【考えたように生きる】
きょうは25日、給料袋のメッセージを書きました。
10年後、20年後にありたい姿を描き、そこから現在までのギャップを考えました。
[通算181号]
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社員の皆さん、ご家族の皆さんへ
世の中は予測不可能な事態がいくつも生じています。
日本経済の超長期の停滞はもとより、大幅な円安、そして物価高です。
私たちのあつかう鉄鋼相場は史上最高水準を更新中です。まさに異常事態。
海外を見ると中国経済の成長鈍化(ゼロコロナ政策による停滞)、
ロシア・ウクライナ情勢もそうです。
さらにはコロナによる働き方・行動様式の変化は数年前には思いもよりませんでした。
天変地異(地震、津波、台風など)も10年スパンでは絶対に覚悟が必要です。
何が起こるか分からないからこそ、
何が起こっても変化に対応できるように思考を鍛えておく必要性を感じます。
■ 10年後、20年スパンで考える
先日の社内学習会では「10年後のビジョン」をテーマにして
将来の会社のありたい姿を話し合いました。
同時に「10年後の自分自身や家族のイメージ」を考えてもらいました。
10年後、皆さんは何歳になっていて、
ご家族(親、きょうだい、配偶者、子供など)は何歳ですか?
どんな状況が想像できますか?
どんな人生にしたいですか?
10年後だけでなく「20年後」を考えてみるのも面白いものです。
20代は40代に、30代は50代に、50代は70代に、60代は80代です。
20年と言っても案外すぐの未来です。それは過去の20年を考えると分かります。
まさに矢の如く過ぎ去っていったと実感します。
この20年スパンで物事を考えると私には大きな反省、そして感慨があります。
この20年(と少し)は、私が経営者として会社の3代目を担った期間とほぼ重なります。
■ 過去23年間を振り返って
父の急逝を受けて私が3代目社長になったのが1999年でした。
それからリーマンショック後の大赤字(2009年)までの約10年は、
行き当たりばったりでした。
将来ビジョンなどなく事業計画もない。
早朝から深夜まで、目先の仕事に忙殺されるだけでした。
その結果、景気の良いときは業績も良いが、不景気になると途端に苦しくなる。
まさに「景気まかせ」の経営でした。
リーマンショック、そして鋼材相場の暴落を受けて2009年度は過去最悪の大赤字。
まさに我流経営、目先経営の限界でした。
しかし、この逆境を背景にさまざまな改革に乗り出せたのが幸運でした。
2010年―2022年の13年間とは、危機感によって目覚めた私が経営を学び、
試行錯誤しながら会社に取り入れていった年月です。
目的目標を定めて会社を改革し続けました。
このリーマンショックを境とした前半10年と後半13年、
当社はまるで別の会社のようになったと言えるでしょう。
2000年(31歳) 自己資本額5000万円 (自己資本率30%)
2010年(41歳) 自己資本額5000万円 (自己資本率10%)
2022年(53歳) 自己資本額3億5000万円 (自己資本率65%)
「こうありたい」という未来を描いて目標設定し、
その通りに経営を進めると目標以上の結果になりました。
「考えたように生きなければならない、さもなければ生きたように考えてしまう」
(フランスの文学者・ブールジェ)
この言葉をなぞると2000-2009年までの前半10年間は「生きたように考え」た10年でした。
そうすると大した成果は生まれません。
リーマンショックから現在までの後半13年間は「考えたように生き」た13年と言えます。
成果はケタ違いです。
「どんな不況でもビクともしない会社を作る」という明確な目的、
そこに一貫性のある目標(自己資本額・自己資本率)を掲げて経営した結果、
目標達成したわけです。
「散歩のついでに富士山に登った人はいない」という言葉も重なります。
富士山の頂上に立った人は富士山に登ろうという明確な意思があった人だけです。
気がついたら富士山の山頂にいた、という人はいません。
■ 10年後を具体的にイメージする
これからの10年、そして20年です。
考えたように生きるために、考えてみます。
ぜひ社員の皆さんもお一人お一人、
自分の年齢に10ないし20の数字を足して、イメージしてみてください。
そして会社の将来ビジョンと重ね合わせてみてください。
ちなみに私自身の10年後は――
私63歳、妻57歳、長女21歳、長男16歳、母94歳、義父84歳です。
姉であり取締役の中上さんは68歳です。
この数字を眺めるだけでも、いろんなことがイメージできます。
私の父は62歳で他界していますから、その年齢を超えます。
あらためて健康に留意せねば、と気を引き締めます。
節制、節酒、運動の習慣ももっと強めねばならないと思います。
母や義父の10年後の年齢は、ともに平均寿命を超えています。
介護が現実のものだと想定します。
いざという時に備えねばなりません。
親孝行ももっともっとしておきたくなります。
事務所の大黒柱である中上さんが10年後に68歳ということは、
その後継がしっかりと育っていなければなりません。
10年、いや5年をタイムリミットとして育成の準備を急がねばと改めて思います。
■ 社内から「経営社員」を
そして20年後は――
私73歳、妻67歳、長女31歳、長男26歳、母104歳、義父94歳です。
この数字を眺めると、さらにいろんなことがイメージされます。
年齢的には社長を次世代に交代したいところです。
しかしオーナー企業として私の子供に次の社長のバトンを渡せるかどうか。
子供たちの年齢を考えると簡単でないように思えます。
その大前提として私の子供たちが会社を継ぎたいと思うかどうか。
そして「思った」としてもその能力が備わっているかどうか。
どちらも未知数です。
そのため、かねがねお伝えしているように「経営社員」を
社内から育成することが大きな目標です。
経営社員とは「経営が出来る社員」ということです。
実務が出来て、数字が読め、ビジョンがあり、
そしてチームを統率する人望を兼ね備えた人財。
すなわち「徳と才」のある人物を育てていくことです。
「事業をうまくやって50%、ちゃんと承継できて100%」
こうおっしゃったのは木村塾の故・木村勝男会長でした。
私はまだまだ50%に至る途上ですが、100%を目指した事前準備を
同時に始めねばなりません。
■ 万が一を考える
10年後、20年後を想定して経営計画・人生計画を進めていますが、人生には「まさか」があります。
考えたくはありませんが父のような重病、
そして事故による落命は可能性がゼロではありません。
後継者が決まっていない段階でオーナー社長である私に万が一があれば、
それが経営上の最大のリスクです。
日々の営業や工場運営は幹部社員の皆さんが先頭に立ち、
みんなで盤石に守ってくれていますから心配していません。
しかし1年、3年、5年、10年、30年スパンで経営が続くかどうかとなると、
後継者が育っていない段階では心もとない。
やはり後継者育成、後継可能な人材の育成が絶対に必要です。
急ぎ過ぎてはいけないけれども、ゆっくりしてもいられません。
「経営社員」を育てる必要性を痛感します。
■ 第2拠点を考える
本社のある九条だけの展開でよいか、どうか。
都心の地価高騰で拡張する適地がなかなか見つからない。
長年温めてきた第2拠点構想をさらに前に進めるべく候補地を探します。
九条だけで展開し続ける場合でも、どこかの段階で工場の建て替えが必要になります。
すでに築50年を経過した工場ですから。
いずれにしても10億円規模の設備投資がこれから予想されます。
■ 第100期を目指して
私がことし53歳です。
私の代でこの課題に決着をつけて、私は第100期(百年企業)を82歳で見届けること。
それは29年後です。
これが人生の目標です。
皆さんとともに良い会社にし続けて、必ず成し遂げます。
この大きなチャレンジが可能になったのも、過去13年間の経営改革で自己資本を積んだからです。
厚いBSがあれば、次の挑戦が可能になる。
自己資本が分母、チャレンジが分子。
器が分母、壁は分子。
器が大きくなれば、壁は相対的に小さくなる。
人生とは器を大きくし続ける旅です。
数々の壁は、その器を大きくするために必要な訓練です。
ありがたいことです。
30歳で3代目、40歳でリーマンショック、52歳のいまようやくスタートラインです。
ここから60歳、70歳、そして82歳まで自己資本を積み上げます。
器を拡張し続けます。
その旅にこれからもお付き合いください。
皆さんお一人お一人の10年、20年、30年ビジョンもぜひ聴かせてください。
今月も社業への貢献、ありがとうございました。
2022年7月25日
坂元鋼材株式会社 代表取締役 坂元正三