【父と再会する前に】
【父と再会する前に】
きょうは父の26回目の命日でした。
夏季賞与袋のメッセージで、父を見送ってからの26年間を振り返り、
100年企業となる今後の26年間を展望しました。
[通算225号]
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社員の皆さん、ご家族の皆さんへ
きょうは夏季賞与の支給日です。
毎年この時期は先代社長だった私の父の命日(7月6日)の近く。
今年で26年目です。
命日にちなんで会社の過去・現在・未来を考えてみます。
■ 30歳で3代目を継ぐ
父が急な病で他界したのは1999年。私が30歳になる年でした。
夏の暑い日に父を見送ると同時に、私は3代目になりました。
バブル崩壊後の不況、父不在でのスタートでした。
しかし我流経営で失敗し続けました。
販売不振、一体感のない社内、先行き不安。
最初の10年間は悪戦苦闘の連続でした。
父が他界してちょうど10年後、2009年度(40歳)が大きな転機でした。
リーマンショック後の大赤字に見舞われました。
直前に新工場を建てて新レーザーが稼働したばかり、
過去最高の借り入れ(4億円)を抱えた状態。
そこに過去最悪の大赤字が重なりました。
それまでの10年間、我流経営でも何とかなったのは景気が持ち直したからでした。
しかし不況になると途端に大赤字。
だから「どんな不況にもビクともしない強い会社」を作りたい。
それが私の強烈な願望でした。
■ BS目標を得る
大赤字をきっかけに40歳を過ぎてようやく経営を学び始めます。
「経営に良い」と言われるものは何でもどん欲に取り入れました。
アチーブメントの青木仁志社長からは「願望」を明確にすること、
「人生の目的」から一貫した「目標」を追い続ける生き方を教えられました。
願望はすでに明確です。
どんな不況にもビクともしない強い会社です。
ならば、何を目指して経営をしていけばよいのか?
そんな目的に合致した目標を私に授けてくれたのが、
木村塾(BS経営研究所)の木村勝男会長でした。
「会社を強くするにはBSを重視した経営をせよ」と明快に説かれました。
それまでの10年間、私は決算書がキチンと読めていませんでした。
PL(損益計算書)はなんとか見ていても、
BS(貸借対照表)となるとサッパリ読めない。
いま思うとゾッとする話です。
PLは1年間の売上・費用・利益を示す「会社の1年間の成績表」。
BSは資産・負債・自己資本を示す「会社の体力・蓄え・構造の一覧表」。
このBSを意識することなしに安定した経営は出来ない。
1年間の成績表であるPLはプロセスであり手段。
創業以来の歴史が蓄積したBSこそが目標であり結果である。
「会社はPLではなくBSでつぶれる」ということを知りました。
不況に強い会社になるためには「自己資本」
(返さなくてよい自分のお金)を蓄積すること、
それも「社員1人当たりの自己資本額」を
増やせば増やすほど会社は倒れにくくなる。
そのロジックが徐々に腑に落ちました。
木村会長からは「社員1人当たり1000万円の自己資本があれば、
2年間売り上げゼロでも給料を払える。
中小企業はまずそれを目指せ」と発破をかけられました。
私の求める「目的」に直結した「目標」がこれでした。
■ 筋肉質の会社を目指す
1999年(第48期)、私が父から受け継いだ時の
自己資本が5700万円でした(社員1人当たり475万円)。
それが9年後、リーマンショック直前には
1億2200万円(社員1人当たり930万円)に増えていました。
木村会長の示した水準にほぼ達していたのでした。
しかし2009年度の大赤字により4700万円にまで減っていました。
[2009年度(第58期)]
自己資本4700万円、総資産4億5000万円、自己資本比率10%
社員13人、1人当たり自己資本360万円
大赤字で弱り切った会社、それを筋肉質の会社に変えていく挑戦が始まりました。
営業に力を注ぎ、新卒採用・社員育成に努めました。
「社員1人当たり」の指標を社内で共有し続けた結果、
「少数精鋭主義」という会社の考えが徐々に浸透。
社員同士が教え合う一致団結した社風をようやく手にしました。
その結果、大赤字の翌年から15期連続の黒字です。
[2024年度(第73期)]
自己資本4億2000万円、総資産9億3000万円、自己資本比率46%
社員15人、1人当たり自己資本2800万円
これは日々の仕事に愚直に取り組んでくださった社員の皆さんのおかげです。
そして支えてくださったご家族があってのことです。
リーマンショックで大打撃を受けた頃を考えると、
まったく別の会社に生まれ変わったように思います。
感謝ばかりです。
■ 経営者人生の後半戦へ
さて、ここからは未来を考えます。
いま第74期(2025年度・56歳)、
これから26年後に第100期(2051年度・82歳)となります。
永続の象徴たる百年企業。
これが会社の大きな目標です。
父と別れて今年で26年。
目標達成まであと26年。
いまが折り返しであり、経営者人生の後半戦に入ります。
やることは山のようにあります。
「ヒト・モノ・カネ」とはよく言ったもので、それぞれに課題は明確です。
時代を区切ってみていきます。
それぞれの時代で自分が何歳になっているか、
どんな仕事をしているか、どんな人生を謳歌しているか、
ぜひ重ねてみてください。
■ 次の10年(56-65歳):新たなチャレンジ
なによりも当面の新工場(第4・第5工場)計画の完成です。
総額8億円になる過去最大の設備投資になります。
今秋導入される最新レーザーは独トルンプ社のハイパワーのもので、
日本初導入です。
第5工場(来年着工予定)では2次加工のレパートリーを追加します。
関西製造業での存在感はますます高まるでしょう。
社員育成もさらに進めます、とくに幹部です。
父の寿命(62歳)を、私も超えてゆきます。
万が一のことは誰にもある。その時に経営を担える人材が、いるか。
いまの幹部たちは実に見事な仕事ぶりです。
しかし経営者には別の筋肉が必要。
役割を与え、鍛えます。
[2034年度(第83期)]
自己資本10億円、総資産20億円、自己資本比率50%
社員20人、1人当たり自己資本5000万円
■ その先の10年(66-75歳):二百年企業への布石
第4・第5工場をフル稼働させて更に経営を強固にした後は、
第2拠点を作ります。
具体的には奈良県(あるいは大阪府の東部)を考えています。
創業の地である九条は、もともと町工場ばかりのエリアでした。
しかし、いまやマンション林立です。
今後の操業困難を想定します。
そして、迫りくる災害に備える意味があります。
自治体による「ハザードマップ」は恐るべき未来を告げています。
高潮で浸水した場合、
このエリアは「最悪で5-10メートルの高波」が押し寄せる、と。
まさか、と意識の外から追い出したい。
しかし想定外を想定しなければ「永続」は実現できない。
だからこそ、第2拠点づくりは私の代で何としても成し遂げます。
百年企業のその先、「二百年企業」を見据えての超長期の計画に着手します。
この頃には社長を後継者にバトンタッチしています。
私は会長として引き続きバックで経営を支えます。
[2044年度(第93期)]
自己資本20億円、総資産40億円、自己資本比率50%
社員25人、1人当たり自己資本8000万円
■ さらにその先の10年(77-86歳):百年企業を超えて
九条本社と第2拠点を順調に発展させ、
後継社長の成長を見届けます。
会社は発展し続け、
まさに「どんな不況にもビクともしない強い会社」になっています。
そして社員の皆さんにとって何と言っても大事なのは、
1人当たりの「給料」です。
いまは業界平均の120%水準ですが、いずれは大企業レベルを超えます。
「全社員の物心両面の豊かさ」という経営の目的を実現します。
私は30歳で3代目となってからの経営人生50年を書物にまとめます。
全国の経営者に中小企業経営の極意を伝え続けることはすでにライフワークです。
社会に育てていただいた恩返しとして、貢献の人生を生きます。
[2051年度(第100期)]
自己資本30億円、総資産60億円、自己資本比率50%
社員30人、1人当たり自己資本1億円
■ そして、父と再会する
父を見送って26年、経営者の卒業(ゴール)まであと26年。
ここに書いた目標を必ず達成します。
そのとき、父から承継した坂元鋼材は
「日本を代表する超一流の中小企業」になっています。
「ここで働いてよかった」と言える企業を、ともに作ってまいりましょう。
私個人としては健康に留意して天寿を全うし、
いずれあの世で再会する親父に「よくやった」と言ってもらうこと。
それが人生のゴールです。
私たちの挑戦は、
あまたの中小企業で構成される日本経済の活性化に直結します。
30年以上も低迷する日本経済を何としても復活させねばなりません。
中小企業の成功法則を我々が実証し、体現します。
良い会社を作り、良い社会を作ってまいりましょう。
この挑戦は坂元鋼材というチーム全員で走る長いマラソンです。
この道をともに走ってください。よろしくお願いいたします。
2025年7月4日
坂元鋼材株式会社 代表取締役 坂元正三