【木村塾レポート】 49対51の法則(ビジネス成功の秘訣)

【49対51の法則!】 

=ビジネス、そして人生成功の秘訣を学ぶ

 

KKFCやってみよう会(2015年8月11日)
竹内泰光UBI社長「わが人生を語る」

 

木村塾恒例の「わが人生を語る」。きょうは木村会長の後継者としてUBI株式会社の2代目社長を務める竹内社長の登場です。

 

会場には木村会長を慕うメンバーが大勢駆けつけ、まるで木村塾オールスターキャストの様相。それは「木村会長の一番弟子」ともいえる竹内社長から是非とも学びたいという思いの現れ。懇親会は翌々日の木村会長75歳誕生日を祝う会にもなり、大盛会となった一夜。

 

 

いつもながら深い学びの木村塾ですが、やはり今日は特別。

 

● 目標設定の大事さ
● 公言力
● 決意がすべて
● 49対51の法則
● カネの使い方と信頼感の相関関係
● ギブ&ギブ

 

その一つ一つが、自分にとって大きな反省でした。
「木村会長に出会ったことは宝くじに当たったこと以上」(竹内社長)。
まったく同感の一夜でした。 (※詳細は各写真にて)

 

■■■ 信頼残高を増やせ! ■■■
=木村会長のフィードバックから

 

・ きょうのダイアードのテーマは「信頼残高の増やし方」。僕と竹内君がやってきたのは、結局これやねん。

 

・ 日本一の給料を目指す。
 いま日本で一番給料を出す会社は社員平均1500万円くらい。
 竹内社長が目指すのは平均1億円の会社。
 それを公言している。
 ワクワクする。心臓がドキドキする。

 

・ 竹内社長は勝手に育ってくれた。「任せたら何も言わん」こと。

 

・ 香港は自由放任経済で伸びた。
 日本は中小企業を国が支える。儲からへん会社を一生懸命に支えとる。金利だけ払って元金は据え置いてええのが日本。だから日本の経営者は世界では通用せえへん。
 一方、香港は自由放任。しかし責任も自分でとる。だから香港の経営者は世界中のどこに行っても通用する。

 

・ 香港は経済も発展している。
 アジアの経済力(一人当たりGDP)は
 

 ① シンガポール
 ② ブルネイ(資源で潤っている)
 ③ 香港
 ④ 日本
 

 日本は抜かれとる。

 

・ この香港の自由放任主義を社員教育でなぞらえた。
 自由放任社員、というと聞こえはどうか?
 だから「放牧経営」と言うことにした。
 任せたら何も言わん。理念とビジョンだけ共有する。
 (理念・ビジョンが牧場の柵に相当する。)
 あとはその人が考える。
 コツは社員の能力を引き出すステージをいかに与えることができるか?

 

・ 竹内社長にUBIを後継した時、ぼくは3億円を彼に賭けた。結果、それを20億、30億にしてくれた。

 

・ ほかのビジネスでも同じ。ガス屋、パチンコ屋、香港の金融会社、みんな人に任せた。全部自分で見るのは無理。
 任せた人が上手にやった。

 

・ 起業家とは
 ①カタチを変えることができる。
 ②メシの種を作れる。

 

・ いまの仕事のやり方で目標のBSが作られへんかったらPLを変える。
 竹内社長はカタチを変えた。メシの種を作った。ビジネスの中身を変えてBSビジョンを実現した。
 起業家は必ずしも創業者とは限らない。竹内社長は2代目だが立派な起業家。
 うちの会社のこれからの後継者もみんな起業家。
 竹内社長は起業家の最たるもん。

 

・ 経営のコツは、社員とビジョンを共有することと信頼残高を高めていくこと。

 

・ わしは仕事をして人ともめたことがない。それは自分が主導権を取ろうとしないから。
 わしは会社のカネで車に乗ったことはない(一滴のガソリンも入れたことはない)。
 ゼニの使い方を見たら、皆さんの信頼残高がすぐわかる。(公私混同する経営者が多いが)そんな金の使い方やったら信頼残高は増えへん。預金残高は増えるかも知らんが。

 

・ 「49対51の法則」。これがビジネスを上手くやる秘訣。
 相手に51を与える(自分は49にする)。
 相手に多くを与えて、気持ちよく仕事をしてもらう。
 相手に与えた得は「徳」になって返ってくる。

 

・ 人は幼少期は「テイク&テイク」(もらうばかり)
 働くころになって「ギブ&テイク」となる。
 そして、いずれは「ギブ&ギブ」になること。
 周りに与えて、与えて、与えきる。
 すると後ろから「ドーン!」と大きなテイクがやってくる。
 これが分かったら、人生すごい。

 

・ でも、早いこと(若いうちに)やったらアカン。
 自分がちゃんとメシを食えるようになってからや。

 

 

 

 

【人生の差は求めるものの差】
= 竹内社長の「わが人生を語る」

 

・ 一言で言うと「出来過ぎの人生」。
 もともと大きな志、人より秀でた能力があったわけではない。
 しかし現在、自己資本30億円の会社を経営し、マラソンや登山をし、そしてエベレストを目指している。考えられないことだった。

 

・ それは何よりも木村会長との出会いが大きかった。
 会長と出逢って「目標設定」するようになった。それも自分の予想を超えるような大きな目標設定を迫られた。
 それまでは目標を定めても、自分が出来ると思う範囲内のものに過ぎなかった。

 

・ 人間は、もともと持っている能力の差よりも「何を目指して生きるか」ーーこの差の方が違いを生む。(人の一生の違いは求めるものの違い。)

 

・ 1963年(昭和38年)12月、大阪阿倍野生まれ。
 高度経済成長期だった。仕立屋を営んでいた両親の商売が繁盛し、何不自由ない幼少期を送った。
 しかし子供のころから親に頼ろうとはせず、小学校6年から新聞配達。
 学校の成績は「中の下」で、アルバイトに明け暮れた。大学も夜間で、働きながら通った。
 

・ バブル経済の頃、活況を呈していた不動産業にあこがれた。
 トラック運転手をしながら宅建の勉強。受講テープを何度も何度も、100回以上も聞き込んだ。そして合格。縁あって木村会長の経営する不動産屋(関西ホーム=現UBI株式会社)に就職。

 

・ その頃、妻と結婚。子供も出来ていた。
 しかし収入が少なく、ようやく住めたのは自社物件でもあった古いマンション。妻の目に涙が。
「5年後にマイホームを買ってやる」と固く決心した。

 

・ 北巽駅前の小型店が振り出し。
やがて働きぶりが認められ、大型店の店長に抜擢される。
 まだ若い自分に出来るか迷ったが「これを受ければマイホームが買える」と奮い立った。
 谷町九丁目にあったその店は、土地柄からヤクザな人々が出入りする面倒な店だった。「責任者を出せ」とすごむヤクザ。「私が責任者です」「お前じゃアカン、社長を出せ」「私が社長です」と一歩も引かず。話は聞いても要求は決して飲まなかった。その態度にヤクザも引き下がった。

 

・ 店は徹底的にキレイにした。トイレ掃除から始まり、近隣も掃除した。

 

・ 店の利益も増やした。いまの売り上げのままでどれだけ利益を出せるか。無駄な固定費をカットした。

 

・ そんな働きぶりが木村会長の目に留まった。
するとさらにハードルを上げて来られた。(会場笑)

 

・ その頃、ある競売物件を落札した。2億円の物件を2・8億円で落としたのはいいが、次順位の応札額が2・2億円だったと知り、慌てた。高値づかみをしたのではないか。
 香港にいた木村会長に電話し、恐る恐る報告した。
 会長は「それでやれるか」と聞いてきた。
 「やれる」と答えた。
 「お前ができると言うんならやってみろ」と、一切怒られなかった。だから踏ん張れた。
 もしあの時会長に怒られていたら、その後の自分は無かったと思う。

 

・ そして2003年、木村会長の後継者としてUBIの社長に。
 その時の自己資本の額が3億円だった。しかし会長が掲げた「2010年ビジョン」は自己資本10億円。あと7年であと7億円。
 いまのままのやり方では追っつかない。中古物件のリニューアル事業に仕事のウエイトを移した。

 

・ 一方、家賃滞納者への督促・取り立て、という従来業務にも注力した。
 木村会長から社長を継いだとき、この分野が大赤字だった。
 しかし余りに熱心に追い込んだからか、事件も起こった。取り立てに行った社員3人に対し、ある入居者がナイフで切りつけてきた。社員たちが負傷。親御さんに申し訳なかった。
 経営をしていると、どんな「まさか」があるか分からない、と思った。

 

・ 社業は順調に伸びた。上場を視野に入れていたその頃、「めざせIPO」という事業内容を競うコンテストが大阪産業創造館であった。そこで優勝。
 その後、東京のある企業が増資を申し込んできた。自社株の3割を10億円で買ってくれた。その結果、2010年には自己資本が21億円にまでなった。

 

・ その次のビジョンを考えた。
 木村会長は「何でも10倍」が好き。だから次は自己資本200億円ビジョンを掲げ、本社も東京に移した。

 

・ そのビジョンが実現した時、社員の平均年収は1億円になっているだろう。

 

・ なぜ会社がこれほど成長したか。それは自分たちの能力よりも「目指した目標が良かった」から。

 

・ 「成功するやり方を教えてほしい」とひとからよく聞かれる。しかし大切なのは「やり方」よりも「決意するかどうか」だと思う。
 大きな目標を掲げて公言する。するとそれはプレッシャーにもなるが、声援という支えにもなる。
 周りの人の「期待に依存」する。
(木村会長の言う「公言力」)

 

・ 木村会長から本当にほめられたことは2回。
 毎年恒例の六甲全山縦走で社員全員が10時間切りしたことと、富士登頂マラソンを完走したこと。
 六甲縦走には毎年社員が挑戦するものの、脱落者もいた。
 完走後に忘年会となるが、脱落者のいた年は会長が不機嫌極まりない。宴席で怒り散らす。
 一同、しーんとなる。お鍋のふつふつと煮える音だけが響く。
 これではだめだ。
 翌年から社内の「歩こう会」を始めて社員を鍛えた。鬼軍曹になった。女子社員も泣きながら登った。いまならパワハラかも。
 そして翌年は全員が完走。そしてその次は全員が10時間切り。会長が心底からほめてくれた。

 

・ 目標を立てて公言する。
 そしてその実現を期待して喜んでくれる存在を見つけ、その力を借りる。
 自分も「木村会長に喜んでもらいたい」という思いが目標達成させる力になった。

 

・ いったん目標を立てたら「突き抜けるまで」やってみること。途中で放り出さない。そうでないと勿体ない。

 

・ 振り返れば、達成できなかった目標もあった。それは「決意が足らなかった」目標だった。

 

■■■■  質疑応答から ■■■■

 

【問】エベレストには、いつ?
【答】今の状態では会社を長期間留守に出来ない。エベレスト登頂にはそれだけで2カ月かかるし、その前にハードなトレーニングもいる。後継社長に譲ってからのこと。しかし若い年齢でのチャレンジの方がいい。5年以内、50代前半でやりたい。

 

【問】目標を設定するコツは?
【答】必ずしも大きすぎず「手が届くか届かないか」。そして「それが自分以外の人にとっても価値あるもの」であること。
 木村会長が「このBSビジョンを実現したらトヨタを抜くぞ。トヨタの給料を抜くぞ」と言ったのがそれ。
 ビジョンを語るときには、それが実現したら「社員がどうなるか」を明らかにすることが大事。
 会社のビジョンと社員の人生ビジョンを連動させる。

 

【問】子供の教育については?
【答】反省することが多い・・・。しかし背中は見てくれたと思う。

 

【問】後継者は?
【答】「血族承継はしない」ことを木村会長と約束している。後継者は自分よりももっと大きなビジョンを描ける人。バトンタッチするごとに会社が大きくなる。
 実際にはいまの副社長が後継者。木村会長はご子息がいるのに自分を後継にしてくれた。その決断には断腸の思いがあったはず。株も譲渡してくれた。
 もう「ビジョンを実現するしかない」と本気になった。

 

【問】座右の銘は?
【答】木村塾の理念にもある「より以上を目指して生きる」。

 

【問】奥様は?
【答】連れ添って25年も一緒にいてくれた。今年は銀婚式。「家内は責任」。
 

 

 

 

 

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