【自分のカネと他人のカネ】
きょうは25日、給料袋のメッセージを書きました。
30歳の時に先代社長が急逝、40歳でリーマンショック、そしていままたコロナショックか?
何があってもビクともしない会社をつくりたい。そのコケの一念を綴りました。
[通算149号]
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社員の皆さん、ご家族の皆さんへ
いつも社業への貢献、ありがとうございます。
今年前半の景色をすっかり一変させてしまったコロナ禍ですが、ようやく当面の落ち着きを取り戻しそうです。しかし、この数カ月間の自粛により経済の急降下が危ぶまれます。「コロナショック」とも呼ばれる不景気がいままた世の中を襲うのではないかと戦々恐々です。
■ ほぼ10年ごとに来る不況
私は22年前(1998年)に大阪の実家に戻り、この会社に入りました。翌1999年に前社長だった父が他界。当時はバブル崩壊後の景気低迷が一つの極に達したような不況でした。鉄鋼業界でもいろんな会社が倒れ始めました。父不在、不景気、未経験。商売の何たるかもわからず、悪戦苦闘が始まりました。
しかし2002年に導入した設備投資(プラズマ)が当たり、2000年代中頃から中国特需を受けて景気も持ち直しました。そして業績が右肩上がりとなり6期連続の黒字を重ねます。
それにストップをかけたのが12年前(2008年)のリーマンショックでした。当社はその直前に新工場を建ててレーザーを導入、そのほとんどが借金でした。年間の売上高にも匹敵する3億7千万円の借り入れ。その状況で景気悪化。その余波から2009年度は売り上げが半減し、創業以来の大赤字になってしまいました。
先代社長を見送ってから10年間会社を必死に立て直したものの、またしても苦境。
「景気が良くても悪くてもビクともしない会社は、どうやったら作れるのか?」――。
そんな強烈な願望を抱きました。
■ 目的も目標もなかった私
その2009年、私が40歳で経営の勉強を始めたのが「なにわあきんど塾」という1年間の経営スクールでした。卒塾に向けて向う3年間の中期経営計画書を作ります。
父の後を継いでから10年、思えば私には目標がありませんでした。3年後の「売り上げ目標」を問われたとき、頭が真っ白になりました。
卒塾に間に合わせて形だけは仕上げた経営計画書。それに魂が入っていくのは41歳で出会ったアチーブメント、そして42歳で知った木村塾のおかげでした。
アチーブメントでは経営にも人生にも「目的」が必要なことを知りました。
何のために、誰のために、なぜ生きているのか、経営しているのか。
考え続ける中で、かつて私が大学生のころに父がつぶやいた言葉が思い浮かびました。
「こんな小さな会社でもな、社員の家族を入れたら五十人以上がメシを食っているんやぞ」
学生時代、私はこの言葉の重みを分かっていませんでした。しかし、経営を引き継いでから社員に子供が生まれるたびにこの言葉が思い出されました。社員は会社に家族の人生を乗せている。そうか、父はこのことを言っていたんだ。
その延長線上にある私の人生ビジョンが「82歳の時の百年企業」です。
当社は創業が1935年ですが、法人化は1952年。ならば2051年に第100期を迎える。永続発展する企業の象徴である百年企業をこの目で見届けよう、その大きな目的にたどり着きました。
■ 決算書の読み方が分からない
人生ビジョンを見つけたころに出会ったのが木村塾の木村勝男会長(1940-2018)でした。五十年にわたり30以上ものビジネスを手掛けられたご自身の体験、バブル崩壊後に背負った230億円という負債を解決したご経験から、全国の中小企業経営者に経営の極意を説かれていました。
木村会長から教えられたのが決算書のシンプルな読み方です。決算書にはBS(貸借対照表=バランスシート=会社の財産状況を記したもの)とPL(損益計算書=1年間の「儲けぐあい」を記したもの)がある。私はBSの読み方がサッパリわからなかった。
木村会長は「BSはカンタン」と、その見方をシンプルに教えてくれました。BSは左右に分かれて同じ金額が並んでいる。左側がカネの「使い途」、右側が「他人のカネ」と「自分のカネ」です。社内学習会などで私がよく使う、あのイラストを思い浮かべてください。カネをどこからどう引っ張ってきて、何に使っているのか。だから左右の金額がバランスする。
PL(プロフィット=利益 & ロス=損失)は一年間の活動の成績表、その年いくら儲かったか、いくら損したか。一方でBSは創業以来の歴史が積み重なったもの。そしてBSでもっとも大切なのは右下の「自己資本」。つまり自分のカネ(返さなくていいカネ)。これを貯めれば貯めるほどつぶれにくい会社になる。つまり「ビクともしない」会社になる。
「決算書を良くすることとは自己資本を貯めること。いい会社はBSを意識した経営をしており、自己資本が厚い」と力説されました。
PLとBSはつながっている。PLで稼いだ利益は、最後の「税引き後利益」だけがBSに行って自己資本として蓄積される。だから「自分のカネ」を貯めるには税金(法人税)をしっかり払うこと。
木村会長はこのことをユーモラスに表現しました。
「PLとBSの間には川が流れとる。名前を『税金川』という。税金川を渡ったお金だけがBSに行ける」
そして大事なのが自己資本を社員数で割った「社員人1当たり」というモノサシでした。なぜ「1人当たり」か?
それは、社員が多ければ貯えも多くなくてはならないから、です。
■ BSから見えた経営目標
「中小企業はまず社員1人当たり1000万円の自己資本を持て。経営していると何が起こるかわからへん。地震や津波、リーマンショックみたいなんが来よる。そんなとき仮に売り上げがゼロになったとしても、返さんでええカネが1人当たり1000万円あったら2年間は社員に給料を払い続けれる。その間に会社を立て直したらええ」
木村会長の言葉を聞いて、私は自分が後を継いでからの10冊の決算書を並べてエクセルに入力しました。すると、かつてリーマンショック前には1人当たり1000万円あったものが、大赤字で大きく減らしていたのです。そのときの自己資本が約5000万円で社員13人でしたから、一人当たり400万円を割り込んでいました。この心細い数字を見て震えました。もう一回リーマンショックみたいなのが来たら危ない。
目的はこの会社で安心して働いてもらうこと。そうすると、この数字を1000万円に回復させることが急務でした。
そのとき初めて経営計画書に魂が入りました。1人当たり1000万円の自己資本の回復。そのために必要な「税引き後利益」を考え、そこから逆算すると「売り上げ目標」が出てきました。そのために必要な営業目標や行動指針が導き出されます。それを実行した結果、2014年度には1人当たり1000万円を回復しました(社員13人で1億3000万円)。
■ 世間が25%減、うちも25%減
さて、このほど2019年度(2020年3月期=第68期)の決算を締めました
昨年は国際情勢の変調(アメリカと中国の貿易摩擦など)を受けて、日本の製造業全般が振るいませんでした。毎月の売り上げが不安定になり、夏には数年ぶりの単月赤字、そして下半期はかなり苦戦しました。結果、減収減益(利益は前年度の半分以下)となってしまいました。
面白かったのが、業界紙に出ていた数字です。今年2月の鋼板流通量が前年同月比で25%減という数字を見ました。当月の当社の売上高もキレイに25%減。この数字の一致に驚きました。
「経営安全率」という指標があります。「売上高が何%下がったら赤字」というものです。この数年来の当社は25%でした。売り上げが25%下がってトントン、それ以上下がると赤字です。ざっくりと月商4000万円が3000万円水準になりましたから、足もとの業績はトントンになってしまいました。
「安全率」という言葉をひしひしと実感します。
この数年の好業績は、やっぱり世間の景気に支えられていました。過去の実績に安住することなく営業力の強化にまた力を入れねば、そう誓いなおしました。
■ 自分のカネ7割
足もとのPLはトントンになってしまった。今後さらにコロナの余波に身構えます。しかし、「景気が良くても悪くてもビクともしない会社」という10年前に抱いた強烈な願望。そこには徐々に近づいています。
10年前のリーマンショック後に5000万円だった自己資本は、約3億円(1人当たり2000万円)になりました。自己資本比率はリーマンショック後に10%まで落ち込んでいましたが(自分のカネ1割、他人のカネ9割)、今回の決算では70%にまで伸びました(自分のカネ7割、他人のカネ3割)。
10年前に最大で3億7千万円あった借金は、5千万円にまで減りました。手持ち現金の範囲内で、実質無借金です。「他人のカネ」がぐっと少なくなりました。
■ 間に合ったコロナ
木村会長の言葉です。
「学校の通信簿は何のためや? ええ大学に入るため、ええ会社に入るため。経営者にも通信簿がある。それが決算書や。それは世の中が見ている、中でも一番見ているんが銀行や。BSが良くなると銀行が味方になる。銀行は貸すところがなくて困っとる。銀行をバックにつけろ!」
「立ちはだかる壁の高さを決めるのが自分の器や。壁は分子、器は分母。器が大きかったら壁は小さくなる。自己資本という大きな分母を持て!」
木村会長のこのような言葉を浴び続けながら、BS目標を立てて決算書を良くすることに全力を尽くしました。2011年からの6年間、私は毎月2回ほど会長のところに通いました。年間20回としても100回以上は木村会長の声に触れ続けたことになります。
木村塾は2016年12月に閉幕。会長は静養生活に入られ、そして2018年7月にご逝去されました。いままた「コロナショック」が来るとささやかれており、あらためて木村会長の言葉に迫真性を感じます。
「会長、今度は『コロナ』ってのがやってきました。でも立ち向かう力は会長から十分に授けていただきました」――。そう報告したい気持ちでいっぱいです。
コロナの前にリーマンショックがあってよかった。あそこで気づいて軌道修正できた。コロナまでに10年間の準備期間をいただけた。
これからも景気の波は確実にやってきます。だからこそ自己資本を貯めて、何があってもビクともしない会社にし続けます。
「30年後」の百年企業と言ってもすぐに来ます。今年入社したA君とB君が50歳くらいのとき、いまの私の年齢です。企業としても通過点です。永続発展し続ける会社をみんなでつくりあげ、そして社会に貢献し続けてまいりましょう。
今月も長文をお読みいただき、ありがとうございました。
2020年5月25日
坂元鋼材株式会社 代表取締役 坂元正三
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