【3つのダム】
きょうは25日、給料袋のメッセージを書きました。
コロナで出勤できない社員が増えたにもかかわらず、操業がきちんと維持されました。
社員の皆さんの踏ん張りに心から感謝です。
[通算 177号]
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社員の皆さん、ご家族の皆さんへ
いつも社業への貢献、ありがとうございます。
昨年度(第70期)はおかげさまで好業績のうちに終えることが出来ました。
しかしながら「好事魔多し」というべきか、
年度の最終日(3月31日)に「感謝の会」を催したあとから、コロナ陽性者が社内で相次ぎました。
その日以前からの自宅待機者と合わせて、社員15人のうち6人が出社不能という事態に陥りました。
飲食をともなう行事の翌々日からの相次ぐ発症。
この日が起点だったに違いなく、責任者として申し訳なく思っております。
感染した社員、そしてご家族の皆さんにお詫び申し上げます。
■ 私自身の緊張感の欠如
ここ数年、年度末は「感謝の会」として慰労会を催してきました。
社員旅行や各種の懇親会と同様に、飲食をともにして胸襟を開いてつきあうこともねらいです。
リーマンショック以後の社内改革でも重視してきたのが、こうした社内イベントでした。
しかし1年前はコロナ対応のため飲食店ではなく換気の良い当社工場での簡単な立食形式でした。
人と人の間隔にも配慮しました。
今年もまだコロナが懸念されるため開催はやはり工場でした。
しかし1年前に比べると席と席の間が近く、お酒も入りました。
警戒心が薄かった。
私も一升瓶を持ち込んで上機嫌でした。緊張感の欠如は私から始まっていました。
私自身も3月中旬に感染して2週間の自宅待機を経験しています。
現在のオミクロン株が容易に感染してしまうこと(弱毒化に比例して感染力が高まること)を考えれば、
もっと警戒してしかるべきでした。
以前からの自宅待機が2人。4月に入ってからの陽性が4人。
なので同時に6人の社員が出社不能になりました。
社員が感染するとご家族への再感染の恐れがあります。
濃厚接触者になると行動制限にもなります。
ご心配、ご不便をおかけしてしまいました。
改めまして、申し訳ありませんでした。
■ 少人数で社業を支える
4月4日(月)からの1週間は、ほぼ社員半減での操業となりました。
役員2名を除くと社員13人で、そのうち6人が不在。
工場はたった3人(レーザー1人、プラズマ1人、ガス1人)とギリギリの体制でした。
残業も珍しく18時以降にまでなりました。現場も事務所も最小限の人数で孤軍奮闘でした。
その週をなんとか乗り切り、翌週から徐々に社員が復帰し、
14日(木)にはようやく全員が自宅待機から解放されました。
第6波(オミクロン株)になって感染力は驚くほど強まっています。
そして、いったん陽性判定となれば自宅待機が10日間、濃厚接触なら陰性でも7日間などの自宅待機です。
複数の社員が同時にこうになってしまうと社業の維持が困難になります。
感染症法上の「2類指定」である現状では、まだまだ全員参加型の飲食をともなう行事は難しいと実感しました。
この度の判断ミス、重ねてお詫び申し上げます。
■ 多能工化の効果
このように社員ほぼ半減という中で操業してもらえたのは、
この数年間にわたって会社で進めてきた多能工化のおかげです。
一人一人の社員ができる業務の幅を広げました。
原版が工場長の前君です。
彼のように工場のすべての機械を動かすことができ、製造工程(CAD/CAM)にも精通し、
さらに事務所で伝票計算もできる能力、すなわち利益計算までもが頭に入って仕事のできる社員。
そのような「全方位型」の社員を目指して一人一人のスキルアップを進めてきました。
おかげで社員数をいたずらに増やすことなく運営できる少数精鋭の組織ができました。
仕事をカバーしあえる結果、誰もがいつでも休める状態になり、
有給休暇も取りやすく、完全週休2日でも残業ほぼゼロが継続しています。
今回のコロナによる社員半減での操業が可能だったのは、
まさにこの少数精鋭化のおかげでした。
前君とも話していましたが、もしこれが5年前だったら無事に会社が回っていたかどうか、
危ういところでした。
■ 教え合いをもたらしたもの
多能工化を進めるうえでの肝が「教え合い」でした。
自分が身につけた技術や知識を、他の社員に教えること。
これも10年前、20年前だったら一歩も先に進まなかったことです。
せっかく自分が苦労して覚えた技術をほかの人に教えるには、大きなハードルがあります。
それが「人間関係の壁」でした。
関係性の良くない相手に自分の技術を教えたいと心底から思うわけはありません。
職人気質の強い業界でもあり、昔はそれが困難でした。
だからリーマンショック以後の社内改革で目指してきたのが人間関係の良い社風の醸成でした。
それに欠かせなかったのが、いわゆる「飲食のともなう懇親行事」です。
社員旅行や各種の行事、勉強会など、仕事以外のイベントを重視しました。
いまや教え合いが普通の光景となり、みんなが競って他の業務を覚え、教えています。
なんとありがたいことか。
そのように大切にしてきたイベントが、コロナ禍で極めて困難になりました。
社員旅行は2年連続で見送り、忘年会や普段の会食も断念してばかりでした。
社会的にコロナへの警戒はまだまだ続くでしょう。この状況下で、
私たちの本来目指す方向をどのように実現させるか。
なんとかならないものでしょうか。
■ 3つの「ダム」
今回のコロナで実感したのが、やはり経営とはリスクの塊であるということです。
そのような数々のリスクに対応するべく、さまざまな備えをしてきました。
まず思いつくリスクが景気変動です。
われわれは景気という見通しづらい大きな波に浮かびながら帆を前に進めている小さな船のようなものです。
企業の平均寿命は20-30年。変化していく社会情勢・経済情勢に対応できなければ、
そして次世代への承継がうまくいかなければ、これくらいの年月で寿命を迎えます。
だからバブル崩壊やリーマンショックのような景気変動にも対応できるように、
また地震や津波などの自然災害にも耐えるように備えたのが「自己資本」を重視するBS経営でした。
結果、リーマンショック直後に社員一人当たり400万円水準だったものが、
いまは社員一人当たり2200万円(15人で3.3億円)まで蓄えました。
理論上は売り上げが4年間ゼロでも給料を払い続けることのできる水準です。
これは「自己資本のダム」と言えます。
その次に目指したのが「仕事量の確保」でした。景気の低迷期には仕事量が減ります。
それに備えてお客様の数を増やし続けました。
リーマンショック後の経営改革での大きな柱の一つが営業強化。
そうして「仕事のダム」を大きくしてきました。
これらに加えて作ってきたのが「人材のダム」です。
つまり求める人物像を明確にした採用、たゆまぬ人材育成(教え合い)でした。
この人材のダムが今回の非常事態で大きく機能してくれました。
感謝の気持ちでいっぱいです。
この度の経験は、会社の歴史に残るほどのものでした。
社員の皆さんが一致団結してくれたからこそ、少人数でも操業を維持できました。
リーマンショック以後の改革の一つの成果を、こんな形で教えられるとは思いもよりませんでした。
今回も社員の皆さんに助けていただきました。心から感謝いたします。ありがとうございました。
そして改めまして今回の事態をお詫びいたします。
この経験から、もっともっと判断力を高める努力をいたします。
今月から始まる第71期も、どうぞよろしくお願いいたします。
2022年4月25日
坂元鋼材株式会社 代表取締役 坂元正三