【感動を売る】
きょうは25日、給料袋のメッセージを書きました。
商品販売の5段階、最後の「感動を売る」。当社がたいへんお世話になった恩人であるプロセールスマンへの感謝を込めて書きました。
(通算158号)
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社員の皆さん、ご家族の皆さんへ
いつも社業への貢献、ありがとうございます。
コロナに明け暮れた今年もあとわずか。
8月から続けてきた「商品販売の5段階」、今月は最後の「感動を売る」です。
① 自分に売る
② 自分を売る
③ ニーズを売る
④ 商品を売る
⑤ 感動を売る ★
■ 魂を揺さぶるような深い満足感
商品を売るには、この5つの段階がある。
① その商品に自分がほれ込んで絶対の自信を持ち
② 商品を売る前に自分の人柄を認めていただき
③ お客様にその商品の必要性を感じていただき
④ そして商品そのものを買っていただく
ここで終わりではなく、その先に「感動を売る」ことでセールスは永遠に継続する。そうアチーブメントの青木仁志社長は説かれています。
(引用:「起業家のための社長学=第1部・戦略・理念経営=」 アチーブメント出版)
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第5のポイントは「感動を売る」である。
感動は満足から生まれる。その満足も “魂を揺さぶられるような深い満足感” でなければならない。
要するに、感動は「ここまで自分に対して親身になって真剣にサポートしてくれる人に出会ったことがない」と言われるほどの顧客第一主義に徹するところから生まれるものである。
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これを読んで思い出す人がいます。故・武市雅男会長(株式会社武市商会)、当社の恩人の一人です。
初めてお会いしたのは2000年の春。私は30歳で、武市会長(当時は社長)が57歳でした。その前年に私の父が他界しており、私は3代目社長を継いで悪戦苦闘していたさなかでした。
■ 武市会長との出会い
武市会長は180センチをゆうに超える大きな体を少しかがめた独特の姿勢で、事務所に突然入って来ました。
それまで一面識もない私に向かって開口一番、「ツイスターって知ってますか!」
厚鋼板を切断する主要3方式(レーザー、プラズマ、ガス熔断)のうち、そのころの当社にはガス熔断しかありませんでした。だから「いずれはレーザーがほしい」と夢みていました。
武市会長が提案したツイスターはコマツが開発した新型の「プラズマ」方式でした。
これが革命的なマシンだと力説です。口角泡を飛ばす、とはまさにこのこと。
「まあ一緒に来てみなはれ」と私を車に乗せました。
向かった先は、すでにツイスターを入れている大正区の熔断工場でした。
初めて見るツイスター。その切断スピードの速いこと、ガス溶断の5倍ほどです。
レーザーと比べてもずっと速い。20年前のレーザーは今ほどスピードが速くなかった。
ツイスターの生産能力は圧倒的でした。
肝心の切れ味(切断品質)も、レーザーには及ばずとも十分にキレイ。
そしてマシンの価格はレーザーの6割ほどでした。
それまでガスかレーザーかの2択しか知らなかった私には衝撃でした。
■ 執念の営業マインド
しかし即決はできません。
当時のツイスターは切断時に発生する粉塵の処理技術が不十分で、切断テーブルのサイズも小さく(1.5メートル×3メートル)、当社の求めるサイズの半分以下。
「これらが改善されねば買えない」と突っぱねました。
それでも、押しの強い姿勢で何度も何度も来られる武市会長。
私も感情的になってしまい、
「ツイスターは絶対に買わない。レーザーを検討する!」と言い放ったほどでした。
30歳そこそこの私、恥ずかしいほど短気でした。
やがて転機が訪れます。
最初の出会いから2年後になる2002年の春、武市会長が満面の笑みで来られました。
「お約束の粉塵処理とテーブルサイズが解決しました」――。
見せてもらった最新型ツイスターは粉塵対策が大幅に改善され、大きさも当社の求めるサイズ(2メートル×6メートル)になっていました。決断の時でした。
投資金額は5000万円。まだ赤字基調で経営に自信のなかった私には、社運を賭した決断でした。
2002年8月、いよいよツイスターが導入。その結果は皆さんご存知の通り。
切断スピードの速さ、切断品質の確かさでツイスターはフル回転し、業績はみるみる良くなりました。
「買ってよかった」と心底から思いました。
■ 底地まで世話する
ツイスターを買った翌年、ようやく仕事が軌道に乗ったころでした。武市社長が言いました。
「ツイスター2台目はどないですか?」
とんでもない。確かにツイスターには感謝しているものの、2台目を買う余裕などない。
そんな5000万円もする機械をポンポン買えるわけがない。
なによりも、この狭い工場に置く場所がない。
すると武市会長は当社の隣にある他社の古倉庫を指して言いました。
「あれがありますがな。わしが買えるようにしてあげます」――。
武市会長は親しい不動産業者を使い、その倉庫の所有者(遺産相続で持っていた方)を探し出し、「どうか坂元さんに売ってあげてください」と再三再四の交渉を粘り強く続けました。
その結果2004年秋、ついに隣地の購入に至りました。私一人では思いもよらなかった買い物でした。
最初のツイスターが借金、土地も借金です。
だから財務の改善を待って2008年に新工場を建てました。
そしてツイスター2台目ではなく、今度はレーザーを導入しました。
2台目をツイスターにしなかったのは、レーザーにこだわった私の願望を武市会長がよく分かっていたからです。
レーザーでは世界最高峰のトルンプ(ドイツ)を紹介してくれました。
そしてもちろん、武市商会からトルンプを購入しました。1億円でした。
だから当社に新工場とレーザーがあるのは、まさに武市会長のおかげです。
「武市雅男会長なしに今の坂元鋼材はない」と言えます。
■ まさに5段階の体現
武市会長の営業プロセスを、この5つの視点で振り返ってみます。
① 自分に売る
② 自分を売る
③ ニーズを売る
④ 商品を売る
⑤ 感動を売る
―― そのすべてが完璧にそろっていることに、驚きます。
① まず、ツイスターという商品にほれ込んでおられた。商品に絶対の自信があった。
② 若造の私などに断られても断られても、あの大きな体を折り曲げんばかりの低姿勢で一貫された。そのお姿から、知らず知らずのうちに人柄を売り込まれていました。
③ ニーズにしても、そう。20年前にガス熔断しかなかった当社にとっては、まだレーザーはふさわしくなかった(当時のレーザーは切断スピードが遅かった)。
生産性の高いプラズマが、当時の当社には最適だった。
顧客である私以上に、武市会長はそれを見抜いていた。
④ そして2年越しにツイスターという商品を成約に結びつけた。
⑤ さらに土地まで世話し、足掛け8年でレーザーまで導き、顧客の願望を叶えた。
「そこまでするか!」というレベルで相手中心に考え抜く姿勢、それが生みだす予想外価値。
これこそが「感動を売る」んだと感動します。
■ 天職としての一商人
武市会長はコマツの販売店として「ツイスター普及日本一」を達成しました。
そして2006年、63歳で社長職をご子息に譲っています。その時の挨拶状にこう書いてありました。
「これからは天職の一商人として大好きな商いをやっていきたいと思います」
なんとカッコいい生き方でしょうか。しみじみ、しびれます。
なんのために働くか。
商品を通じて顧客を幸せに導くことを使命としておられる。
この心構えであってこそ「感動を売る」ことができるのだと得心しました。
仕事の意味をとことん突き詰めると、人生が変わる。
仕事とはやりがいであり、そして生きがい。
私も60代を迎えたときに、このような心境に至れるかどうか。
武市会長は2012年に69歳で他界されました。
生涯一商人として「大好きな商い」を最後までまっとうされた人生。
本当に、お世話になりました。
心から感謝し、その営業マインドを受け継いでまいります。
多くの先人の尊い思いが詰まって、いまの当社があります。
だからこそ、いま来ていただいているお客様、そして将来これから来ていただくお客様に「感動」を売るレベルまで尽くします。
仕事を通じて恩送りをしてまいりましょう。
2020年12月25日
坂元鋼材株式会社 代表取締役 坂元正三
(写真は2006年11月、私の結婚披露宴にて。出席してくださった武市会長と)
https://www.facebook.com/syouzou.sakamoto/posts/3599039580187637