【私は責任を果たすチャレンジャーです!】
きょうは25日、給料袋のメッセージを書きました。
これからのビジネス人生の後半戦、いかに生きるか。
バランスシートの数字をもとに、経営者としてのチャレンジを考えました。
[通算 167号]
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社員の皆さん、ご家族の皆さんへ
「自分を支える言葉」は何ですか、と問われるとどんな言葉を思い浮かべますか?
子供のころに知った言葉、大人になって出会ったもの、恩師や尊敬する人から贈られた名言、人生の転機で支えになってくれた金言・・・。
「こうありたい」と思う自分に導いてくれ、ときには自分を鼓舞してくれるエンジンのような言葉、迷ったときに指針を示してくれるような言葉が、きっとあるはずです。
■ 40代を支えてくれた「契約の言葉」
先月末の2日間、日本を代表する人材教育家である佐藤英郎先生(アチーブメント主席トレーナー)のセミナーに出席しました。
私が先生の講座を初めて受けたのはちょうど10年前、その時に自分との「契約の言葉」というものを作りました。そう、自分自身を支える言葉を自分で作ったのです。10年前、41歳の時に作った私の初めての契約の言葉は、こうでした。
「私は仲間を勝たせるリーダーです!」
すなわち「こうありたい」という人生理念に立脚し、かつ「利他に徹せよ」という戒めの言葉として作りました。
この10年間、この言葉は私の人生をとても良い方向に導いてくれました。値千金でした。
白状しますと、この言葉に違反したことは何度もありました。「自分勝手」「利己的」にふるまったわけです。そうすると「ありがたくない現象」「うれしくない事態」が姿を現し、私をいやおうなく正してくれました。苦いですが、感謝です。
だからこの言葉は私の40代を支えてくれただけでなく、これからの人生にもガードレールとして作用してくれます。
そして10年ぶりに再受講した今回、50代以降の自分を支える「第2」の契約の言葉を作った次第です。
それは 「私は責任を果たすチャレンジャーです!」 というものになりました。
なぜこの言葉が生まれたか、とくに過去10年間ほどを振り返ってみます。
■ 良いBSが安心を生む
私がかねてBS(貸借対照表=バランスシート=創業以来の蓄積)を重視した経営を心掛けているのは、みなさんよくご存じと思います。
とりわけ「自己資本比率」と「社員1人当たりの自己資本額」を重視してきました。この2つの指標が高まれば高まるほど、どんな不況にもビクともしない会社になるからです。
当社最大の経営危機だったリーマンショック直後、2009年度(58期)の決算書では自己資本は5000万円(社員12人で1人当たり約400万円)、そして自己資本比率は10%でした(総資産5億円)。
このときは年商を上回る4億円近い借金が重くのしかかっていました。負債(他人のお金)が9割、自己資本(自分のお金)が1割という心細い状態でした。
それが、その後10年間黒字を重ね、2019年度(68期)は自己資本が3億円ちかく(社員14人で1人当たり2000万円強)、自己資本比率は70%にまで高まりました(総資産4.1億円)。
負債(返すお金)が3割、自己資本(返さなくていいお金)が7割です。事実上の無借金で、資金繰りがとても楽になりました。両脇に羽が生えたようでした。
ところが、その2019年度から景気の雲行きが怪しくなり、コロナの2020年度は鉄鋼業界も急ブレーキ。当社の売り上げは前年比7割ほどになり、赤字も覚悟しました(結果的には辛うじて黒字=PL=単年度の損益)。
しかし仮にPLは赤字になっても、ビクともしなくなったBSがある。10年前とは違う。これが自信の源泉です。
「社員1人当たり1000万円の自己資本」があれば、仮に売り上げゼロでも2年間は給料を払える(理論上)。
いま当社は1人当たり2000万円なので4年間ゼロでも大丈夫。この安心感は、何物にも代えられません。
■ 枕を高くして眠りたい
自分自身の性格をみると、私はかなりの小心者で、臆病者です。ジェットコースターや高いところは苦手で、飛行機もあんまり好きではない。「生存の欲求」が高いようで、これは生まれながら遺伝子に組み込まれた自分の性(しょう)だと思います。
そんな怖がりの私でしたが、父の急逝により30歳で未経験ながら会社を後継しました。そして我流経営の結果、40歳で大きな経営危機に瀕しました。
それにもかかわらず「黄金の40代」を社員の皆さんと過ごせた結果、いまの安定した経営を手にしています。ようやくスタートラインに立てた気がします。
私が3代目を継いでからの過去20年ほど、社員やご家族の皆さんには不安定な経営状態でご心配をおかけいたしました。ようやく安心して働いてもらう前提を整えることができた。そう申し上げても、許されるでしょうか。
「枕を高くして眠る」ということが、精神衛生上どれほど大切か。
そうです。会社には社員とご家族の皆さんの生活が懸かっています。だからこそ、何があってもビクともしない経営にし続ける責任が私にはあります。
これが先ほどの契約の言葉の前半部分「責任を果たす」ということの背景です。
■ 高すぎる自己資本比率はいけない?
私が経営の勉強に没頭した40代、決算書を読むコツや「社員1人当たりの自己資本」という考え方を授けてくれたのが木村塾の故・木村勝男会長でした。
その木村会長は「自己資本比率は高すぎてもアカン!」と言っていました。自己資本の大切さを説く木村会長が、なぜ?
2015年に私が木村塾で経営報告をした時も、「坂元さんは発想がまだまだPL7割、BS3割やな」と厳しく批評されました。私の考え方の限界、心の弱さを見抜いておられました。
会長の残した言葉から、少し振り返ってみます。
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・ 会社の使命の一つは社員に安心して働いてもらうこと。言葉だけではアカン。自己資本という裏付けが必要。
・ しかし自己資本比率は高すぎてもアカン。業種にもよるが20%でいい。高すぎる自己資本比率は「安住」を生む。
・ 器は分母、壁は分子。大きな分母(自己資本)があるということは、それだけ大きな壁に挑戦できるということ。自己資本比率が高すぎるということは、分厚い自己資本を持ちながらチャレンジしていないということ。挑戦する勇気を持て!
・ 銀行はBSのいい会社に寄ってくる。お金はお金の多いところに集まる。お金は人を信用しない。お金はお金が好き。銀行は貸すところがなくて困っとる。銀行をバックにつける。分厚い自己資本を元手にレバレッジ(てこ)を掛けろ。
・ ぼくは「資金調達」と言うが、皆さんは「借金」と言う。借金をしたがらない。そうやない。ヒトを活かし、モノを活かし、カネを活かす。それが経営、それが起業家。
・ 皆さんは「無借金経営」を自慢する、借金が無いことを自慢する。あほか! 無借金が悪いとは言わん。気が楽や。しかしそれでは「逆境という先生」がついて来ない。
・ 借金がイヤ? 小っさいし、伸びない。保証してあげる。
・ 適正自己資本比率は2割でいい。自己資本10億でも総資産50億に行ける。ROE(視点)がないと甘えた経営になる。リターン・オン・エクイティ(自己資本利益率)。自己資本に対していくらリターンを稼ぐか。でっかい自己資本を持ってて小っさいリターンで安住するな。
・ 成功の反対は失敗やない、何もしないこと。若い時は失敗を積み重ねんとダメ。チャレンジする。しかし致命傷になったらアカン。失敗できる上限を決めておく、3割とか。最悪それが飛んでも、大丈夫。自己資本をようけ(たくさん)貯めるということは、ようけチャレンジできるということ。
・ 変化せなアカン。「変化」と書いてチャンスと読む。変化をチャンスにする人を起業家という。おびえる人は安定を求めとる。ホームドラマの人生やない、大河ドラマの人生を生きろ!
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久しぶりに木村会長の語録を読み返しました。やっぱり体が熱くなります。
木村会長死して3年、BS経営塾が閉じて5年、その教えの深さをますます実感します。
■ これから30年の責任
30歳から始まった私のビジネス人生も22年がたち、ことし52歳です。会社はいま第70期。だから30年後の第100期(82歳)まで元気に生きて、百年企業を見届けるつもりです。
良いBS(厚い自己資本)こそが経営の土台であり、社員の明日を守る砦です。じっくりとBSを良くし続け、次世代にバトンタッチします。
鉄鋼業界にはまさに鋼のようにビクともしない分厚い自己資本を持つ企業がひしめいています。当社はまだまだ、まだまだ、まだまだスタートラインです。だから年輪を刻むように着実に自己資本を重ねていきます。それもまた、私が果たすべき責任です。
■ チャレンジの50代
かねてからの経営計画で、本社とは別に「第2拠点」を模索しています。それには5億円規模の投資を想定しています。
もし全額を銀行借入にするなら総資産10億円、自己資本比率は30%になってしまいます(いまの自己資本3億円で実行すると仮定して)。
もし投資規模が倍の10億円なら総資産15億円。いますぐ実行すると自己資本比率がちょうど20%まで下がります。
これが木村会長の言う「適正自己資本比率」であれば、いまの当社の体力で「10億円借りてチャレンジせえ!」ということです。
うーん、やっぱり肝を試される数字です。なにせ「小心者」の私ですから。
「社員の皆さんの安心」を確保しながらチャレンジできる数字は、私には少なくとも30‐40%以上。それを守りながら次の第2拠点づくりをする。それが私の50代におけるチャレンジです。
■ 10年後のBS目標
その第2拠点も使ってPLを回し、毎年の利益を重ね続ける、借入金を返済し続ける。その結果、10年後の2031年度(第80期)には総資産15億(自己資本10億)=自己資本比率70%程度の、再び安定した財務になる。
これが今後10年間の「BS目標」です。それを社員20人態勢で成し遂げると、社員1人当たり5000万円の自己資本です。
単純に言えば「10年間売上ゼロでも給料を払える」状態。そこまでの優良な財務であれば業界トップ水準の報酬体系も可能。これが私の目指す「小さな超一流企業」です。
10年後の第80期で自己資本10億円に行ったら、30年後の第100期は自己資本100億円に行っている気がします。こういう数字は1次関数でなく2次関数で伸びるはず。
30年後の自己資本100億円、それを社員何人で実現するか。その時の経営者は誰か、幹部は誰か、どんなビジネスをしているか。これから30年、皆さんとともに汗を流しながら実現していきたい。それが私の人生後半戦です。
次の10年間、そして30年間、どうぞよろしくお願いします。
2021年8月25日
坂元鋼材株式会社 代表取締役 坂元正三