ベトナムに骨をうずめる!(三栄金属製作所・文社長の報告レポート)

【ベトナムに骨をうずめる!】

 

中小企業家同友会でご一緒させていただいている尊敬する先輩・文社長(山下さん)。

その例会報告のレポートを書かせていただきました。

日本でのベトナム人社員の雇用、さらにはベトナム工場を立ち上げるまでの奮闘記です。

 

山下さんとは同友会で出会って10年ほどになります。

厳しいプレス業界にあって海外人材を巻き込んで会社を発展させておられます。
同友会ではさまざまな経営者の報告を聴きましたが、今回の山下さんの報告は極めて熱量の高い現在進行形のもの。

「町工場魂」がひしひしと伝わる90分の経営報告でした。

規定の1500字に押し込めるだけ押し込みました!

 

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日中経済交流研究会・2月例会レポート・2019年2月8日

 

ベトナム人社員とともに夢をかなえる
株式会社三栄金属製作所 文敬祚(山下裕司)社長

 

〔会社概要〕
本社:大阪市生野区  創業:1970年  事業内容:プレス・金型・樹脂成型など  売上:6.3億円
従業員数:国内82名(うちベトナム人35名)、ベトナム工場34名

 

父が創業したプレス工場を後継した文社長。12年前からベトナム人を雇用し始め、いまではホーチミン近郊に工場を構えています。

その現在進行形の奮闘記。

今年度からプラスワン委員会を立ち上げた当研究会としても、対象として最もホットな地域であるベトナムでの会員によるケーススタディです。

 

■ ベトナムとの出会い
仕事が殺到してこなしきれなくなった2006年のある日、一枚のファクスが流れてきて知ったのがベトナム人実習生の制度。翌年2人の実習生を雇いました。21歳のティエン君と22歳のトゥエン君。「出来るのかな」と見ていると黙々と器用に仕事をこなし、残業も進んでする。一週間もたたずに仕事を覚え、感動しました。「これはすごいな」。若いベトナム人が頑張る姿を見て年配の日本人が応援しました。この子らを大事に育てていこうという雰囲気に。それから実習生やエンジニアを毎年採り続けています。

 

■ 海外進出への思い
10年前に50歳で同友会に入り、訪中団にも参加。中国のプレス屋さんを見学し、日本企業やローカル企業も見ました。「大陸はすごい。海外で何とか工場をしたい」。海外進出への思いが芽生えます。

 

実習生制度もいまは5年に延び、その先の永住も可能になりました。しかし、かつては3年で帰らないとダメ。「この子らのために向こうで工場ができないか」との思いが高じて、ホーチミンに駐在事務所を作って模索し始めたのが2010年。台湾や韓国系の工場はたくさんあっても、日本の仕事は品質や納期に厳しいから敬遠される。日系の金属プレス屋、金型屋は無かった。これなら日系のお客さん相手に出来るのではないか。

 

社内の反対を押し切って2013年、ベトナム工場を立ち上げました。超円高の時、チャンス到来と思いました。日本で廃業した会社の中古プレス機を送り、国際協力銀行からの借り入れで金型設備一式をそろえました。

 

■ 逆境の中で
しかし仕事は苦難のスタート。粗利も赤字、やればやるほど赤。折からの円安が追い打ちを掛けます。日本から仕事を送っても焼け石に水。日本から送金し続ける日々。日本の本社の業績は良かったけれども、ベトナムにお金が流れることで社員から突き上げられます。「社長、どないしてくれまんねん。ボーナス少ないのは、ベトナムにお金を送るからですか?」

 

文社長は自らベトナムで営業に専念することを決心。日系の大手企業から受注します。しかし安心していると、お客さんから日本に直接電話でクレームが。「納期が守れていない、どないなってるねん」――。そこで2016年から現地の社長として乗り込みます。工場長、総務、ワーカーたち、自分以外はすべてベトナム人です。当初からのレンタル工場の家賃が高騰したのを機に、2018年には自社工場を建設。なんとか営業利益が出るところまでこぎつけました。

 

■ ベトナムに骨をうずめる!
いまは一カ月のうち2週間ほどがベトナムです。毎朝暗いうちに起きて片道60円のバスで2時間近くかけて通勤します。始業は8時でも6時半には到着、なぜそうするか。「社長の背中を見せないと社員は働かない、それはどこの国でも一緒」

 

雇用したベトナム人には日本式の社員教育をし、品質や納期管理も日本のルールを徹底します。試算表も公開し、「利益が上がったら給料が上がる、日本並みの給料をもらえるように、みんなが幸せになるように」と、そう語っています。

 

バス通勤での帰路、市場に立ち並ぶ露店のにぎわい、道端に小さな椅子を出して夕ご飯を食べる風景をよく見ます。高度経済成長だった昭和30-40年代の日本と重なります。「会社はベトナムに関わったから伸びた。昔は夢にも思わなかったが、今ではこちらに骨をうずめる覚悟。今年60歳、これから5年間は必死にやる。そして70歳まではじっくり考える。ベトナム工場の後継者はベトナム人がいい」と語る文さん。夢への挑戦はまだまだ続きます。

 

(まとめ 坂元鋼材株式会社 坂元正三)

 

 

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