
■ 経営理念の奥にいる人
(元社員・橋本さんを偲ぶ)
給料袋のメッセージです。
今月、ひとりの元社員さんがご逝去されました。
かつて看板職人として会社の最も厳しかった時代を支えてくださいました。
いまの会社があるのは、この方のおかげといっても過言ではありません。
在りし日をしのび、感謝を綴りました。
[通算230号]
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社員の皆さん、ご家族の皆さんへ
いつも社業へのご協力、ありがとうございます。
今月はどうしてもこのことを書かねばなりません。
11月9日、かつて当社の看板職人だった
橋本徹さんがご逝去されました(享年78)。
在職期間は2000年3月から2012年8月まで、
12年5カ月でした。
その存在感と残してくださった価値の大きさは、
年数だけでは到底計りきれません。
あらためて橋本さんのことを振り返り、感謝の思いを綴ります。
■ 会社の恩人
私が社長を継いだのが1999年7月でした。
2代目社長だった私の父が病で急逝し、
経営も溶断も素人だった私が29歳でいきなり3代目を継ぎました。
バブル崩壊で先の見えない時代でした。
古くは石油ショック、その後にはリーマンショック
という苦境もありましたが、
間違いなく、この時が当社最大の経営危機でした。
そんな時です。
父が亡くなって半年ほどしたある日のことでした。
同業のT鋼材さんが廃業し、
そして当社に移籍してくださったのが橋本さんでした。
父との間には、こんな会話がなされていたそうです。
「社長、T鋼材がやめたら坂元鋼材で雇うてな!」
「おう!」
かつては当社も同業他社(T鋼材さん)に
溶断品を外注するほど忙しく、
父は橋本さんの腕前にほれ込んでいたのでした。
父が不在になり右も左もわからない私が
経営者になったその翌年、
橋本さんがひょっこりと当社に現れたのでした。
「ほほう、正三が困っとるな。
わしの代わりに、この人をつかわそう」
偶然と言えばそれまでですが、
私には天上にいる父が橋本さんを
送ってくれたように思えてなりません。
■「次に使う人」のための仕事
橋本さんは生粋のガス溶断職人でした。
青いツナギ姿でアイトレーサーの前に立つと、
まさに「水を得た魚」でした。
正確・迅速・丁寧。
小さな端材でも無駄にせず、
必要とあれば溶接して固定し、
番線で吹かした穴はきれいにサンダー掛けをして
火口の入りを良くし、
歪みや対角が狂わないように
独自の工夫を惜しみませんでした。
「横着から火が出る」とよく言っておられました。
ひと手間を惜しんだ横着は、必ずツケになって返ってくる。
だから見えないところに時間をかけられました。
また「次に使う人が使いやすいように」
といつもおっしゃいました。
鉄鋼溶断品はモノづくりの中間製品です。
お客様に引き渡された後、どこかの誰かが加工し、
組み立て、最終形にしてくれます。
未知の「次に使う人」のために歪みが少なく、
寸法が正確で、きれいな切断面を残す。
その姿勢こそが橋本さんの仕事哲学でした。
この「次に使う人が使いやすいように」という一文は、
のちに当社のパンフレットにも載せました。
さらには「信じられ、頼られ、用いられ続けます」
といった経営理念の底流にもなっています。
■ 価格を超える品質
当時はバブル崩壊後の景気がどん底のころで、
安値競争が横行していました。
当社の得意先が一時期、極端な安値で売り込んだ
同業他社に仕事を切り替えたこともありました。
悔しく、不安でした。
ある時、その同業他社が切った溶断品を偶然に見かけました。
啞然としました。
切断面は荒く、材料は真っ黒で、いかにも粗悪。
同じ溶断品でもここまで差が出るのかと驚きました。
当社の切断品質の高さ、
そして橋本さんの仕事の丁寧さがよく理解できました。
他社製品を一緒に見ていた橋本さんが言いました。
「社長、これなら大丈夫ですわ。いつか帰ってきますわ」
その通りでした。
一時は他社に流れた仕事も、やがて大部分が戻ってきてくれました。
「橋本さんが切るから、坂元鋼材に仕事を出す」
そう言ってくださるお客さまが現れだしたのも必然です。
低価格ではなく「高品質」で勝負する。
いまの当社の方針を作ってくださったのも橋本さんでした。
■「陰徳」の人
橋本さんの凄さは、技術だけではありません。
誰よりも早く出社し、自分の機械をきれいに磨かれました。
さらにはトイレや流し台の掃除まで自主的になさいました。
誰も見ていないところで誰かのために動く姿は、
まさに「陰徳」そのものでした。
「陰徳陽報」という言葉があります。
陰で積んだ徳は、どこかで形を変えて返ってきます。
それが信頼であり、信用になり、
いざというときに周りが「助けたい」となるのです。
会社には誰のものと決まったわけではないけれども、
それがなければ職場が成り立たない「小さな仕事」が
山のようにあります。
機械や備品の手入れ、工場や事務所の清掃、
片づけや整理整頓、ごみ袋の交換、
落ちているごみを拾うこと、
夏場の麦茶づくりなどもそうです。
そんな「仕事と仕事の間の小さな仕事」を
皆さんが進んでやってくださっているのを見るたびに、
私はいつも橋本さんを思い出します。
■ 前君が受け継いだ「仕事師」の背中
橋本さんが入社して半年ほど経ったころでした。
「よく知ってる若者がいる、紹介したい」と、
ひとりの青年を連れてきてくれました。
それが前和彦君(当時24歳)です。
前君は橋本さんからプロの溶断技術だけでなく、
心構え、仕事哲学、立ち居振る舞いまで、
あらゆるものを受け継ぎました。
「仕事師の中の仕事師」たる橋本さんのまさに後継者です。
「自分という商品を会社に売っている」
「おってナンボでなく、やってナンボ。
やってナンボでなく、出来てナンボ」
「いずれ会社に自分の銅像が建つ」
そんないくつもの名言を残しながら
次々と大仕事を成し遂げました。
プラズマ加工機の導入、初代レーザー加工機の立ち上げ、
今回の新工場建設と新レーザー導入まで。
社運を賭けた大型プロジェクトをことごとく成功させました。
そして工場長として後進の指導にも大活躍です。
前田君・大石君といった幹部が育ち、
さらに河野君・三宅君・白濵君・小島君といった若手たちが
「教え合い」の文化の中でたくましく成長しました。
工場内のすべての機械を高い水準で使いこなす
前君がモデル人材です。
現場の若手たちが複数の機械を覚え、CAD/CAMも学び、
寸暇を惜しんで実力を伸ばそうとしています。
そんな当社の経営方針たる「少数精鋭主義」の源流をたどると、
やはり橋本さんに行き着きます。
■ 経営理念の奥にいる人
会社の大切にしたい考え方は経営理念、
そして「コーポレートスタンダードブック」に結実しています。
フィロソフィーや人材育成方針など、
坂元鋼材の「哲学」を言語化したものです。
そのなかで人材育成方針として掲げたのが次の文言です。
「徳と才を兼ね備えた仕事師の中の仕事師」
「仲間と顧客と社会に尽くせる人格者」
これらの文言を練っているとき、
頭の中にはいつも橋本さんをはじめとする
会社を支えてくださった歴代の職人さんたちの
地道で粘り強い仕事ぶりが浮かんでいました。
・ 技に優れ、丁寧な仕事を黙々と続ける仕事師
・ 仲間のため、会社のために陰で汗をかく人格者
・ 顧客のため、隣人のために労を惜しまない奉仕者
スタンダードブックの奥底には
橋本さんの姿が透けて見えます。
技術だけでなく働く姿勢、
すなわち「企業文化」を私たちに残してくださったこと。
その価値は計り知れません。
■ 感謝を込めて
きっといまごろ橋本さんは天上で私の父と
26年ぶりの再会を果たしていることでしょう。
好きなお酒でも酌み交わしているところでしょうか。
父さん、橋本さんにはずいぶんと助けてもらいましたよ。
橋本さんを坂元鋼材に呼んでくれて、本当にありがとう。
橋本さん、長い間たいへんお世話になりました。
橋本さんが残してくださった有形無形の財産は、
これからも会社に残り続けます。
みんなで大切に守り抜きます。
橋本さんのご冥福を心よりお祈りするとともに、
長年にわたるご貢献にあらためて深く感謝申し上げます。
本当にありがとうございました。
おつかれさまでした。
2025年11月25日
坂元鋼材株式会社 代表取締役 坂元正三