【おつかれさまでした】
社員の糸井さんが定年退職されました。勤続30年でした。今日の月給袋の文章は糸井さんの30年間に感謝して書きました。
(通巻88号)
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社員の皆さん、ご家族の皆さんへ
糸井さんがご退職されました。1986年の入社で勤続30年でした。長年にわたって事務所の大黒柱として重責を担ってくださいました。
30年前の坂元鋼材はまだNC溶断機が導入される前。アイトレーサー2台とポータブル溶断器が数台だけで、太丸鋼の切断もしていた時代でした。当時は私の父が社長でした。
思えば糸井さんは父が社長だった時代が13年、私が社長になってからが17年と、私の方が長くなりました。本当に長い間お世話になり、助けてもらいましたし、仕事人として私は糸井さんに育ててもらったのだと思っています。
私が入社したのは1998年、父に癌が見つかってからのあわただしいものでした。当時は私の母がまだ事務所で働いていましたが、父が亡くなってからしばらしくして長期入院し、それを機に母は仕事を引退。
その後の事務所は糸井さん、中上さん、当時のCAD・CAM担当・冨岡さん、そして新米の私と、実質4人で回していたことになります。振り返れば「よくやっていた」という思いです。
今と違うのは、平鋼・形鋼や加工品などの外注物が多く、仕事が多岐にわたっていたこと。糸井さんが鉄鋼の各品種や九条界隈の鋼材屋について「生き字引き」のように詳しいのは、このためです。私も鉄鋼や九条の実際については糸井さんからほとんど一切を学びました。
このころは、まだツイスタ―が入る前。いまの若い人には信じられないでしょうが、12ミリ厚、9ミリ厚、さらには6ミリ厚もすべてガス溶断で切っていました。晩掛けは荒川さんのNC溶断機です。ガスなので一つの穴をあけるのに1分近くかかります。小さな品物は(倒れると危険なので)入れれません。
その後、2002年にツイスタ―が導入されると薄物や小物の仕事が激増します。処理能力が圧倒的に速いので、CAM専属の社員が必要になる時代を迎えます。前田君の登場です。そして注文点数と同様に、処理すべきCADの点数も増えます。多忙を極めたこの時代、やはり事務所の大黒柱は糸井さんでした。
先日の送別会のときに中上さんが言っていたことですが、糸井さんは「工場の稼働が最優先」という考えから、午後5時まではお客さんの電話(納期)対応と工場の生産調整に掛かりきり。そして午後5時が過ぎて工場が閉じてから、自分一人でも処理できるコンピュータ作業(伝票入力)です。自分都合でなく会社都合、部分最適ではなく「全体最適」の働きぶりでした。
だから残業も午後7-8時までが常態化。思えば本当にご無理をしてもらいました。社長として申し訳ない思いでいっぱいです。もう少し早くから今のように人員を増やしておれば、もっと楽に働いていただけたのではないかと反省しています。「忙しいのが大好き」というのが糸井さんの口ぐせでしたが、社長として私はその糸井さんの口ぐせに甘えてしまいました。その時間に退勤されてからさらに家事もこなされていたのですから、その働きぶりは鬼気迫ります。
送別会で前君が言っていました。「工場だけでなく『事務所にも職人がいる』と驚いた。鉄鋼のもろもろを記した『マル秘ノート』の存在。キッチリしていてすごい仕事。負けん気、やるぞ、という仕事に対する気迫を感じた」と。このように糸井さんの働きぶりは量だけでなく、質も抜きん出ていました。
働き者だった糸井さんのことを考えると、思い出されるのは我が社の創業者だったお祖母ちゃん(坂元はる)のことです。共通するのは、どちらも小柄ながら身を粉にして働き、子供を必死になって育て上げたこと。そして始末家だったことです。
自分のためだけにはお金を使わず家族が最優先、そして何ごとも会社のためにと考えておられたことです。本当に尊い働き方であり生き方だったと、いまさらながら尊敬します。
糸井さんに在職していただいた30年間、会社は大きく変わりました。しかし今も昔も変わらないのは、坂元鋼材は働き者の社員ばかりということです。それはお祖母ちゃんや糸井さんをはじめ、働く姿勢が鋭かった大勢の歴代社員の皆さんの残してくださった「無形の資産」の賜物です。このよき社風が今後も我が社を支えていってくれることでしょう。
糸井さんがお辞めになった最終週には、いろんなお客さんがお別れに来てくれました。
なかでもA鋼材さんは営業のBさんとCさんが、わざわざ遠方から花束を持ってあいさつに来て下さいました。これも糸井さんの人徳の厚さと仕事の確かさを現していました。
「永い間、本当にありがとうございました。30年もの間、坂元鋼材さんでご奉仕されてこられたことに心より敬意を表したいと思います。これからもお元気で第二の人生を楽しんでください。僕たちも糸井さんのことはずっと忘れないでしょう。
株式会社A鋼材 営業部・配送部一同」
この手紙を拝見して、私も胸に迫るものを感じました。いずれ職場を去る時、同僚から、そしてお客様からこのように言っていただけること。それがどんなに大切で尊く、有難いことなのかを教えられました。
糸井さん、長い間会社を支えてくださり、ありがとうございました。本当におつかれさまでした。
2016年4月25日
坂元鋼材株式会社 代表取締役 坂元正三