【BS経営を学んで】
きょうは25日。給料袋のメッセージを書きました。
30歳で急に会社の後を継いだものの、決算書も読めない経営者だった私。42歳の時に出会った木村塾でBSの見方を教えられ、そして経営目標がハッキリとしました。これをいまは社員に伝えています。
(通算120号)
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社員の皆さん、ご家族の皆さんへ
今月の社内学習会では会計の勉強会をしました。決算書の読み方です。とくに貸借対照表(BS)の見方を掘り下げました。カタい内容の話にもかかわらず、予定の時間を延長するほど白熱した勉強会になりました。社員の皆さんから「わかりやすかった」「面白かった」と口々に言っていただけて、ほっとしています。
私は三十歳で社長を継ぎましたが、経営の勉強をまともに始めたのは四十歳を過ぎてから。だから私自身が決算書をまともに読めていませんでした。損益計算書(PL)は上から下に向かってなんとか理解できても、BSはチンプンカンプン。なぜ右と左の額が一致するのか、その程度のことが理解できてなかったのです。いまから思うと「決算書を分かっていないことを分かっていない」という致命的な状況でした。
これは恐ろしいことで、海図や計器類を読めない船長のようなもの。そんなお粗末な船長がリーマンショックで荒れ狂う海を航行していたのです。船に乗ってくれていた当時の社員やご家族の皆さんには、改めてお詫び申し上げる次第です。
九年前のこと、四十歳で私が初めて経営の勉強を始めたのが「なにわあきんど塾」でした。卒塾に向けて向う三年間の中期経営計画書を作ることになりました。父の後を継いでからの十年間、私に明確な目標はありませんでした。だからあきんど塾で三年後の売り上げ目標を問われたとき、頭が真っ白になりました。この会社をどうしたいのか、まったく見えなかったのです。
卒塾に間に合わせて形だけは仕上げた経営計画書。それにだんだんと魂が入っていくのは四十一歳で出会ったアチーブメント、そして四十二歳で知った木村塾のおかげでした。
アチーブメントでは経営にも人生にも目的が必要なことを知りました。何のために誰のためになぜ生きているのか。考え続ける中で、かつて私が大学生のころに父がつぶやいた言葉が思い浮かびました。
「こんな小さな会社でもな、社員の家族を入れたら五十人以上がメシを食っているんやぞ」
この言葉を聞いたとき、私はその重みを分かっていませんでした。私が経営を引き継いだあと、社員に子供が生まれるたびにこの言葉を思い出すようになりました。ここから「縁ある人を幸せにする」という私の人生を貫く大きな目的が見つかりました。そして「八十二歳の時の百年企業」という人生ビジョンも。
三十歳で会社を継いでから、つぶれる会社をいっぱい見てきました。身近な取引先がいくつも店を閉じました。リーマンショック後に大赤字を出したとき、悩みました。
「景気が良くても悪くてもビクともしない会社を作るにはどうしたらいいのか」
そんなタイミングで出会ったのが木村塾の木村勝男会長です。五十年以上にわたり三十以上ものビジネスを手掛けられたご自身の体験から「いい会社はBSを意識した経営をしており、自己資本が厚い」と説かれていました。
木村会長から教えられたのが、私が先日の学習会で説明した決算書(BSとPL)の読み方です。極めてシンプルに表現するとBS(バランスシート)は左側がカネの「使い途」、右側が「他人のカネ」と「自分のカネ」。あのイラストです。カネをどこからどう引っ張ってきて、何に使っているのか。だから左右がバランスする。
PLは一年間の活動の成績表。一方でBSは創業以来の歴史が積み重なったもの。そしてBSのキモは右下の「自己資本」。つまり自分のカネ(返さなくていいカネ)。これを貯めれば貯めるほどつぶれにくい会社になる。PLで稼いだ利益は「税引き後利益」だけがBSに行って自己資本として蓄積される。だから自分のカネを貯めるには税金(法人税)をしっかり払うこと。
木村会長はこのことをユーモラスに表現しました。
「PLとBSの間には川が流れている。名前を『税金川』という。その川を渡ったお金だけがBSに行ける」
さらに大事なのは自己資本を社員数で割った「社員一人当たり」というモノサシ。社員が多ければ貯えも多くなくてはならない。
「中小企業はまず一人当たり一千万円の自己資本を持て。それだけあったら、津波やリーマンショックなんかで仮に二年間の売り上げが飛んでも、社員に給料を払うことが出来る。その間に会社を立て直せばええ」。そう力説されました。
それを聞いて、私は自分が社長を継いでからの十冊の決算書を並べてエクセルに入力しました。すると、かつてリーマンショック前には一人当たり一千万円あったものが、大赤字で自己資本を大きく減らしていたのです。そのとき自己資本五千万円で社員十三人でしたから、一人当たり四百万円を割り込んでいました。この数字を見て震えました。
目的はこの会社で安心して働いてもらうこと。そうすると、この数字を一千万円に回復させることが急務でした。そのとき初めて、私の経営計画書に魂が入りました。一人当たり一千万円の自己資本の回復。そのために必要な利益を考え、そこから逆算すると売り上げ目標が出てきました。そのために必要な営業目標や行動計画が導き出されます。その通りに行動した結果、その四年後に一千万円を回復。いまは自己資本二億三千万円、社員十五人ですから一人当たり千五百万円超です。
これを増やしていくことが経営目標です。私は今年四十九歳になります。自己資本の目標は五十歳で三億円(一人当たり二千万円)、六十歳で十億円(一人当たり五千万円)とざっくりと決めています。ある銀行出身の経営コンサルタントの方から「銀行は自己資本五億円以下と以上で対応を変える」と聞きました。この数字を超えるのは数年後です。
自己資本の積み上げは、おそらく右斜め上への一直線ではないでしょう。木村会長が言いました。
「元手一億円を年十%で回す。単利なら三十年経っても四億円や。でも複利なら十八億円になる。複利の発想で経営せよ」
最初の数年は微差であっても、やがて大差がつく。多くの成功企業を研究していると、どこかの段階で成長が急加速しています。坂元鋼材もいずれそのステージに立ちます。
規模の拡大も否応なく求められるでしょう。これまでも廃業する同業他社の仕事をいただく中で業容が拡大しました。社会にとって必要な存在であり続けることさえできれば、その流れは加速します。
「成功はホッケースティックのような形をしている」――
木村塾で教えられたことです。初めは辛抱しても辛抱しても結果が見えない時期が続くけれど、やがてある時点から急加速して右上に上昇する。坂元鋼材で言えば自己資本三億円の壁は二年後に突破。その後、企業としてさらなる成長の加速が来るような気がしてなりません。そのためにも人材の育成が最大の経営課題です。しかし拡大するにしても、一人当たりというBS思考を持ち続けます。そうする限り、大きな資金調達(他人のカネを入れること、いわゆる借金)をしたとしても、恐れることはありません。経営が不安定になることはない。
これを書くに当たって木村会長の講義ノートを久しぶりに読み返してみました。こんなことが書いてありました。
「経営も人生も大事なのは信頼と誠実。信用を形にしたのが信頼。誠意を形にしたのが誠実。決してうそをつかずに誠実な仕事を積み重ねること。これが生き方としての複利になる。国内でも海外でも同じ。信用はカタチにしなければ力にならない。お金とは信用を形にしたもの」
社員の皆さんの日々の誠実な仕事が積み重なって大きな数字となり、それが社会からの揺るがぬ信頼になります。人生も会社も積み上げです。皆さんの日々の貢献に心より感謝します。ありがとうございます。
二〇一八年六月二十五日 坂元鋼材株式会社 代表取締役 坂元正三
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