働く姿勢はそこまで鋭くなったのでしょうか?
■ 誰が給料を決めているのか?
「求人票を見ると、若い時はまず賃金を見てしまう。ぼくもそうやった。
いま働いてきて思う。会社勤め(サラリーマン)でも『自分が社長』と思うこと。
自分という人間を会社に売っている。
『こんなスゴイ仕事をするなら給料をもっと上げてやりたい』と会社が思うかどうか。
会社が自分の給料を決めているんじゃない、結局は自分の働き方が自分の給料を決めている」
「結婚する前は仕事も適当やった。
でも子供が出来た。背負うものがあると強い。
自分が働かなアカン。ちょっとでも家族を楽にさせたい、ギリギリの生活はでけへん。
自分が自分にあげたい、そんな働き方をしないと給料なんか上がらない」
彼の努力の原点は家族愛に違いありません。
人一倍の責任感が伝わってきます。
さらには自分という資源を徹底的に生かし切る成長欲求も、見事です。
■ 何のために働くのか?
「仕事で鉄板を切っていると、それが耐震補強のプレートになったりしている。
見えないけれど大事な所で使われている。『キチッとした仕事をしなければ』と思う」
これは経営理念の根幹を語っています。
単なる作業か、それとも社会を支える意義深い仕事なのか。
「レンガ積み職人の話」に通じます。
単にレンガを積んでいるだけか、それとも大聖堂という文化を作っているのか。
「中小企業は社長に面と向かって話せる。思いをじかに伝えれる良さ。
それは大企業にはない。会社は名前だけで選ばないこと。
中小企業が大企業に負けてるとは思わない。
一人ひとりがそんな気持ちで働くと、大企業にも負けない強い会社になれる。
会社は規模ではなくて中身が大事。中身とは業績と人間関係と働きがい」
「仕事の正解とは何か。
お客さんに『ありがとう』と言ってもらえること、それが正解。
きれい、早い、ありがとう。
そう言われて初めて『自分のやり方は正しかったんや』と分かる。
将来、就職したときに思い出してくれたらいい」
「できたら自分をどんどん好きになってほしい。
自分が好きでない人にいい仕事は出来ない」
彼はよく冗談まじりに「いずれ会社の前に僕の銅像が建つ」と言っていますが、
この自己概念の高さこそが恐らくは彼を彼たらしめている最大の要因なのでしょう。
銅像くらい建ててやらねばなりません。
■ のし上がってきた将軍
彼の入社20年間を振り返って、アチーブメントの青木仁志社長の言葉を思い出します。
「将軍は育てられない。下からのし上がってくるものだ」
その通り、と膝を打ちます。
この名言は人材教育一筋に歩んでこられた青木社長が半世紀近いビジネス人生から導き出したものです。
ブログにこう書かれてあります。
「忠実な社員は育てられるが、真の指導者は育てるものではなく、
その人財の中に内在する天与の資質を引き出していくものだと考えています。
企業や国家を背負う人間は、それなりの大きな欲や胆力がなければ務まりません。
育成の方針をどこに置くかでその組織の未来は決まります」
(2017年4月17日付 青木仁志・オフィシャルサイト)
A君、B君、C君、そして彼らに続く若い人財たち。
他社から移籍してきてくれて今年で10年になろうとするDさんやEさんといったベテラン勢。
三国志の劉備玄徳のもとに関羽、張飛、趙雲、孔明などの将軍がつどったように、私は何人もの名将に支えられた幸せな経営者です。
感謝しかありません。
経営者としての私の務めは、みんなが「成長しよう」と意欲を燃やせるような環境を整えること、
職業人生を掛けるに値する働きがいのある職場をつくること、
永続的に発展して将来を託すに足る会社をつくること。
すなわち価値ある大きなビジョンを示すことだと改めて肝に銘じます。
社員の皆さんとの出会いに感謝します。
2021年2月25日
坂元鋼材株式会社 代表取締役 坂元正三