森永卓郎氏の「書いてはいけない」を読んで [給料袋メッセージ 209]

■ 森永卓郎氏の「書いてはいけない」を読んで

 

きょうの給料袋メッセージでは、社業を少し離れて社会問題を扱いました。

 

普段の仕事とは表面上はまったく関係のないことかもしれませんが、

まさに遠くを考えることなくして近くを判断することはできない。

そんな思いで書きました。

[通算209号]

 

 

 

 

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社員の皆さん、ご家族の皆さんへ

 

 

きょうは会社の話題から離れて、

私が最近読んで極めて感動した本について書きます。

 

 

経済評論家・森永卓郎氏の著書「書いてはいけない」がベストセラーです。

今年の3月に出版され、すでに40万部ということです。

 

 

テレビのコメンテーターとして著名な森永氏がマスコミで仕事をする中で

大きなタブーが3つ存在した。

 

 

ジャニーズの性加害問題

財務省批判

日航123便の墜落事故の真相

 

 

そのタブーに敢えて切り込んだのが本書です。

 

 

とりわけ日航機事故の真相、それがもたらした日本経済墜落の40年史。

そのストーリーに私は驚愕しました。

 

 

■ タブーに切り込む

 

 

「この3つに関しては、関係者の多くが知っているのにも関わらず、

本当のことを言ったら、瞬時にメディアに出られなくなるというオキテが存在する。

それだけではなく、世間から非難の猛攻撃を受ける。

下手をすると、逮捕され、裁判でも負ける」

 

 

「だから、賢い人はそうした話題には最初から触れない。

知らぬ存ぜぬを貫くことだけがメディアに出続けるために必要なことだからだ」

 

 

そんな森永さんは昨年末にガン宣告されます。

もう命が長くないなら、死ぬ前にこのことを書き残そうという決意で執筆しました。

 

 

■ 日航123便墜落の真相

 

 

1985年8月12日、羽田発伊丹行きの日本航空123便が相模湾上空で操縦不能となり迷走、

群馬県・御巣鷹の尾根に墜落し、乗客乗員520名(胎児を入れると521名)が死亡。

いまに至るも単独機の事故としては世界最悪の大惨事です。

 

 

このとき私は高校1年の夏休みでした。

テレビの緊急報道を食い入るように見たことを鮮明に覚えています。

 

 

事故原因は

「米ボーイング社の修理ミスにより圧力隔壁が損傷し、

客室内から噴出した気流が垂直尾翼を破壊した」とされています。

「金属疲労」という言葉が流行語になりました。

 

 

しかし本書では

「自衛隊によるミサイル訓練中の誤射」で垂直尾翼が破壊されたことが原因

と書かれています。

 

 

操縦困難に陥った日航123便は米軍・横田基地への緊急着陸を試みます。

しかし「不祥事の露見」を恐れた自衛隊はそれを許さず。

 

 

最終的には目撃者の少ない山間部に入ったところで

証拠隠滅のために自衛隊機が123便を、撃墜。

 

 

さらに一晩中ずっと墜落場所が公表されず、

その間に生存者を抹殺した。

そんな衝撃的な「推論」が展開されます。

 

 

■ 日航機事件から始まった日本経済の墜落

 

 

森永氏の著書はさらに、

この事件をきっかけに日本経済を取り巻く「潮目」が大きく変わった、

と論を進めます。

 

 

日航機墜落の41日後である9月22日、

米ニューヨークで開かれた「プラザ合意」がその起点です。

 

 

強くなりすぎた日本経済、アメリカの抱える大きな貿易赤字。

その是正のため各国の蔵相・中央銀行総裁たちが大幅な円高誘導で一致した。

 

 

当時1ドル=240円水準だったものが2年後には1ドル=120円という超円高に。

 

 

これが日本経済に致命的な打撃を与え、その後のバブル発生と崩壊、

さらにはいまに至る「失われた30年」という長期低迷の始まりとなった。

そう同書は指摘します。

 

 

日本政府は自衛隊の不祥事を隠すため、

事故原因をボーイング社の「修理ミス」にしてもらった。

おかげでアメリカに大きすぎる「借り」を作った。

それがために米国への隷属路線となり、日本経済は失速した。

 

 

■ はたして「陰謀論」か?

 

 

私はこの事故を描いた山崎豊子の「沈まぬ太陽」に熱中し、

毎年8月に放送される事故関連のドキュメントは必ず見る、

それくらいの関心はありました。

しかし背景にあった疑惑をまったく素通りしてきた39年間でした。

 

 

自衛隊誤射、または米軍関与という説を聞いたことがあったものの、

深く考えもせずに「陰謀論」と片付けていた私は、まったくの無知で不勉強でした。

 
 

 

森永氏の本で紹介されていたのが、

この事件の真相を追った2人の研究者による著作です。

 

 

元・日航客室乗務員の青山透子さん。

そして123便墜落で2人の子供を亡くした小田周二さん。

ともにこの事件の解明に半生をささげておられます。

 

 

青山氏の著書2点

「疑惑の始まり・天空の星たちへ」

「日航123便墜落・圧力隔壁説を覆す」

 

 

そして小田氏の著書「524人の命乞い」を読みしました。

 

 

読めば読むほど、公式見解である圧力隔壁説は疑わしく、

自衛隊のミサイル誤射(そして証拠隠滅のための更なる非道)という「推論」に説得力を感じます。

 

 

 

 

 

 

 

 

事実を明らかにする唯一の方法は

「ボイスレコーダー」「フライトレコーダー」の生データの解析。

 

 

これは日本航空に保管されているものの「不開示」のまま。

一部を消した音声しか世には出回っていない。

 

 

なぜ隠すのか?

 

 

遺族が全面開示を求めて裁判をしたものの敗訴が続きました。

先月、残念なことに最高裁でも退けられました。

これほどの重大事故に絡む裁判なのに、なぜか大手メディアは騒ぎません。

 

 

■ 命を賭しての告発

 

 

ボイスレコーダーとフライトレコーダーを解析さえすれば、事実は明らかになる。

実際にどんな飛行経路をたどり、機長は誰とどんな会話を交わしたか。

 

 

しかし権力はそれを決して望まない。

 

 

関連書を読み込み、裁判の推移を知り、マスコミの沈黙を考え合わせると、

そこには恐るべき「不正義」が存在すると思わざるを得なくなりました。

 

 

なぜ森永氏はこのタイミングでこの本を書いたのか。

 

 

「大きなリスクがあるのは承知だ。逮捕されるかもしれないし、

命を狙われるかもしれないし、訴訟を起こされるかもしれない。

それだけのリスクをとってもメディアは動いてくれない可能性が高い。

それでも私は勇気を持つべきだと決断した」

 

 

■ 私のマスコミ体験から

 

 

私自身、かつて時事通信社というマスコミ企業に3年半勤務した経験があります。

どちらかというと政権寄りの論調が支配する会社です。

 

 

ところがそんな時事にもジャーナリズム精神旺盛なごく少数の人たちがいました。

社員1000人規模でしたが、当時7名の記者が少数派組合を結成していました。

人権、軍縮、反原発など体制への批判的視点を持った野武士のようなジャーナリスト集団でした。

 

 

「天皇の軍隊」を書いた長沼節夫記者、

日本でも長期有給休暇を取れるように「バカンス裁判」を戦った山口俊明記者といった

著名なジャーナリストが集っていました。

20代半ばだった私は、彼らにあこがれました。

 

 

しかし、ここに入ることは出世断念を意味します。

彼らは社内で冷遇され、薄給を余儀なくされていました。

 

 

入社前から長沼記者を尊敬していた私は結局、この集団に身を投じます。

しかしそれは「いずれは大阪に帰って家業を継ぐ立場」だからこそできた行動でした。

 

 

生涯その組織で飯を食うとなると、

組織の論理に反してまで自分の信じた正義を貫くことが出来たかどうか。

 

 

ジャーナリストである前に会社員。

これを簡単に批判することはできません。

 

 

森永氏自身が吐露しています。

「子供を養っているときは書けず、私も自己規制した」

 

 

■ 言わずにおれないことしか、ひとの胸には響かない

 

 

私が時事4年目だった1998年、大阪の父にガンが発覚します。

天職とまで思い込んだ新聞記者の職に未練があった私に対して、

少数派組合の大先輩・梅本浩志記者は、こんな言葉をくれました。

 

 

「記者活動をするにはマスコミ企業にいなければいけないと

坂元君は思っているようだが、それは間違いである。

どこにいようと当人がジャーナリストだと思い、取材し、

執筆する限りは、その人間はジャーナリストだ」

 

 

「逆に、日本の優れたジャーナリストはほとんどがフリーランスではないか。

日本のマスコミ記者に欠けているのは『生活の実体』だ。

坂元君が工場経営という日常のなかに身を置き、

そこから学び取材することができれば、なにかをつかむことができるし、

作品を生み出すこともできる」

 

 

そしてもう一人。

そのころ私淑していた萩原遼氏(元赤旗・平壌特派員)の言葉が、胸に迫りました。

 

 

「自分が心の底から訴えたいこと、いわずにいられないことしか

人びとの胸にはひびかないということも体験で理解している。

訴えたいことがなければみだりにペンを用いるべきではないと

私は自分にいいきかせている。

そのさいは、自分のできる労働で生活の資を得て市井人として生きればよいのだ」

(『朝鮮戦争』取材ノート:かもがわ出版)

 

 

人生の転機に出会ったこの2つの言葉を、いま思い出します。

 

 

そして森永氏の言論こそが

「日本の優れたジャーナリストはフリーランス」であり

「心の底から訴えたいこと、いわずにいられないことしか人びとの胸にはひびかない」

ということの至高の実例だと感じます。

 

 

■ 社会正義を追求することの尊さ

 

 

時事の先輩・梅本氏、そして大阪でのちに直接ご指導いただくことになる萩原氏。

その2人の言葉に後押しされて28歳だった私は家業を継ぎました。

 

 

「生活の実体」たる企業経営に奮闘する中でいろんな経験も積みました。

ことし55歳になる私にとって中小企業経営は天職です。

自分の与えられた環境を活かし、縁ある人とともに豊かさをつくりだすこと。

そこから学び考えたことを深める人生に感謝です。

 

 

しかし森永氏の遺言のような書物に接して

「社会正義」をどこまでも追求することの尊さ、偉大さ、崇高さを実感しています。

 

 

森永氏は「すい臓がん」と診断されたそうです。

私の父の命を奪った病と同じです。

しかし森永氏には何としても事件の真相解明まで生き延びてもらいたい。

日航123便の事実が一日も早く明らかになりますように。

 

 

今回は社業とは直接は関係のない文章になりました。

しかし、遠くのことを考えることが近くを見誤らないために大切なことだと思っています。

長文を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

2024年6月25日

坂元鋼材株式会社 代表取締役 坂元正三

 

 

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