【人を残して人生を終える】
きょうは給料袋のメッセージを書きました。
どんな人生をまっとうしたいか?
そんな問いから考えてみました。
[通算182号]
■■■■■■■■■■
社員の皆さん、ご家族の皆さんへ
きょうは私の週末の風景から書いてみます。
平日はビジネス、そして経営者としての学びに没頭しています。
早朝の電車で会社に行き、帰りは21時から23時ごろ。
子供たちが起きている時間に帰ることは少ない。
だから週末は家族中心の生活です。
40歳を過ぎて子供に恵まれました。
長女11歳、長男6歳です。本当にかわいい。
親の趣味の影響から二人ともバイオリンとピアノをやっています。
3歳から始めた長女のバイオリンも達者になり、もう母親より立派です。
根気強く指導した妻に感謝です。
長男は私の散歩や山歩きによくついてきます。
生駒山に登っても、もう私のほうが後れを取ります。
彼の趣味は電車です。
先日の日曜日、朝はバイオリンのお稽古、
お姉ちゃんは昼からもバイオリンなので、午後は私と長男で電車めぐり。
生駒から近鉄で難波に出て、地下鉄に乗る。
これだけで大満足。
近鉄の鉄道グッズをゲットして、地下鉄中央線の新型車両に興奮。
そして夜は大好きな焼肉。
その長男が寝るときに一言。
「きょうは電車にいっぱい乗れたし、焼き肉も食べて、いい一日だったなあ」
寝顔を見ていて思います。
これからどんな人たちと、どんな壁を乗り越え、どんなことを成し遂げるのか。
自分の使命に気づいて、悔いのない一生を送ってほしい。
そう思います。
■ 悔いなき一生を送る
「充実した一日が幸せな眠りをもたらすように、充実した一生は幸福な死をもたらす」
という名言があります(レオナルド・ダ・ヴィンチ)。
いつか人生の幕を閉じるとき「本当によくやった」という人生は、
どのようなものでしょうか。
そのような、人生で成し遂げたいことが明確になったとして、
そこへ至る筋書き、設計図はあるでしょうか。
イメージが先、現象が後です。
設計図なしに建物を建てる人はいませんが、
これを人生にたとえると、どうでしょうか。
私は40歳でリーマンショックを経験し、当社は経営危機に陥りました。
そのタイミングで出会ったのがアチーブメントの青木仁志社長であり、
私は経営と人生を深く見つめ直す能力開発を始めました。
そこで人生の目的を問われました。
自分自身がいかに筋書きのない人生を送っていたか、
目先のことしか考えていなかったか。
行き当たりばったりの人生であり、経営でした。
まさに設計図なしに建物を建てていました。
学び進めてビジョンを描き、設計図をブラッシュアップし続けました。
いま、私は自分の人生を次のように捉えています。
■ 戦略的人生経営
19歳~29歳 学習の段階(種蒔き)
= 中国留学、新聞記者を経て3代目を継ぐまで
30歳~50歳 リーダーシップ形成の段階(種蒔き)
= 経営者としての試行錯誤、学習、実践
51歳~60歳 挑戦の段階(種蒔き)
= 実践、成長、限界突破、財務が強く人の育つ企業づくり
61歳~70歳 富の形成の段階(収穫)
= 後継者育成、立場の委譲
71歳~82歳 社会還元の段階(還元)
= 経営人生40~50年の経験を世に伝え、社会に貢献する
2051年(私82歳のとき)に会社は第100期を迎えます。
それが一つの人生目標です。
健康に留意して、健全に発展し続ける百年企業の姿を必ず見届けます。
82歳以降も長寿をいただくことが出来れば、
もちろんそれまでの人生の延長として社会還元を続けます。
私の人生理念は「恩送り」ですから。
■ 後継者育成こそが「第2象限」
このように10年後、20年後、30年後を想定して経営計画・人生計画を進めていますが、
人生には「まさか」があります。
考えたくはありませんが、62歳で倒れた父のような重病、
そして事故による落命は可能性がゼロではありません。
後継者が決まっていない段階でオーナー社長である私に万が一のことがあれば、
それは経営上の最大のリスクです。
日々の営業や工場運営は幹部社員の皆さんが先頭に立ち、
みんなが盤石に守ってくれていますから心配していません。
しかし1年、3年、5年、10年、20年、30年スパンで経営が続くかどうかとなると、
後継者が育っていない段階では心もとない。
後継者育成こそが、最大の「第2象限」(緊急ではないが重要なこと)です。
■ 社員は我が子も同然
冒頭、長女と長男の話をしました。
社員の皆さんも、ある意味で私の子供のように思っています。
取締役(姉)の中上さんを除いて、すべての社員は私が採用した社員です。
責任を感じます。
23年前に私が3代目を継いでから、数々の社員が入社しました。
当初、私の採用哲学はあいまいでした。
どう育成してよいのかもわからなかった。
定着率は悪く、入社初日に辞めたり、1カ月、数カ月だったことも。
5年ほど頑張って育てたものの、結局は辞めさせてしまうこともありました。
縁あってこの会社の門をくぐったのに、不幸な別れ方でした。
当時の私はあまりにも至らなかった。
40歳を過ぎて経営を真剣に学んだことが、ここでも効きました。
社内で採用チームを組んで面接を工夫し、
「教え合い」をキーワードとして全社一丸での育成に取り組みました。
その結果が過去8年間の離職ゼロ(来月で9年ゼロ)。
不満足な形での離職がなかったのは、本当に幸せなことです。
会社全体で「心の平安」を手にしたと言えるでしょう。
唯一の例外は、4年前に試用期間を越せなかった一人のみ。
たった4カ月だけだったとはいえ、さみしく残念でした。
育ててやることが出来なかった、もっと私に育成力・人間力があれば。そう後悔しています。
縁あって出会い、380万社以上もある日本企業の中から当社に来てくれた社員。
まさに我が子も同然、そんな気持ちです。
■ 育てる責任、育つ責任
社員の皆さんは会社に毎日出社して、働いてくれます。
それはまさに命の時間です。
二十歳ごろから定年まで40年以上。
人生で最も活力あるコアの時間です。
働くことは人生そのもの。
いずれは誰もがこの会社を去ります。
願わくば幸せな会社人生を全うしてほしい。
育てる責任、そして育つ責任です。
先ほどの「問い」を応用すれば、こうなります。
いずれ会社を去るときに「本当によくやった」と言い切れるのは、
どんな会社人生だったのか?
■ 経営者の勲章
この会社で職務遂行能力だけでなく、リーダーシップ能力、
問題解決能力、意思決定能力、さまざまな能力を磨いてほしい。
つまりはトータルな人間力を高めてほしい。それも若いうちから徹底的に。
「自分が年収1000万円取れるようになったら、
次は1000万円払える人を何人作るか、それが経営者の勲章」
こう語ったのは木村塾の故・木村勝男会長です。
この言葉をこの会社で実践するのが私の目標です。
年収1000万円が一つのバーだとすると、そこを超える人財を育てたい。
育ってほしい。
「経営者の能力の高い会社の給料は高い、経営者の能力の低い会社の給料は低い」
という言葉もあります。
私が経営者としての能力開発に没頭するのは、このためです。
■ 人を残して人生を終える
私がバランスシート(BS=貸借対照表)を重視した経営をしているのは、
みなさんご承知の通りです。
「子孫に美田を残さず」と言いますが自己資本は大事で、
私が最も大切にしている経営数字です。
何があってもつぶれない経営のために、自分のお金(内部留保)を高め続けます。
しかし、それ以上に人を残して人生をまっとうしたい。
カネを残すは三流、仕事を残すは二流、人を残すは一流。
(野村克也氏の座右の銘)
事業承継も最後は人材育成に尽きます。
自己資本が厚いのは経営にとって極めて重要な条件ですが、それだけで十分ではない。
人を育てて初めて承継が叶います。
この会社から徳と才を持った人物をたくさん輩出すること。
自分の子供たちを立派な人間に育て上げること。
ひとの役に立つ人材を生み出すこと。これに尽きます。
立派に育った子供たち、そして坂元鋼材で育った人物たちに囲まれてあの世へ行く、
それも82歳以降に。
それが私にとって「よくやった」と言い切れる人生です。
今月も社業への貢献、ありがとうございました。
2022年8月25日
坂元鋼材株式会社 代表取締役 坂元正三