木村会長、ありがとうございました。 [給料袋メッセージ 122]

 

 

【木村会長、ありがとうございました】

 

きょうは25日。給料袋のメッセージを書きました。
今月10日にご逝去された木村塾の木村勝男会長を偲んで書きました。
(通算122号)

 

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社員の皆さん、ご家族の皆さんへ

 

二〇一一年から六年間にわたって私が経営を学んだ木村勝男会長(木村塾)が今月十日、この世を去りました(享年七八)。

 

■決算書の見方、チャレンジ精神を学ぶ

 

私は三十歳で会社の三代目を継ぎ、四十歳のときに大赤字の大失敗。遅まきながら経営を学び始めます。

 

「縁ある人の物心両面の幸せ」という大きな経営目的にたどり着いたものの、そのための目標をどう立てたらよいのか。迷っていた時に出会ったのが木村会長でした。

 

教えていただいたのが決算書の読み方(とくにBS=貸借対照表を意識した経営方式)。
いつも私が口にしている「社員一人当たりの自己資本」という考え方でした。

 

しかし、木村会長の真骨頂は単なる経営セミナーを超えたところにありました。会長は「やってみなわからん、やったことしかのこらん」というのが座右の銘で、塾生のやる気に火をつけて回りました。

 

机上の学びだけでなく六甲全山縦走にも挑戦し(させられ?)ました。大きなビジョンを公言し、実行する。体を鍛えることだけでなく、その実践が六甲縦走の意図でした。私も六年間のうちに三回挑戦しました。

 

■ メシを食う力をつけろ!

 

木村会長は一九四〇年島根県益田市の生まれ。経済的に貧しい境遇ゆえに十七歳で単身大阪へ出てこられました。

 

「自分は最高の人生を歩んだが、その原点は十四歳の時の親父の死、そして自分が長男だったこと。家族にメシを食わす必要に迫られた。メシを食う力とは生きる力、生きる自信。逆境という先生がメシの食い方を教えてくれる。メシが食えん状況になったときこそがチャンスや。親父は死んで自分にステージを与えてくれた」

 

「やってみなわからん。やったことしかのこらん。やったもん勝ちや。成功すればカネがもうかる。失敗したら経験がもうかる。メシを食う力は皆さんの中にある。それを引き出すのは逆境、苦境、壁。そこに向かって行く勇気を持て」

 

「紆余曲折のない人生はない。安定した人生などない。大企業でもあてにならん。何かに頼って生きるな。自分の足で立て。やったら出来る」

 

「キュー(窮)してキューしてキューしたら通ず!
 潜在能力を顕在化させる過程にあると思え!」

 

大阪に出てきた木村会長は飯場の人夫出しを振り出しに、ガス配管の工事、パチンコ、不動産、焼き肉店や喫茶店、金融など数々の仕事を手掛け、いくつものビジネスを同時に回しました。そのあたりのことをこう語っています。

 

「人はみな自分という人生の経営者。親父が死んで米びつ(雑穀)が減ると不安だった毎日。ネガティブになどなるヒマはない。番外地を転々とした。母子ともども稼ぐ力をつけるしかない生活。それがまさに実践経営学だった。だからこそダブルインカム、トリプルインカム、それ以上を考えざるを得なかった」

 

「いろんな商売をしたが、どれも本業。仕事はなんぼでも生まれてきた。これまで手掛けた商売は三十以上。どれも経験があって始めたんやない」

 

そんな境遇から生まれたのが会長の人生哲学でした。

 

「チャンスはピンチという袋の中に入ってる。甘いものやない」

 

■ 逆境に勝る師なし 

 

さまざまな仕事を経て不動産で大成功します。ところがバブル崩壊で逆に二百三十億円という途方もない負債を抱えます。その時、五十歳。負債から一歩も逃げない人生を選択しました。倒産や自殺をするのでなく、何年かかってでも返す道を選びました。そして十五年掛かって解決します。

 

その過程で見つけたのがBSを大切にした経営でした。自身の失敗の経験から独自の中小企業経営論を見出し、人生の最終盤の時期に全国行脚して木村塾(BS経営研究所)を展開されました。私が会長のもとに入りびたったのは、その最後の六年間でした。幸運でした。

 

会長の二百三十億円には遠く及びませんが、私も大きな失敗を抱えた直後で経営に悩み、行き詰っていました。そんな私に会長の一言一句が響きました。

 

「ビジネスの失敗は人生の失敗ではない。むしろ大きなチャンス」

 

「ホームドラマのような人生やない、大河ドラマのような人生を生きろ!」

 

「人間、優しいだけではアカン。強さからくる優しさやないとアカン」

 

「本当に強いのは自分に勝つ人。人に勝つんやない! 自分に勝たなイカン! 」

 

会長のもとには多くの中小企業経営者や起業を志す若者が集っていました。みんな、会長の言葉を一言も聞き逃すまいと必死でした。

 

「日本人は『ひと様に迷惑を掛けたらアカン』と子供の頃から言われて育つ。だから根拠のない不安に捉われとる。ひとには『世話になった』と思たらええ。そして成功して税金を納めて世の中に返す」

 

「わしの経営人生は四勝二十六敗。ここにいる誰よりも失敗の経験が多い。しかしその四勝が残りの二十六敗を補って余りあるんや」

 

「だいたい世の中に平穏な人生ってあるか? 給料を支払う側と、もらう側。どっちの苦労が大きい? しかし苦労イコール不幸ではない。苦労は自分を磨くんや。苦労は自分を成長させるんや」

 

■ 数字で語れ!

 

会長のセミナーの特徴は、その話がけっして空理空論ではなく現実の数字に基づいていたこと。いや、数字の話(金額と日付)を絶対に入れろ、そして周りに公言せよと言われました。とにかく具体的でした。

 

「元手一億円を年十%で回す。単利なら三十年経っても四億円や。でも複利なら十八億円になる」

 

「資金を調達する力が大事や。アフリカには金(ゴールド)がある。日本には現金(カネ)がある。こっちのほうがええ。決算書が武器になったらカネを引っ張れる。百万円貯めることができたら、その向こうに二千万円が見えてくる」

 

「カネを親父からもらっても力はつけへん。稼いでカネを貯める、それを資産運用したりする、その過程で力がつく。『金活』や。相続や、拾うたり、宝クジやない。稼ぐ過程に葛藤がある」

 

会長に学び始めたころ、私は大赤字による財務の悪化で苦しんでいました。自分と会社を変えてゆく過程でもあり、人にまつわるさまざまな葛藤も連続しました。会長の言葉は、そんな私の境遇を見透かしていたかのように、いつもタイムリーに響いてきました。

 

■ 問題が器を大きくしてくれる

 

「経営は学問したからできるんやないで。『経営学』は学ぶことも教えることもできるけど、『経営』は学ぶことも教えることもでけへん。何かやったら壁に当たる。資金繰り、お客、従業員、いろんな問題が出てくる。次から次に出てくる。あれが先生や」

 

「問題が器を大きくしてくれる。大きな問題が来るということは大きな器になったということ。その人の器以上の問題は来ない。天はその人に乗り越えられない壁は与えない。やると決めたら方法が出てくる。逃げたら出てけえへん」

 

「器を大きくせえ。器は分母、壁は分子。器が大きくなったら壁は小さくなる」

 

会長のセミナーの後半はいつも「白熱問答」と称し、経営や人生のさまざまな問題を会長に直接質問できる時間でした。どんな質問にも当意即妙でズバリの回答が返ってきました。まさにライブの魅力と迫力でした。

 

「経営してると何があるかわからん、だからお金を貯めとけ。松下幸之助が言うたんやで、わしやない。ダム式経営や。わしも若い時に読んだけど分からんかった。自分がBS経営をやるようになってようやく分かった。松下幸之助と私の共通項。松下幸之助は小学校四年まで、私は中学校二年まで。わしのほうが学歴が少し高い(会場爆笑)」

 

木村会長の大きな人間性は、最終的には世の中にすべてをお返しするという信念に立脚していました。

 

晩年には生まれ故郷の益田市、そして自分を育ててくれた大阪市に年間一千万円ずつを寄付しておられました。東日本大震災の時には一億一千万円を寄付したそうです。なぜこの金額かと問うと「イチローが一億円だったから」とニヤッとされました。

 

「人は幼少期は『テイク&テイク』――もらうばかりや。そして働くころになって『ギブ&テイク』となる。そしていずれは『ギブ&ギブ』になること。周りに与えて、与えて、与える。そうすると後ろからドーン! と大きなテイクがやってくる。これが分かったら、人生すごい」

 

「自分が年収一千万円取れるようになったら、次は一千万円払える社員を何人つくるか。それが経営者の勲章。一人一千万円の幹部を作る。五人作った時、あなたの給料は五千万円、十人作ったら自分は一億円になっている。その数の分だけ自分の給料は上がっている。いや上がらざるを得ない。こうなると仕事は面白い」

 

■ 会長に無限の感謝

 

会長は自分を慕ってくる塾生の面倒を本当に良く見ておられました。当社にも二度訪問してくれています。私が同友会などで報告する時も、お忙しい中をよく聴きに来てくれました。木村塾でも「やってみよう会」(我が人生を語る)、BS経営塾で登壇するチャンスを二度与えてもらいました。

 

私の書くものもほめてくださいました。会長の講義メモを熱心にとり、それをフェイスブックなどにアップすると「しびれるような文章」「完璧なレポート」といつも激賞。私が過去に記者経験があったのをお知りになると、こうおっしゃいました。

 

「そうか坂元さんは新聞記者やったんか。だから文章を書くのが上手いのか。話せる人間より書ける人間の方が上や」

 

「傾聴能力と文章力の高さに敬意を表します。すごく読みやすく絵が浮かんでくるようだと妻も言ってます。感謝です」

 

本当に自分の子供のように手放しでほめてくださります。だからもっともっと会長にほめてもらいたい。私の会長熱もさらに高まりました。

 

いろんなところでプレゼンテーションや経営報告の機会をいただくようになった私は、会長から教えてもらった言葉をいっぱい引用するようになりました。まさに請け売りです。このことを会長に言うと、こうおっしゃいました。

 

「あんたの耳から入って口から出たら、もうあんたの中を通ったことになる。あんたの言葉や。遠慮せんと話したらええ」

 

厳しさに同居する無限の優しさを感じました。

 

今月十日の昼頃でした。会長の訃報を知ったとき不思議な感覚に捉われました。会長が世を去ったのがその日の未明とのこと。ちょうどそのころ会長がお越しになったのを夢枕にはっきりと覚えています。

 

「坂元さーん、ひさしぶりやなー。元気にしてるか」と会長。

 

「わあ会長、お元気ですか。おかげさまで会社も私も順調です。自己資本も二億円を超えました」と夢の中で報告したのを鮮明に覚えています。会長が最後のお別れに来てくれたのでした。

 

これからの残りの人生、会長の教えをしっかりと受け継いで経営をしてまいります。
そして世の中に貢献してまいります。

 

木村会長、本当にありがとうございました。
おつかれさまでした。
安らかに。

 

二〇一八年七月二十五日           
坂元鋼材株式会社  代表取締役 坂元 正三

 

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