頑張る理由 [給料袋メッセージ 118]

【頑張る理由】

 

きょうは25日、給料袋のメッセージを書きました。
この4月から新卒生を迎えました。
ともに学び、ともに育ち、ともに良くなっていきたい。
なぜ私たちは前を向いて突き進んでいるのか。
新卒生を前にして「頑張る理由」を考えてみました。
(通算118号)

 

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社員の皆さん、ご家族の皆さんへ

 

この4月から新卒生の西嶋君が入社しました。昨年の原口さんに続いて2年連続の新卒採用。迎えるほうも試されます。

 

西嶋君を迎えて最初の学習会となった先日の会議では、会社の理念とビジョン、そして個人の理念とビジョンをテーマとしました。これから社会人として長い航海に出るにあたり、その羅針盤や目的地を明確にするためです。

 

いつものように和やかな会議でしたが、若手社員の間から「個人として核となる理念がわからない」という発言がありました。なるほど。若いうちはまだ確固たる哲学やビジョンがしっかりと確立していないのもうなずけます。

 

かくいう私自身、えらそうなことはまったく言えません。理念やビジョンを考え始めたのは実は40歳を過ぎて経営の学びを始めてからのこと。自分自身の20代を振り返ると、猪突猛進で走ってから考えるタイプだったことを反省するばかりです。

 

とはいえ若手社員の皆さんも、若かった当時の私も、言葉としては意識していなくても「思い」はある(あった)のではないでしょうか。今月はそのあたりのことを考えてみます。

 

個人と組織(会社)がおたがいに幸せな状態とは、どんなものでしょうか。それは会社が大切にしている理念やビジョンと自分自身が大切にしている価値観が共鳴・共感していること、ということを学びました。会社と個人の2つの理念ピラミッド(三角形)が相似している状態です。だから、社員の皆さんに会社の目指す方向に共感してもらうこと、納得してもらうことは、私にとって最重要な仕事です。

 

会社が大切にしている価値観、それは「信頼」であり「貢献」(鉄を通じて社会を支えること)であり「成長」(最高の仕事への挑戦)です。そしてビジョンは「社員の物心両面の豊かな人生」であり、「財務が強くて人の育つ会社」です。その上に33年後の「第100期」を迎える、という大きな目標が乗っかります。

 

会社はこの4月から第67期に入りました。創業は戦前(1935年)ですが、法人としては1952年が第1期です。だから2051年に第100期。それは33年後であり、私はそのとき82歳。おそらく相談役となっているでしょう。この第100期のときにベストな状態で発展しつづけている組織をイメージし、そこから逆算してさまざまな手を打つ。それがこれから33年間に進む航路です。

 

33年後、皆さんは何歳になっているでしょうか。入社したばかりの西嶋君なら53歳、まさに働き盛りです。個人の成長とともに会社が着実に発展し続ける。そんな組織体をともに作り上げたい。

 

先日の会議では米ハーバード大学による有名な調査のことも学びました。「目標設定と収入の相関関係」について、同大の卒業生を追跡調査したものです。

 

卒業の時のアンケートに「明確な目標と具体的な計画を設定し、紙に書き残している」と答えたのは3%の学生、「目標は設定したが、特に紙などには書き留めていない」が13%、「卒業後の夏を存分に楽しむこと以外は、とくに明確な目標は設定していない」が84%でした。

 

果たして10年後に行われた追跡調査では、どのような違いが見られたか。

 

目標は設定したけれども紙にまでは書かなかった13%の卒業生は、明確な目標を定めなかった84%の卒業生の「2倍の収入」を得ていました。さらに、明確で具体的な目標を持ち、それらを紙に書きとめていた3%の卒業生は、残り97%の卒業生の「10倍の収入」を得ていたということでした。

 

思い出すのは、イチロー選手が小学校6年生の時に書いた作文です。将来はプロ野球の選手になるとハッキリと書き、ドラフトで入る球団や契約金の額まで具体的に描かれていました。いま大活躍している大谷翔平選手にも同じように高校1年生の時に書いた目標達成シートがあり、話題になっています。ドラフト1位とかスピード160キロとかが書かれてあり、その通りになっています。

 

 

 

 

考えてみたいのは、ではなぜ彼らは紙に書き留めるほど強烈で明確な目標を持てたのか、というその熱意や原動力です。
これは想像ですが、恐らくは自分の「頑張る理由」をハッキリと意識する出来事や振り返りや気づきがどこかにあったのではないか。

 

坂元鋼材が会社としての第100期ビジョンを意識した切っ掛けは、リーマンショック後の大赤字でした。もうあんなことは二度とごめんだ。絶対にビクともしない豊かな会社になるのだ。それは大ケガからの誓いでした。

 

国家としての基本理念は憲法ですが、日本国憲法が「基本的人権」「国民主権」そして「戦争放棄」を誓った背景には、悲惨極まりない戦争の実態がありました。その反省と後悔から崇高な理念が生まれています。だから皮肉にも、世代交代が進んで戦争の記憶が風化すると、その理念が忘れ去られたり、これを変えようという策動が出てくるのだと思います。

 

先日の会議では、はからずも会社の創業者である私の祖父母のエピソードも出ました。終戦後、焼け野原の大阪に舞い戻った祖父母。麦飯を食べ、井戸水をくみ、ムシロを敷いて再開した生活。そこにあったのは当時の日本人に共通したであろう「貧乏からの脱出」であり「豊かさへのあこがれ」でした。とにかく働きづめに働いた一生だったのが特に祖母でした。

 

坂元鋼材の2代目を婿養子として継いだ父も筋金入りの働き者でした。「こんな小さな会社でも社員の家族を入れたら50人以上が飯を食っている」と父はよく口にしていました。祖母も父もおそらく言葉としては意識していなかったでしょうが、これらは祖母や父の立派な理念だと思います。家族や社員を豊かにしたい。明文化されていなくとも、それが創業以来の思いに違いありません。

 

さて、会議の席で西嶋君がこんなことを言いました。

 

「親に苦労を掛けた。だから楽をさせてあげたい。お金をもらうためにはいい仕事をしないといけない。頑張って仕事をして、まかされるようになって。そのためには基礎を覚えて、効率よく仕事をしないといけない。だから時間があるときに手切りやクレーンを教えてもらう。トレーサー、角切り、丸切り。みなさんを見て、早く覚えていきたい」

 

これを聴いて本当に感動しました。親孝行よりも大きな頑張る理由があるでしょうか。家族を幸せにすること以上に大きな目的があるでしょうか。そのことを20歳の西嶋君がすでに知っていて、私たちに教えてくれています。

 

西嶋君、これから私たちと一緒に長い航海に出てゆきましょう。目標を定めて達成し、大切なことを大切にできる人生をまっとうしてまいりましょう。

 

2018年4月25日
坂元鋼材株式会社 代表取締役 坂元正三