社長は仕事をしたらアカン? [給料袋メッセージ 125]

【社長は仕事をしたらアカン?】

 

きょうは25日。給料袋のメッセージを書きました。
時間貧乏だった私が会社を長期間留守に出来るようになったいきさつを振り返りました。
(通算125号)

 

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社員の皆さん、ご家族の皆さんへ

 

昨日、私は四泊五日の中国旅行から帰ってきました。中小企業家同友会の訪中団です。

 

社員の皆さんが会社を守ってくれているおかげで、今年も参加できました。ありがとうございました。

 

今回の訪問先は大連、旅順、丹東(北朝鮮との国境)。私にとってはかつての留学先に近い懐かしい土地です。

急速に発展する中国の現状をつぶさに見てきました。そして日本の置かれた現実もいろいろと考えさせられました。

 

毎年行われているこの訪中団に私が初めて参加したのは二〇〇九年です。

リーマンショック直後の年で、月を追うごとに業績が落ちる真っ只中でした。

その年の春に同友会に入った時、秋に「訪中団」というものがあるのを知りました。

 

もともと学生時代に中国へ二年間留学していた私にとって最も興味のある国。

しかも同友会メンバー手作りの旅行で普段は見ることのできない企業見学もたっぷり。これは行ってみたい。

 

しかし当時の私は日々の営業事務にかかりきりでした。

一九九九年に父から経営をバトンタッチしてから、日常の業務やいろんな問題に翻弄される毎日。

 

長い休暇を取ることはなく、新婚旅行も旅費の割高な年末年始に行ったものでした。

休暇を取らないのではなく、「取れない」。

いや、会社を不在にする自信がなかった――。それが正直なところでした。

 

しかし訪中団は四泊も五泊もする、それも平日に。

これほど長く会社を留守にできるだろうか。しかし行ってみたい。

その行ってみたい思いがコケの一念となりました。

 

日々の業務をマニュアル化し、私が不在の時の対処方法や判断基準などを作り始めました。

これが、いま社員の皆さんに使ってもらっている

「値段マニュアル」「クレーム処理の原則」「新しいお客様への対応マニュアル」などの誕生につながっています。

 

その年の十月、蘇州・南京への訪中団に参加できました。

蘇州ではこの訪中団の団長を務める社長が経営する巨大な中国工場を実際に見学しました。

裸一貫でここまでのビジネスを育て上げられた秘訣や苦労話をたっぷりと聞きました。

書物からの知識ではなく、こうしてビジネスの現場を実際にこの目で見ることの価値の何と大きかったことか。

 

訪中団のもう一つの効用が、会員どうしのコミュニケーションの深まりでした。

 

普段の同友会の会合では、夕方からの三時間やその後の懇親会などで終わり。

しかし訪中団では四泊も五泊も海外で寝食を共にするので連帯感が深まります。

すると先輩や仲間の経営者からさまざまなことを教わります。

成功した経営者や世代的にもはるかに上のベテラン社長から学ぶことの価値は計り知れません。

 

「坂元さん、儲かる会社の作り方を教えてあげましょか」――。

初老のベテラン経営者から飛行機の隣席でたっぷりと経営論や人生哲学をお聞きしたこともありました。

 

経営の在り方、事業拡大や営業手法、社員へのかかわり方や付き合い方、さらには社員旅行の仕方まで、

いろんなことを直接教えてもらいました。

こうした関係性があるおかげで、帰国してからでも経営上の悩みや課題があれば、すでに解決してこられた大先輩や仲間から直接に意見をもらったり相談したりできる。

いわば最良のお手本を身近に得ること。これが訪中団のもう一つの大きな価値でした。

 

さて、その九年前の初めての訪中団。

上海からの帰りの飛行機で隣になったのが、中国やベトナムでビジネスを手掛けられるベテラン社長でした。

 

私が「五日も会社を留守にできないと思っていたけれど、何とか来れました」と言うと、次のようにおっしゃいました。

 

「社員のする仕事を社長がしたらアカン。それは社員にやってもらう。すると社員が育つ」

「社長は社長にしかできひん仕事をせなアカン」

 

そして「家業から企業になりなはれ」とつぶやかれました。

 

社長にしかできない仕事、要するにいわゆる「第2象限」のことです。

そのときはまだタイムマネジメントの概念を学ぶ前でしたが、物事には優先事項と非優先事項がある、ということです。

 

日々の出来事を緊急度(急ぐこと)と重要度(大事なこと)に分けて考えると ――

 

①  緊急かつ重要
②  緊急ではないけれども重要
③  緊急だが重要ではない
④  緊急でも重要でもない

 

―― この4つの分け方になります。

 

社長にしかできない仕事とは ② の「緊急ではないけれども重要な仕事」に当たります。

必ずしも社長に「しか」できないわけではありませんが、経営者はここに優先して時間を投下しなければならない。

 

当社の場合、具体的には次の4つでした。

 

・ 理念・ビジョンの作成と浸透(目的・目標の設定)
・ 社員の採用と育成(人財育成)
・ 新規開拓(営業・マーケティング)
・ 社風をよくする行事(朝礼、懇親会、社員旅行などの行事策定)

 

この5つのどれもが、きょう明日しなかったからといって会社がすぐに傾くものではありません。

しかし三年先、五年先、十年先を考えると、絶対にしなくてはならないもの。当社はそれを著しく欠いていました。

また、欠いているという意識すらなかったのが当時の私でした。我ながらゾッとする話です。

経営者としての基礎的な能力を私は何も身に着けていなかった、ということにほかなりません。

 

ちょうどこの年に通った「なにわあきんど塾」、翌年に出会うアチーブメント、翌々年からの木村塾(BS経営研究所)、そして同友会の学びに私は没頭しました。

セミナーに出席するために三日ほど会社を留守にするのが常態になりました。それを年に何度も。

遅ればせながら経営のイロハから、一つ一つ学んでいきました。

 

外で学んだことを会社に取り入れると、成果が徐々に上がってきました。

この十年間の会社の変化は、社員の皆さんが一番感じてくださっていると思います。

それが業績(数字)でも裏付けられていることは、社内週報や学習会で示している通りです。

 

そして、三―四年前に社員のAさんに私の営業事務デスクを譲ってからは、私は「第1象限」(緊急かつ重要な業務)をほとんど任せきりになりました。

当日どうしても片付けなければならない日々の仕事は、もうほとんどが社員の皆さんだけで行ってもらっています。

営業関係で私の担当するのは、金額の大きなもの、新しいお客様をお迎えするとき、あるいは新規開拓くらいです。

 

そして、社員の皆さんに仕事を任せきりにしてからのほうが業績も伸びています。

私がシャカリキになって営業事務をしていた時代よりも、会社は良くなっています。本当に感謝しています。

 

みなさんのおかげで作ってもらった第2象限のための時間。

これからも会社の将来のための時間として大切に使わせていただきます。

今年も訪中団に参加させていただき、ありがとうございました。

 

さて、終わりに父の話を書いて今月の話を締めくくります。

第2象限にからんで思い出すのが、生前の父からかつて聞いた話です。

 

家と会社が同じ建物だったこともあり、父は朝早くから夜遅くまで本当によく働きました。

父の仕事は営業事務と製図でした。

まだCADが入る前のころ、朝から晩まで電話で営業し、その傍らでは定規とコンパスで図形を描いて型紙を作っていました。

夕食後も伝票の片づけ、そして製図をしていました。父は社長でありながら営業部長も製造部長も兼務していたわけです。

 

そんな父に対してN産業のN社長(現会長)が、こうおっしゃったというのです。

 

「良さん、社長は仕事をしたらアカンねん」

 

昔から親しかったN社長は父(坂元良三)のことを「良さん」と呼んでいました。

 

父からこの話を聞いたとき、私は高校生でした。

その意味がさっぱり分からなかったのですが、いまとなってはN社長の言いたかったことがよくわかります。

 

創業者だった祖父母の婿養子に入った父は、母と結婚して坂元鋼材に入りました。

それからの約四十年間、働きづめに働きました。

オイルショック後の経営危機の際に祖父から社長をバトンタッチしています。

身を粉にして働き、会社を守りました。

人一倍まじめで、石橋を叩いても渡らないほどの堅実家だった父。

二代目として会社を守り、育ててくれました。

 

しかし「人に仕事を任せる」という観点からみるとN社長は対照的でした。

N産業は父が坂元鋼材に入った数年後の創業で、当社よりも後発でした。

しかし瞬く間に急成長し、もう長い間業界のトップを走っています。

おそらくは人に仕事を任せ、経営者が優先して取り組むべき仕事に時間を存分に投入されたのでしょう。

 

一方で父の鬼気迫る働きぶりは、幼かった私に多くのことを教えてくれました。

働くことの価値、尊さを父から学んだ気がします。私の思い出す父の姿は、働いている後ろ姿です。

 

父とN社長。私は最も身近なところに大切な経営の師がいてくれたのだと、改めて感謝します。
社員の皆さんからいただいた時間を大切にし、これからも会社を強くしていきます。

 

今月もお読みくださり、ありがとうございました。

 

二〇一八年十月二十五日
坂元鋼材株式会社  代表取締役 坂元正三