【人材育成は恩送り】
きょうは25日。給料袋のメッセージを書きました。
社歴12年になる中堅幹部社員のことを中心に、当社の進めてきた企業改革を振り返りました。
[通算 185号]
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社員の皆さん、ご家族の皆さんへ
私は毎月1本の「メルマガ」を書いています。
ホームページを活用した営業戦略の一環です。
そこに「社員インタビュー」として大石君を取り上げました(10月・11月の2回連載)。
25歳で入社した彼も、いまや37歳で3児のパパ。
会社でも大車輪の大活躍です。
インタビュー記事から引用しながら、この12年間を振り返ってみます。
■ 会社の改革とともに歩いた12年
当社がリーマンショック後に大赤字を出したのが2009年度でした。
その翌年に大石君が入社しました。だから彼の社歴は改革期とそっくり重なります。
当初は大赤字の直後で業績が不安定でした。
採用活動も振るわず、社員の定着率も悪い。
離職にともなう社内の痛みも相応にありました。
そんな当社に大石君はひょっこりとやってきました。
25歳だった彼は「結婚を控えている。きちんと稼げる自分になる」と意欲満々でした。
別の業界から転職してきた彼に、製造業を選んだ理由を聞きました。
「自分を生かせる分野と思っていました。
体力には自信があり、がむしゃらに働くこともできる。
面接に来たら、前さん(現・工場長)に太ももを触られて合格しました。
冗談みたいですが、本当です。
ガタイがよくてガッツがありそうだ、そんなふうに自分を見てくれました」
■ 「ゲンバ男子」でマスコミに登場
順調に仕事を覚え、プライベートでは結婚も果たしました。
そんなころ、世間をにぎわすイベントが彼に注目しました。
「町工場のオトコマエを探せ!」――。
こんな合言葉で始まった「ゲンバ男子」プロジェクト。
大阪産業創造館が仕掛けた、町工場を活性化させる好企画でした。
プロジェクトが始まったのは2014年。
モノづくりの現場の魅力を世の中に伝えるのが狙いで、数々の町工場から多くの男前職人が登場しました。
その中でも大石君(当時29)の存在は際立っていました。
多くのテレビ番組に出ました。
NHK大阪、朝日放送、毎日放送、関西テレビ、讀賣テレビ、テレビ大阪、
さらに東京のフジテレビにも出演しました。
ほとんどが単独出演でしたから、たいした注目度でした。
「男前と言っていただきましたが、おこがましいと思っていました。
製造業は『3K』などと言われることもありますが、我々の仕事が社会を支えています。
町工場やモノづくりの業界のイメージを変える意義があります。
高校生や若い子に『製造業はカッコいい』と思ってもらいたい」
ゲンバ男子がにぎわっていた2014-2015年ごろは、
会社のさまざまな改革が奏功し、業績が急上昇し始めたころでした。
社内の人間関係も安定し、新卒採用も始まりました。
このころから打つ手がピタリと決まり始めました。
■ 営業は「答え合わせ」
大石君はゲンバ出身でありながら自ら志願して営業も回り始めました。
もともと前職で営業になじんでいたことも理由でした。
「お客さんの声を実際に聞きたい。
もと販売員だった血も騒ぎます。
『ここまでするなら坂元鋼材で買わなしゃあない』――。
そう思ってもらえるくらい信頼感を深めたい」
「現場では鋼材をいかにキレイに切るかを追求しています。
難しい仕事にも挑戦します。
そんな自分たちのこだわりが伝わっているだろうか。
現場でやっていることが正解なのかどうか、お客さんに聞くことはその答え合わせです」
「大事にしているのは顧客目線で、それは短納期と高品質に尽きます。
特にスピードは大事です。
キレイなだけでなく、早く仕上げたい。
時間をかけて良い結果を出すのは当たり前で、スピードアップして同じ良い結果を出すこと。それは自分との闘いです」
「子供が生まれてから、より強く思うようになりました。
『お父さん何しているの?』 ――。
そう子供に聞かれたとき、力を抜いて適当にしている自分を子供に見せたくなかった。
昨日より今日、今日より明日。どこかで自分で自分に鞭打つ。そうしないとアカンと思っています」
■ 良き伝統を守る
大石君の入った2010年ごろは、年配のベテラン社員さんが何人かいらっしゃった時代でした。
世代交代が進む直前でした。
「坂元鋼材に40年以上勤められたベテランの先輩がガス溶断の師匠でした。
昭和の古き良き『もったいない精神』を体現していました。
機械を自分で修理したり、部品を自作したり、とても器用でした。
修理できない機械は部品だけを取り出し、別の修理に活かしました。
そうして古い機械に新しい生命が吹き込まれます。
お古を治すと、機械の構造が理解できます。
機械への愛着もわきます。
いま使っているポータブル機は1985年5月の製造。自分と同い年です」
「新入社員が入っても、新品を追加で買いません。
倉庫に眠っている古いものを蘇生させています。
『機械を大事にしようね』という前さん(工場長)の考えです。
これがベテランさんから続く伝統です」
■ 技術を磨く
一連の社内改革で進めてきたのが「複数業務」をこなすことのできる多能工化です。
大石君もさまざまな業務を横断するスキルを身に着けました。
「いまはアイトレーサー(ガス溶断)をベテランの吉山さんから教わっています。
吉山さんは1から10まで教えるのではなく、ある程度のところから自由にさせます。
そして一段落すると改善のためのフィードバックをくれます」
「そして、私の切り方からも何かを得ようと研究されます。
私のような者の仕事からも『吸収できるところはないか』と探究されます。
あれほどのベテランが、です。その向上心、謙虚なお姿に感動します」
「私が先輩として後輩を指導するときには『記憶より記録』を心がけています。
マニュアルを作り、文字や数字に残しています。
プラズマ加工機を例に挙げると、消耗品の管理が非常に重要です。
消耗品の減り具合が品質を決定し、粗利にも直結するからです。
マニュアルにすることで、記憶でなく記録として残せます。
『マニュアルは土台。自分でアップデートしてほしい』――。
そう後輩に伝えています」
■ 先輩から受けた恩を、後輩に送る
多能工化を進めるのに不可欠だったのが「教え合い」「学び合い」でした。
その極意を、こう語っています。
「私がガス溶断を学んだ2人の先輩は惜しみなく技術を教えてくれました。
この良き伝統をつないでいくことが私たち世代の責任です。
だからNCガス溶断機を新たに学び始めたとき
『いずれ人に教えることになる』と思って習得しました。
すると自分の知識と技術が整理されて、より理解も深まりました」
これは有名な「エドガー・デールの学習法則」で説明できます。
学習を効果的に進める方法が明らかにされています。
読む ―― 10%
聞く ―― 20%
見る ―― 30%
見て聞く ―― 50%
議論する ―― 70%
教える ―― 90%
こうして学んだことが記憶に定着してゆきます。
大石君はこのロジックを使って、次のように述べました。
「会社の方針である教え合いは、学習上の効果があるだけでなく、恩送りでもあります」
先輩社員から受けたさまざまな恩に感謝し、それを次世代に送る。
それを職場で実践し続ける。これが強い現場の秘訣です。
■ 職業観、人生観
インタビューの終わりに、懐かしい「ゲンバ男子」のことを振り返ってもらいました。
「当時はまだ子供が赤ん坊でした。
いま大きくなって当時の録画DVDを見せると『パパ、パパ』と喜んでくれました。
子供にいい後ろ姿を見せれる職業人であり続けたいと思います」
見事な職業観であり、人生観だと思います。
そんな大石君が入社した2010年ごろの社内勉強会で、
「30年後の坂元鋼材」を話し合ったことがありました。
当時は社長である私に子供がまだおらず、
オーナー企業として次期社長を誰にゆだねるか、まったく未知数だった頃でした。
入社間もない25歳の大石君に向かって
「30年後は大石君も55歳か。ひょっとしたら社長をやっているかもしれへんな」
と、なにげなく言ったことがありました。
そのことを大石君も覚えていました。
企業にとって事業承継は経営の最重要課題と言っても過言ではありません。
とくにオーナー企業にとっては、なおのこと大きな課題です。
その後、私は2人の子供を授かりましたが、
果たして継ぐかどうか、継げるかどうかは別問題です。
私の身に何があっても会社が盤石であること。
それには「幹部」が育ち切っていることが条件です。
12年の社歴を重ねて彼が、そして彼を取り巻く人財たちが
しっかりと成長を続けてくれていることが、何よりもうれしいことです。
社員の皆さまの日々の取り組みに心から感謝しています。
今月も、ありがとうございました。
2022年11月25日
坂元鋼材株式会社 代表取締役 坂元正三