【念ずれば、花開く】
きょうは25日、給料袋のメッセージを書きました。
畏友・笠野晃一さんの大逆転経営ストーリーです。
笠野さんとのご縁に心から感謝しています。
[通算 174号]
■■■■■■■■■■
社員の皆さん、ご家族の皆さんへ
今月は私の友人の話をしてみます。
大阪で創業59年目になるアルミダイカスト工場を経営する笠野晃一さん(48)。なんと当社のことを研究し、ご自身の経営の参考にしてくださっています。面映ゆいですが、名誉なことです。
その笠野さんが経営で素晴らしい成果を挙げ、このほど一般財団法人日本プロスピーカー協会(JPSA)のプロスピーカー試験に合格しました。経営者として大きな節目です。
彼とは4年ほどのお付き合いですが、ここまでの道のりを振り返ります。
■ 悪戦苦闘の3代目
社員規模30人ほどの工場をお父様から引き継いだ笠野さんは長年の赤字経営にあえいでいました。過大な借金が重くのしかかり、銀行返済ができない状態(リスケジュール)。
「リスケとは実質的に破綻で、本来は死んでいるはず。世の中になくてもよいゾンビ企業」
そんな世間のレッテルが笠野さんを苦しめました。
会社を良くしたい一心で営業に打ち込みます。社長就任後5年で売り上げを3倍に伸ばしました。しかし赤字、やれどもやれども赤字。
そう、笠野さんの営業は「安売り」でした。社内は疲弊し、社員から笑顔が消えました。
「社長の取ってくる仕事は、したくないわ!」
そんな怒号が飛び交う日々。モチベーションの低下、社内不和、大小さまざまな問題の噴出。
30人ほどの会社に年間10人ほどが入り、10人ほどが辞めていきました。
■ 良質な情報との出会いは人生を根本から変えることがある
私が笠野さんに出会ったのは、そんなころでした。ある半年間の連続セミナーで同じ学習チームになり、毎月1回ご一緒しました。
そのご縁で笠野さんは私のFacebook記事の熱心な読者になりました。とくに、この給料袋のメッセージを毎月熟読してくれました。
同じ大阪、同じ金属加工の町工場、規模もそんなに変わらない。3代目という境遇も一致していました。そんな私がリーマンショック後の大赤字から会社を立て直したストーリーに関心を持ちました。
ある日、私がアチーブメントの単発セミナーに出席したところ、そこに笠野さんがいました。私はなんにもお誘いしていませんでしたから、驚きました。
聞くと、私がFacebookでアチーブメントによく言及していたからとのこと。
「ここに何かがある」との直感でした。本講座の受講をお勧めすると、即断即決。その翌月(2019年1月)から学び始められました。
アチーブメントは継続学習、少なくとも3年間の反復学習が求められます。会社経営はすぐには良くはならないからです。
笠野さんは順を追って受講しつづけ、講座のアシスタントにも何度も入り続けました。その熱心さは、この12年間にわたって相当打ち込んだと自負する私ですら舌を巻くほどでした。
この私への「追っかけ」も始まりました。私の講演があると、同じ話を何度も聴きに来られました。
2019年3月(大阪)を振り出しに、6月の明石、9月には島根県松江にも追っかけてこられました。同じ中身なのに何度も、遠方までも。この姿勢に脱帽でした。
■ 立道先生による数値面のアシスト
その松江の講演会からの帰路です。高速バスの車中で悩みを打ち明けられました。
経営が上手くいかない、赤字続き、社員がバタバタと辞める、人間関係が悪い、どうしてよいか分からない――。
まさに真剣な告白でした。
松江にまで私を追っかけてこられる背景はこれでした。何としても会社を良くしたいという、祈るような思いでした。
車中でお話を聴いて、当社の財務顧問である立道岳人先生(株式会社久遠経営)をご紹介しようと思い立ちました。
立道先生は都市銀行と会計事務所を経て独立された中小企業専門の経営コンサルタント。当社は2008年からお世話になっています。先生から決算書、とくにバランスシート(BS)の読み方、そしてキャッシュフロー(CF)を基礎から教えてもらいました。銀行交渉のやり方(お金の借り方)も。
当社がリーマンショック後の苦境を乗り切れたのは、まさに立道先生の懇切丁寧なご指導のたまものでした。
笠野さんも赤字続き、借り入れも相当ある、ならば立道先生の出番だ。そう直感しました。
数日後、二人で笠野さんを訪問しました。立道先生は笠野さんの決算書をざっと見て診断し、処方箋の概略をお伝えしました。
笠野さんはここでも即断即決でした。すぐに立道先生と顧問契約。BSとCFを学び、決算書から問題点を洗い出しました。
試算表を出すスピードも早めました。それまで月末の40日後に出ていた試算表が翌月10日には出るようになりました。ドンブリ(失礼!)だった数字を精査し、在庫の圧縮など無駄が省かれていきました。みるみる、利益が残りました。
立道先生の言葉です。
「笠野社長は売る力があるし、モノづくりへのこだわりもある。収支のバランスとお金の流れを改善できれば必ず良くなると思いました」
「収支バランスでは、管理できる費用と管理できない費用を区分し、管理できる費用だけをコントロールしました。お金の流れは、毎月お金が増えたか減ったかの確認、その要因の把握を徹底しました」
その結果、毎月の利益が着実に増え、財政状況は目覚ましく改善していきました。
「笠野社長は本当に素直です。分からないことは『分からない』と言います。絶対にそのままにしません、いいカッコをしません。質問の力がすごく、聞いたことは確実にノートにしたためられます。ノートをのぞくと何回も見返した跡があります。だから吸収力もとにかく速い。会社を良くするために、食らいつかれます」
■ 目覚ましい成果
そのような実践は財務だけではありませんでした。
専門分野(アルミ加工)の研究、新設備の導入、営業戦略の練り直し、採用の見直し、社員教育、人事評価制度の構築、就業規則の改定、完全週休2日制と、あらゆる分野に及びました。
笠野さんが頭抜けていたのは、まさにその実践力でした。
「いい話を聞いた」――。
それだけで事態が好転することはありませんから。
ご努力の結果、一時は1億円あった債務超過が見事に消えました。純資産がプラスに転じたのです。リスケは数年前にすでに脱しており、いよいよ純資産を積み上げる段階に進まれました。
「債務超過の解消には一生かかると思っていました。奇跡です」と笠野さんはしみじみ話されます。
「成功はホッケースティックの形をしている」といわれます。辛抱しても辛抱しても結果はすぐには出ない。しかしある時を境に成果のグラフがギュッと右上に伸び始める。すると、その勢いで突き抜ける。
笠野さんのBSがこれから右肩上がりで急上昇するのが目にみえます。
さらに人間関係をよくする様々な改革も実を結び始めました。人の問題が絶えない職場でしたが、直近1年半は正社員の離職がゼロです。
「夢のようです」
この笠野さんの言葉を聴いて、私が感無量です。
■ プロスピーカーとして
笠野さんはこのほどJPSAのベーシックプロスピーカー試験に合格しました。
「プロスピーカー」とはアチーブメントの学びをビジネスやプライベートの現場に生かして成果を作った、縁ある人を物心両面の幸せに導くことのできる真のリーダーのことです。
経営者ならば好業績、そして良好な人間関係の両立するクオリティカンパニーの実現が求められます。
何を言うかは大事です、しかし「誰」が言うか。
「人はセールスマンの言うことに耳を貸さない、しかし事実には目を向ける」という言葉があります。
だからプロスピーカーとは実績を問われる厳しい世界。しかも今だけでなくこれから先も成果を出し続けなければならない険しい道です。しかし、だからこそ守られる道でもあります。
私自身はアチーブメント受講8年目にプロスピーカー試験に合格しています。そこに至るまでの紆余曲折は社員の皆さんもご存知の通りです。
先代社長の急逝、我流経営で右往左往、リーマンショック後の大赤字、社内の混乱、辞めさせた社員からの慰謝料請求など、まさに問題山積でした。
しかし壁を一つ乗り越えるたびに、会社は少しずつ良くなりました。
そんな私と当社の奮闘の軌跡が、他社の経営者の見通しとなったこと。その証人が笠野さんです。ありがたい気持ちでいっぱいです。
■ 念ずれば花開く
笠野さんは筆マメで、ことあるたびに手書きのお礼ハガキをくれました。そのハガキに常に書かれている言葉が「念ずれば花開く」でした。まさに素直で愚直なご努力が開花されました。
彼がアチーブメントを学んで1年ほどしたころ、私にくれたメッセージです。
「人生は出会いで決まる、と言いますが本当に坂元さんと出会えたことを大切に思っています。これからも学んでいきます。ありがとうございます」
まさに感無量。これからも会社を磨き続け、社会にも貢献できる自分であり続けます。
2022年2月25日
坂元鋼材株式会社 代表取締役 坂元正三