【社員旅行の正しいやりかた】
6月の給料袋メッセージです。
今月は、コロナで3年延期した社員旅行ができました。
ちょうど10回目となった社員旅行、その歴史を振り返りました。
[通算194号]
▲顔出しOKの社員のみ(笑)
■■■■■■■■■■
社員の皆さん、ご家族の皆さんへ
今月は3年ぶりに社員旅行が実現しました。
淡路島・鳴門への小旅行、いかがでしたか?
思えば最後に行った社員旅行が2020年2月の和倉温泉(石川県)。
まさにコロナが始まる寸前でした。
それから長いコロナ時代となり、社員旅行も3度見送りました。
その都度、予約をキャンセルしてくださった旅行社の担当者さん、
旅行委員のB君、たくさんご苦労をおかけしました。
ありがとうございました。
2020年春に新卒で入社した2人にとっても3年間「おあずけ」となった社員旅行でした。
2人とも入社直後にコロナが始まり、イレギュラーな社会人スタートでした。
しかしこの3年間着実に実力をつけてくれました。
社員旅行は(コロナの3年を除けば)毎年開催で、10回目となりました。
この歴史を振り返ってみます。
■ 生きた社員教育
私に社員旅行の大切さを教えてくださったのは中小企業家同友会の先輩経営者でした。
リーマンショック後に大赤字を出してしまい、経営を学ぼうと入った同友会。
そこでさまざまな経営者に出会いました。
1年、2年と学び続けているうちに、上手くいっている経営者の特徴に気づきました。
それは社員との関係性をとても大事にしていることです。
社内イベントの充実、とりわけ社員旅行に力を入れている何人もの経営者に出会いました。
ある社長は「社員旅行は年に2回行く。1回は国内、もう1回は海外」と言いました。
そして海外に行く場合は
「その土地の最高級ホテルに泊まる。同時にその地で最も貧しい地域にも行く」
その心は、上質の体験をすることで社員の思考を拡張させること。
商品の質、サービスの質、そこに込められた思いを知ること。
それは仕事でも必ず生きるはずですから。
そして貧困地区の現実も見ることで、その格差の大きさを体感する。
日本がいかに恵まれているかを感じるのも狙いの一つということでした。
まさに生きた社員教育。
費用はどうするのかも聞きました。
「全部会社が持つ。関空までの電車代も会社持ち」と、お金の使い方も徹底していました。
■ 活きたお金の使い方
また別の社長は社員旅行で行ったハワイで「ビール掛け」です。
プロ野球選手が優勝したときに繰り広げる光景、社員のたっての希望でした。
ホテルの室内でビール掛けに興じたあと、
カーペットなどの洗濯代として請求されたのが、なんと60万円。
それでも「いい経験が買えたなら安いもの」と涼しい顔です。
ラスベガスでは一人2万円をポケットマネーで配りました。
「ここがどこか分かっているな」と、すべて賭けさせたそうです。
この経験を振り返って
「一番大事なのは社員の心である。活きたお金の使い方をせよ」と説かれました。
どちらの社長も、社員に喜んでもらうこと、
いい経験をさせることにキッチリと時間とお金を使っています。
しかも見ていると、実はその社長たちが一番喜んでいるようです。
心が広いとはこういうことかと感銘しました。
ひるがえって私はどうだろうか。
「社員を喜ばせる」という発想が、そもそもあっただろうか。
経営を学ぶ以前には忘年会すらなかったような寂しい会社でしたから。
■ 社員の立場に立つこと
私も社員旅行をやってみようと思いました。
2012年3月、伊勢志摩への社員旅行に初めて出かけました。
当時の社員13人のうち11人が参加してくれました。
その初めての社員旅行を終えたあと、同友会のとある会合でした。
初対面の経営者に私は、社員旅行に行ったことを嬉しげに話しました。
するとその社長は私にこう聞きました。
「ところで、社員さんはお土産をたくさん買っておられましたか?」
そういえば、あまり多くの土産物を買ってはなかったように思えました。
「そうでしょ。私はポケットマネーで一人ずつにお土産代を配ることにしています。
経営者は接待交際費や会議費で飲食することもあるでしょ。
それを自分で払ったと思えば、1年でそれくらいは貯まるはず」
と言われました。
頭を打たれた思いでした。
社員の立場になって、どこまで考えていただろうか。
悩んで行動し、少しずつ改善するしかありませんでした。
■ 社員旅行、あれこれ
翌年は松江。3年目は飛騨高山。
このときから全員そろっての旅行となりました。
そして城崎、淡路島と定例化していきました。
2016年には初めて2泊3日で東北でした。
岩手から宮城にかけての沿海部、すなわち東日本大震災の被災地から学ぶことがテーマでした。
西日本に住む私たちには実感しづらいことを現地に直接行ってみんなで学ぶのが目的でした。
2018年の名古屋は中部鋼鈑の工場見学が目玉でした。
当社の鋼材の90%以上が中部鋼鈑のものです。
その生産現場を社員全員で訪ねることが出来て、大きな意義がありました。
コロナ直前の2020年2月の和倉温泉では「日本一の旅館」加賀屋が目当て。
おもてなしの心を学ぶのが狙い。
超優秀なサービス業がなにを考えているのかを学び、体感しました。
私たち製造業にも必ず生きる学びでした。
そしてコロナを迎えたわけです。
■ お世話係の出現
毎年の旅行を通じて「お世話係」の社員が生まれてくれたのも嬉しいことでした。
旅行委員としてみんなのお世話をしようと、自主的に名乗りを上げてくれた社員です。
初代がA君、そして2代目がB君。
バスで食べるお菓子や飲み物、夜食の手配。
車中を盛り上げるクイズやビンゴの準備。
それに数度にわたる旅行社との打ち合わせ。
みんなを喜ばせようと率先してやってくれました。
忙しい日ごろの仕事の合間を縫って、ありがたいことです。
■ 良質なコミュニケーションを求めて
毎年のことですが、若者たちの夜更かしパワーにも驚かされます。
私は「年寄り部屋」で早々と寝ますが、
隣の若者部屋からの「轟音」には毎年ひやひやものです。
明け方まで寝ずにゲームやおしゃべりに興じる姿、ほほえましいものです。
団体行動で窮屈なところもあるでしょうが、
一緒に飯を食い、一緒に寝泊りすること、そこから生まれる何かがあります。
毎日出社して顔を合わせていても、そこは多忙な日常。
仕事以外の会話をゆっくりと交わすことは意外と少ないものです。
この良質なコミュニケーションがきっと日ごろの組織づくりに生かされることでしょう。
3年ぶりに復活できたことに感謝です。年に1回のこの催し、これからも続けていきます。
2023年6月23日
坂元鋼材株式会社 代表取締役 坂元正三