愛社精神について [給料袋メッセージ 133]

【愛社精神について】
きょうは25日。給料袋のメッセージを書きました。
私と労務問題について、20年以上前のサラリーマン時代に直面したエピソードを振り返りました。

20代後半で思い悩んだことが、その後の経営者人生にとっての通奏低音でした。
(通算133号)

 

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社員の皆さん、ご家族の皆さんへ

 

いつも社業への貢献、ありがとうございます。

 

今月は「働き方改革」にまつわる話です。このたび会社は「労務ドック」というものを受けました。外部機関にお願いして労務環境をチェックしてもらうものです。就業規則、労働契約書、協定書、タイムカード、出勤簿などを精査してもらいました。労務面から見た企業版の人間ドックです。1000点満点中800点以上でいわゆる「ホワイト企業」として認定されます。結果、963点という高得点で合格をいただきました。安心しました。

 

とはいえ、実は偉そうなことは少しも言えません。当社にもブラックな現状がありました。いや、私こそがブラックな経営者でした。今月はそれを振り返ってみます。

 

■ ブラックだった過去

 

かつて当社でもいわゆる「サービス残業」がありました。21年前に私が当社に入ったころ、工場では残業代を支給しても、事務所では出していなかったのです。20年前に私が社長を引き継いでからも、しばらくは同じ状態でした。やがてこれを改めたとき「残業代が付いている!」と逆に驚かれたほどでした。当時の社員の方々に申し訳なく思います。

 

むかしは残業も多く、事務所は夜8時を超えることがざら。工場も夜7時までが常態だった時期もありました。

 

有給休暇も同様です。昔は社員の担当業務が一人ひとり固定されていて、代役がいない。「誰かに休まれたら困る」という状況でした。だから病気一つできない。いろんなことが不備でした。

 

それが、いまでは社員の皆さんが「時間内に仕事を仕上げるように」と効果的に仕事を進めてくれています。また「教え合い」の努力が実り、誰かが休んでもカバーが利く体制になりました。おかげで有給取得もずいぶんとスムーズに進めてもらっています。まさに隔世の感です。

 

■ 労働組合員だった若き日の私

 

きょうは労務問題についての私の原点をお話ししてみます。社内で語るのは初めてです。

 

私の社会人デビューは1995年、「株式会社時事通信社」というマスコミ企業でした。高校時代から原発問題や日本の戦争責任に関心を持っていた私は、職業として新聞記者に憧れました。

 

雇っていただいた時事通信に入ると、体制寄りの報道姿勢が強いことを知って驚きました。そんな社内でも、ジャーナリスティックな視点を大切にする小集団がありました。「時事通信労働者委員会」という労働組合でした。

 

社員1000人規模の時事通信には労組が2つあり、大きな組合には700人程が加入。一方で、この小組合は徐々に勢力が切り崩されて当時わずか7人、ほとんどが年配のベテラン社員でした。

 

その小集団には著名なジャーナリストが集っていました。「天皇の軍隊」という書物で旧日本軍の犯罪を告発した長沼節夫記者、チェルノブイリ報道で鳴らした山口俊明記者もいました。当時の私にとって、二人はあこがれの存在でした。

 

ところが、体制寄りの報道姿勢で売る会社(時事通信)にあっては、反権力の匂いのする報道は徹底的に嫌われました。小組合に近づくことはサラリーマン人生としての自殺行為。でも、それでは何のために新聞記者を志したのか。入社1年目だった私の心は揺れました。

 

小組合に入るのがなぜ会社員としての自殺行為なのか。それは誇張ではありません。私が尊敬していた長沼記者は、社外からジャーナリストとしての実力と実績が高く評価されながらも、社内的には平社員で定年を迎えました。だから賃金面でも大きく不利でした。ちなみに大組合の役職者になると、それは社内的な出世コースでもありました。

 

さて、転機は入社2年目に訪れます。私は戦後補償問題に関する署名入りの記事を書いたのですが、その文章を編集長が無断で改竄(かいざん)しました。私の意図(戦後補償は終わっていない)とは逆の論旨になり、しかも私の署名が残るという痛恨の事態でした。編集長は私の抗議を拒否。このことを機に私は小組合に加入したのです。

 

勢力が徐々に弱まって消滅寸前だった小組合に、私のような27歳の若手社員が入ったことは社内的「事件」でした。

 

■ バカンス裁判

 

その当時「バカンス裁判」という有名な裁判がありました。この小組合のメンバーである山口記者が「一カ月の有給休暇」を取ってヨーロッパの原発事情を自費で取材しに行ったところ、会社側は山口記者を懲戒処分にしたのです。のちには冤罪を着せられて解雇。「会社に盾つく反権力の記者はクビ」という会社の姿勢でした。小組合は山口記者を擁護して裁判を闘いました。

 

当時の日本は高度経済成長、そしてバブル経済の時代で会社員は働きバチそのもの。長期休暇などとんでもない時代。山口記者や小組合の先輩たちは、この裁判を通じて「日本にも欧米並みのバカンスを実現させる」という大志を抱きました。裁判は結局、山口記者側の敗訴で終わりました。しかしこの1980-90年代のバカンス裁判が日本社会の「働き過ぎ」に警鐘を鳴らし、やがては現在の「働き方改革」につながっていくわけです。

 

さて、時事通信4年目だった1998年夏。大阪の実家の父に「がん」が見つかり、私は時事を退社して坂元鋼材に戻ってきます。新聞記者としての人生に終止符を打ったのですが、短かった記者生活の中で小組合の気骨あるジャーナリストの先輩たちに教えられたことは、いまでも一生の財産です。

 

■ 私の矛盾

 

つまり20代の若い日の私はれっきとした労働組合員であり、しかも過激(ラディカル)なほうのそれで、「労働者の権利を守れ!」と会社側に盾ついていたのです。

 

ところが実家の家業に帰ってみると、残業代の不払いをしていたわけです。

 

さらに、その後の経営人生で私は何人もの社員を辞めさせています。甘い基準で採用し、ろくに育てることもせずに問題が起これば解雇。社員を怒鳴って「不当労働行為」として慰謝料を請求されることもありました。まったく経営者失格です。

 

20代の私は、その後の30代と40代の私をこっぴどく批判するはずです。

 

■ 愛社精神とは何か?

 

この文章を書くにあたって、かつての小組合の機関紙をひさしぶりに読んでみました。私の退社を告げる号が出てきました。もうすっかり記憶の彼方にあったのですが、私は28歳で時事通信を去る時、この小組合のメンバーに退社を詫びて「私には皆さんのような愛社精神がないのです」と言ったようです。

 

それに応えて、この号の執筆者(梅本浩志記者)は「愛社精神とは何か」と題して次のような文章を書いてくれています。

 

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◇ 愛しうる前提条件

 

真面目な坂元君から改まってその様に言われて、われわれも改めて愛社精神について考えてみることにする。働くものにとって、愛社精神とはなにか。

 

われわれ働くものにとって、会社とはなによりも生きがいと仕事のしがいがある職場でなければならない。命を燃焼させ、充実感を日々、与えられる、自分を託すに足る共同体でなければならない。仕事に積極的、自発的に取り組め、安定的に生計の資を得られる、生き生きとした企業体でなければならない。

 

人間を大切にし、人権を守り、働く者が主人公として仕事ができる、そんな職場でなければならない。いやしくも官僚主義的に処理されたり、物として扱われることがあってはならない。発言するもの、プロテストするものに対して、敵視するなど以ての外である。

 

個人を、能力と意欲に応じて最大限仕事をさせる環境が整えられている、真に仕事する場でなくてはならない。そのためには労使双方で、徹底的に話し合うとともに、時には鋭く対立しあって、そうした状況が整えられる条件が整備されていなくてはならない。

 

◇ 愛社精神以前

 

こうした環境と状況が形成されて、初めて守らなければならない会社が出来上がる。そのことの結果として、愛社精神は自然と形成されるものである。こうした環境や条件を作り上げることは、決して夢物語ではない。時事通信にあっては、人間を大切にし、官僚主義を排除し、無能・無責任・無定見・無法の四無経営体質を改善すれば、自ずから道は開けてくるのである。

 

逆に言えば、従業員を冤罪着せてまで首切ったり、本人の意思を全く無視して塩漬け人事するばかりか、多額の賃下げをして恥じることのない会社に、愛する精神どころか、会社の運命を気遣う心など、生まれ出てくるはずがない。いや、首切られた者、差別され、人権を侵害されている人間、つまり労働者委員会全メンバーや社内で抑圧され、差別されている大多数の従業員にとっては、その様な会社など、潰れようがどうなろうが、どうでもいいことなのである。

 

時事通信の、真の、誇りうべきジャーナリズム機関への再生を願って過去、われわれは多大な犠牲をも省みず、尽力してきたが、はっきり言っていま心境が変わりつつある。どっちみち潰れる会社、坂元君のような優秀な人間を引き留められるだけの魅力のない会社、人権を擁護できない会社、一部の人間だけが甘い汁を吸ってやりたいようにやっている会社ならば、そんな会社を再生させるなどということは、所詮空しい夢ではないか。その意味で、坂元君と心境的にはそう違いがあるわけではない。

 

(時事通信労働者委員会・機関紙IMAGE・539号 1998年10月2日)

 

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■ 私の原点

 

この文章を21年ぶりに読んでみて、28歳の時の私のせっぱ詰まった状況をありありと思い出します。これは経営者として出発する私に対してのエールであり、かつ最大の「戒め」であったと、今にして思います。

 

社員を大切にしない経営者、社員の幸福が守られない会社にあっては、愛社精神など生まれるはずもない。この文章は私の経営人生を心の奥底から支配していました。このままではいけない。

 

だからこの数年間、社内の労務状況が改善してきたことで最も救われたのは私でした。

 

社員の皆さんが仕事を教え合い、その結果として有給休暇がずいぶんとスムーズに取れる職場になったこと。残業代も1分単位できちんと計算していること、残業時間も極めて少なくなったこと。そして今回の「ホワイト認定」です。

 

「こうした環境と状況が形成されて、初めて守らなければならない会社が出来上がる。そのことの結果として、愛社精神は自然と形成されるもの」(機関紙IMAGE)

 

20年前の原点に立ち返って、この先輩記者の文章をかみしめます。

 

そして、会社の規則や制度など外形的なことの整備もさることながら、最も大事なのは経営者の心(決意)だと思います。働きがいを感じられる職場、少しでも高い賃金を取れるように成長を支援すること、すなわち社員の物心両面の幸福を追求し続ける心です。

 

社員の皆さんの日々の努力に感謝します。そして、私が至らない経営者だったばかりにご苦労と迷惑をかけ続けた、かつて社員だった皆さんへもお詫びいたします。

 

もっともっと良い会社を作って社会に貢献することで、償いにかえます。

 

2019年4月25日
坂元鋼材株式会社 代表取締役 坂元正三

 

 

 

 

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