働く幸せ [給料袋メッセージ 123]

【働く幸せ】
きょうは24日。給料袋メッセージを書きました。
(通算123号)

 

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社員の皆さん、ご家族の皆さんへ

 

今月はお詫びの文章になります。4月に迎えた新入社員のA君、3カ月の試用期間を越させることができませんでした。

この3カ月間、育成にかかわってくれた社員の皆さんに感謝すると同時に、私の力不足をお詫びします。

 

久しぶりの高校新卒の社員を迎え、育成に全力を尽くした3カ月でした。特に現場の皆さんは彼の成長に常に関わってくれました。

 

最も大切なマインド面を鍛える意味では、私は朝礼や学習会、そしてこの給料袋メッセージなどを使って、良質と思う情報を伝え続けました。

 

5月の社内学習会を振り返ってみます。こんな質問で始まりました。
ある私立中学の今年(2018年)の入試問題です。
 


 

『かつてあるイギリスの経済学者は、将来は1人が1週間に15時間働けば十分な世の中になると言いました。

また、生活を送るために十分なお金を全員に与えるベーシックインカム(基礎収入)という取り組みを実験的に行った地域もあります。

さらにAI(人工知能)の発達によって〈不要になる職業〉も最近の話題になっています。

このように考えると〈人が働くのは当たり前〉という考え方自体が大きく変わるかもしれません』

 

働かなくても生活するために十分なお金が国からもらえるとしたら、あなたは働きますか、働きませんか。

どちらか一方を選んだうえで、その理由を具体的に答えてください。

 


 

こんな試験問題を出すとは、すごい中学校があるものだと感心しました。
実はこの話は、アチーブメントの青木仁志社長の講演CDから話題をもらったもの。

「人はなぜ働くのか」というダイレクトな話なので学習会のテーマにしました。

社員の皆さんからは様々な意見が出ました。

 

「もらえる金額にもよる。生活ギリギリの金額なら、自分は働く。もっと欲しい。ただ、モチベーションは下がるかも」

 

「せっぱ詰まる環境ではないので、心にゆとりができると思う。私は働く。やりがいのあるところでは働きたい」

 

「月50万円とかすごい金額なら、本当に働かなくなる人が出るだろう」

 

さて、この質問を聞いて私が思い出したのは日本理化学工業さんの話です。

以前にもご紹介した、障がい者雇用で有名なチョーク製造工場です。

昨年に川崎市の同社を訪問したとき、大山社長(障がい者雇用を始めた大山会長の息子さん)からお聞きした話です。

 

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いま社員84人のうち63人が知的障がい者。そのうち27人が重度の障がい者。読み書き、数字の理解が難しい。

しかし大丈夫。障がい者は「出来ない人」と言うイメージがあるが、そんなことない。

自分が理解したことをキチっと一生懸命にやってくれる。

 

我々はボランティアではなく一般企業。ちゃんと利益も出しながらやってきた。それは可能だということを彼らが証明してきた。

 

同社で障がい者雇用が始まったのは1960年。たまたまのご縁だった。

大田区にあった青い鳥養護学校の先生が2人の女の子を連れてきた。

今の会長(当時専務)が対応した。何が出来て何が出来ないかわからない。お断りした。

どこでも断られたようで、また来た。15歳と16歳の少女たち。

当時の定年は55歳、これから40年間雇用する責任は取れない。二度断った。

 

そして3度目に来た時、先生がおっしゃった。

「就職はいい、働く経験だけさせてあげてほしい。東京で就職できないと親元を離れて地方の施設に行くしかない。

働く経験をせずに一生を終えてしまう。数日でもいい、働く経験をさせてほしい」

 

それで2週間だけ受け入れた。チョークの箱にシールを貼る作業、ひたすら貼った。

1日目、2日目、ずーっと、休憩のベルが鳴っても手を休めない。

 

その姿を周りの社員が見ていた。約束の2週間が終わるとき社員が言い出した。

 

「こんなに頑張る子たちなんだから就職させてあげてほしい。私たちが面倒をみる」

 

そう専務に嘆願した。そんな風に最初は「かわいそう」という同情から始まった。

計画性があって始めたのではなかった。

 

学校とパイプが出来て毎年1人、2人と続いた。最初の2人がものすごく頑張ってくれ、働く姿で周りを説得した。

でも全員がそうではない。大声を出したり、なかなか理解できなかったり。

「面倒見るから」と言った社員たちすらストレスに感じるようになった。
このままではダメだ、経営にならない。

 

障がい者がなかなか戦力にならず困っていた時のこと、ある言葉に出会った。それが後押しになった。

 

法事のときにやってきたお坊さんに障がい者の話をした。

理解力がなく、しょっちゅう失敗し、怒られる。それでも毎朝キチッと来てくれる。

しかし施設にいる方が幸せではないか。最低限でも生活は保障されている。

どうして会社に来てくれるのか?

 

お坊さんがそれを聞いて言いました。

 

「モノがあれば幸せですか。人はそれだけではない。人間の究極の幸せは4つ。

愛されること、ほめられること、役に立つこと、必要とされること。

このうち愛されること以外の3つは働くことで得られる。

『よくやったね』『天気の悪い時に来てくれてありがとう』――これが彼らの幸せ。

施設が人を幸せにするのではない。

企業だからこそ提供できる幸せがある。企業にはそういう役割がある」

そう教えられた。頑張ろうと思った。

 

最初に入ってきてくれた2人がいたから続いた。もう退職しているけれど、16歳、17歳だった少女が65歳、68歳まで勤めてくれた。

定年の60歳を超えても必要とされたから嘱託になった。

 

言葉は話せないけれど、ただただシールを貼る姿で人を動かした。

最初にすごく手の掛かる人だったら、いまも障がい者雇用は出来ていなかっただろうし、いまの会社もないだろう。

 

二人が見本だった。挨拶も気持ちがよく、年1回の表彰(あいさつ賞)の殿堂入りした。態度がキチンとしていた。

 

相手の理解力が限られているので「教えること」を大事にした。

大事なのは簡単にあきらめないこと。教え方もその人その人を見て。

障がいの知識、経験があったわけではない。

その人を見るしかない、何が得意で何が苦手か、どうすれば理解してくれるか。

 

「わかった」と言ってもその言葉を信用しない、「行動を見て分かったかどうかを確認しなさい」と言い続けた。教えたことが出来なかったら、教えた方が悪い。相手の能力のせいにしてはダメ。それは許されない。

 

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人を大切にする「人本経営」の聖地とも称される同社を訪れ、ひとの働く意義、その根源を教えられました。

 

この話をこの5月の学習会で再び取り上げたのは、やはり新人を迎えたからこそ。

A君には、みんなが一生懸命に関わってくれました。しかし残念ながら試用期間を越させることはできず。

 

「教えたことが出来なかったら、教えた方が悪い。相手の能力のせいにしてはダメ。それは許されない」

という大山社長の厳しい言葉が沁みます。

当社では彼を人財に育てることはできませんでした。

 

しかしこの3カ月間、レーザー周りはB君、クレーン操作はC君が必死になって彼に仕込んでくれました。

D君は常に目配りして教える社員を教える立場をも取りました。

そして若手のE君、ベテランのFさん、Gさんも一丸となって彼の成長に尽くしてくれました。事務所のメンバーも同様です。

 

それにもかかわらず不本意な結果となったこと、申し訳ありません。
最大の要因は私の指導力不足、そして判断の甘さでした。

 

A君も彼なりに頑張ったこと、感謝します。社会人として初めての職場、一生忘れないでしょう。

ここで学んだことを次の職場で生かしてほしい。

 

時間と情熱を存分にかけてくれた社員の皆さんには申し訳ない気持ちで一杯です。

しかし先輩(教育係)のB君はこう言いました。

 

「入社して5年目、初めて出来た直属の後輩でした。ここで育成にかかわった経験を次に生かします」

 

よくぞ言ってくれたものです。経営者であり倍ほどの年齢を重ねている私のほうが彼からいたわられている、そう思いました。

申し訳ない。その言葉、次こそは絶対に無駄にさせません。

 

それにしてもD君、C君、E君、B君と、現場の若手が頼もしく成長してくれました。それを再確認した3カ月でもありました。

これもまた、働くことによって得られる大きな喜び。

ただのお金がもらえようが、人工知能が発達しようが、この充実感は働くことによってしか得られないでしょう。

皆さんに感謝します。
 

そして今月はやはり懺悔です。申し訳ありませんでした。

 

2018年8月24日         
坂元鋼材株式会社   代表取締役 坂元 正三