【経営者と運転免許】
きょうは25日、給料袋のメッセージを書きました。
転機となったリーマンショックからの十年間に没頭した経営の学びを振り返りました。
(通算128号)
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社員の皆さん、ご家族の皆さんへ
今年最後の給料袋メッセージです。2018年を振り返ってみますと、私にとって2つの象徴的な出来事がありました。
まず、木村塾(BS経営研究所)の木村勝男会長が7月に逝去されたこと。木村会長は起業家として生涯に三十いくつもの事業を手掛け、晩年にはBS(バランスシート)の見方からつむいだ独自の経営論を全国の中小企業経営者に説かれました。ちょうど2年前に体調不良から木村塾をおしまいにされましたが、78歳でとうとう旅立たれました。
私が木村会長に師事したのは2011年からの6年間でした。木村会長の最晩年をご一緒出来たこと、いまさらながら幸運に思います。バランスシート重視による企業経営論、人を育てる心、逆境に立ち向かう心構えなど、木村会長の人生が詰まった学びでした。
2つ目の出来事は2月です。日本プロスピーカー協会(JPSA)のベーシック・プロスピーカー試験に合格したこと。8年間学んだアチーブメントでの学びの大きな通過点でした。社会をよくすることを目的に、目標達成の技術と選択理論心理学を学び、深め、そして広めることを使命とするものです。
合格をいただいてから全国各地で自らの経営体験をお話しする機会を得ました。4月の広島を振り出しに、大阪、岡山、福島、福山、奈良と6カ所にお招きいただきました。自分の失敗だらけの過去の経験を振り返り、そこからさまざまな教訓を引き出してお話ししています。
学生時代に家業を顧みなかった私は、先代社長の逝去により急に経営者となりました。30歳でした。それから悪戦苦闘の日々が始まります。なんとか上手くいくかにみえた10年後の40歳の時、リーマンショックにより7000万円の大赤字。どのように経営していいのか悩みました。
そして出会ったのが、なにわあきんど塾と中小企業家同友会、41歳からのアチーブメント、42歳からの木村塾。これらの学びのおかげでいまがあります。そして来年は50歳になります。
この20年間の経営体験を各地でお話しするうちに、私がつまずき続けた「失敗の原因」が明らかになってきました。大きく分けて5つです。
① 目的・目標がなかった
② 決算書が読めなかった
③ 時間の使い方を知らなかった
④ 自社の強みを知らなかった
⑤ 人の動くメカニズムを知らなかった
■ 目的を知る
アチーブメントでは目的と目標の大切さを教えられました。経営理念の前に「人生理念」が必要なことも知りました。自分の人生理念と企業の経営理念が重なり合ったとき、そのパワーは計り知れないものになる。何のため、誰のため、何を目的として経営しているのか。
その問いを突き詰めたときに思い出したのが、私が学生だった時に父がつぶやいた一言でした。「こんな小さな会社でも、社員の家族を入れたら五十人が飯を食っている」というものです。父はおそらく経営の勉強を真正面からしたことはなかったはず。しかし、この言葉は父の立派な経営理念です。
わが身を顧みました。前職だった新聞記者時代、そして家業を継いでからも、倒産や廃業する会社をいっぱい見てきました。リーマンショックという大不況にも遭遇し、歴史的な大災害(大津波、原発事故)も同時代として体験しました。
私の代になって迎え入れた社員たちも次々に結婚し、子供もどんどん生まれます。そして長期のローンを組んで自宅を購入しています。まさに社員とその家族の生活が、この会社と私に掛かっているのです。
そこから私自身の理念(目的)も導かれました。縁ある人に幸せを感じていただくこと。そして先代、先々代から受け継いだこの会社を永続させること。これが人生を貫く土台です。
■ 目標を知る
その土台の上に乗る目標も徐々に明らかになりました。木村塾でBSを学んでつかんだ経営目標です。リーマンショックで傷ついた財務の立て直しが急務だったのです。
当時は自己資本(会社のたくわえ)が5000万円にまで落ち込んでいました。社員一人当たりにすると400万円です。これでは心もとない。まずは社員一人当たり1000万円を目指すこと。大不況や大災害で仮に2年間の売り上げがなくなっても社員に給料が払え、その間に会社を立て直すことのできる数字です。
決算書を見てもさっぱりわからなかった私でしたが、木村会長から学ぶことによって数字の意味が分かり、決算書の裏にあるストーリーが肚落ちしました。
そして③の時間の使い方とは、「緊急ではないけれども重要」なことを放置していたこと。
私の場合はとくに「理念とビジョンの構築と浸透」「人材の採用と育成」「新規開拓営業」「社風をよくする行事」の4つでした。きょう明日やらなくても会社がすぐに困るわけではない。しかしこれらをおろそかにしていれば、3年後、5年後、10年後に会社はどうなるだろうか。そんな大切なことをやっていないどころか、大切さに気付きすらしていなかったのが最初の10年間でした。
④の「自社の強みを知らない」。これは新規開拓営業でお客様に売り込みに行っても「おたくはナンボ?」と言われて二の句が継げなかった過去の反省です。値段勝負では大手に勝てない、しかし大手に勝るものがわが社にはある。それが高品質と短納期、そして丁寧なサービスでした。
■ 自分から変わること
そして最後の⑤「人の動くメカニズム」です。人は外側からの刺激に反応して動くのではなく、自らの願望を求めて内側から行動を選択するもの。だから他人を変えることはできない、変えることのできるのは自分の思考と行為だけ、という選択理論の教えです。これを学ぶことで私がいかに「やってはならないこと」をやり続けてきたかを思い知らされました。
社員にこう動いてもらいたい、こうしてもらいたい。そう思った時、使ってはならない「外的コントロール」に依存していたのが、ほかならぬ自分自身でした。
批判する
責める
文句を言う
ガミガミ言う
脅す
罰する
目先の褒美で釣る
これらの「人間関係破壊の習慣」に依存していたのです。学び始めて3年がたったころ、私の言うことを聞き入れない女性社員をこっぴどく怒鳴って辞めさせたことがありました。そして慰謝料請求をいただきます。そこに、こう書かれていました。
「社長はアチーブメントなる立派な会社で学び、経営理念を社員にも実践させていますが、社長の言う理念がどんなものかわかりません」
外的コントロールで他人を変えることはできない。人を変えようと力づくで接しても人は変わるものではない。人間関係が破壊されるだけで顔も見たくなくなる。そんな相手の言うことなど、聞き入れることはありえない。人は自分から「変わろう」と思わない限り変わることはない。
その社員への感謝の気持ちが私にはなかった、変わるべきは自分だ。そう痛感しました。
「自分は正しい、他人は間違い」という思い込みからいかに自由になれるか。10年前のリーマンショックで目が覚めた私にとって、この5年前の慰謝料請求はもう一つの痛打でした。
この2つの経験は私に「自分こそが変わらなければならない」と気づかせてくれました。今となってはこの2つの逆境があったからこそ、いまがあると感謝しています。
「ビジネスの失敗は人生の失敗ではない、むしろチャンス」――。木村会長の言葉です。
「逆境は成功の前奏曲、乗り越えればキャリアになる」――。アチーブメントの青木社長の言葉です。
彼女の離職から5年間、定年退職を除いて離職ゼロ。そして二十代の若者たちが次々に育ってくれました。それが業績向上の原動力になっています。
ただ今年は新入社員のA君に試用期間を超えさせることができず、大きな反省が残っています。次の採用もまだ決まっていません。人手不足がささやかれる今日、私たちがこれから挑戦する大きな課題が採用です。
■ BS目標を追いかける
さて、今年は過去最高益だった2年前を上回る業績です。おかげでBSの自己資本が着実に積み上がり2億8000万円となりました。社員一人当たり2000万円が達成です。
この一人当たり自己資本額がこれからも最重要の目標数値です。まさかの大災害や再びの大不況が来てもビクともしないだけの強固な財務力を持つこと。それが物心両面の幸福を実現する経済的な基礎になります。それを大きな人数ではなく、精鋭としてのまとまりある人数で成し遂げること。その結果として一人ひとりに高い賃金をお渡しできる。
「人件費は低く、給料は高く」です。
つぎの10年間、私が60歳の時には自己資本10億円(社員一人当たり5000万円)という目標があります。
そのさらに先の10年後、私が70歳の時には自己資本30億円(社員一人当たり1億円)。そのくらいの中身の詰まった組織にすることがビジョンです。
■ 経営者と運転免許
30歳からの10年間、私は我流で経営して失敗を重ねました。その後に出会った4つの学びのおかげで今があります。私にとっては経営者としての「免許」をもらうための教習所のようなものでした。
経営者には免許がありません。私は先代社長の息子という理由だけで社長になっています。父の急逝により全くの未経験でいきなり社長になりました。必要な技術や知識を学ぶことなく、新入社員が社長になっていました。
「社員の家族を入れて五十人が飯を食っている」という父の言葉によると、私はたくさんの人を乗せて走っている大型バスの運転手のようなものです。ところが経営の方法を全く知らないまま 無免許でハンドルを握っていたわけです。ゾッとする話です。
決算書が分からないのはメーターが読めないこと。燃料の残りも速度も把握せずに走っているようなもの。人の動くメカニズムを知らないのは、会社の実務をしてくれる社員の動かし方が分からないということ。経営とは人(社員)を介して仕事をすること。人間のモチベーションのありようを知らず、外的コントロールで人を力づくで動かそうとしていたわけです。大事故が発生しても不思議ではない。
そして私が知らなかったのは運転の知識と技術だけではありません。この大型バスを操縦して「どこへ」向かうのか、つまり行先すら知らなかった。それが目的(理念とビジョン)です。学びに没頭して約十年。まだまだこれからですが、なんとか経営者としてのスタートラインに立てた。そう思っています。
いままでの無免許をお詫びすると同時に、これからの目標達成と目的の完遂を誓います。
今年も社業への貢献、ありがとうございました。
2018年12月25日坂元鋼材株式会社 代表取締役 坂元正三