生粋の職人・橋本さん、ありがとうございました。[給料袋メッセージ 34]

生粋の溶断職人である橋本さんが退職されました。

私が駆け出しの経営者だった時代から、橋本さんには本当に助けられました。

そして、仕事の何たるかを身をもって教えていただきました。

本当に、ありがとうございました。

 

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社員の皆さんへ

橋本さんがご退職されました。2000年3月の入社ですから、12年5カ月の在職でした。

定年後も継続してきていただく予定でしたが、残念ながら体調不良で今回の退職となりました。

 

橋本さんが来られた2000年3月とは、その前年7月に私の父である先代社長が亡くなってまだ8カ月。

世間は金融不安と不景気で、我が社も悪戦苦闘していました。

 

一年生社長だった私は経営のなんたるかもわからず、ただ目の前の仕事をこなすので精いっぱい。

仕事量は低調で値段も安く、鉄鋼相場もどんどんと下がり続けていました。
そんな頃、橋本さんが面接に来られました。

開口一番「型切り(トレーサー)がしたい」と仰いました。

 

翌日からあのトレードマークである青のつなぎ姿で出社されました。

橋本さんにトレーサーを使ってもらうと、まるで水を得た魚のように見事な仕事をされます。

 

正確、丁寧、迅速。

こまめに水を掛けながら切断したり、

小さな端板を使うときには端を溶接して動かないようにしたり、

番線で吹かした穴はきれいにサンダー掛けして火口の入りを良くしたり(火の跳ね返り防止)、

対角が狂わないように独自の切り方をされたりと、

職人技を次々に繰り出されました。

 

まさに「溶断の巨匠」です。

私はその橋本さんの仕事ぶりを見て子供のように目を輝かせました。

橋本さんはよく「横着から火が出る」と仰り、ひと手間ふた手間を惜しまず常に丁寧な仕事をされました。

なぜかと聞きました。

すると、

「次に使う人が使いやすいから」

と言われました。

 

なるほど。

溶断品は中間製品(半製品)であって最終製品ではない。
次に使う人(加工する人)が必ずいる。

その見知らぬ次の人のためを考えて、より正確な寸法、より少ない歪、よりキレイな切断面を追求されました。

 

この「次に使う人・・・」の文言は会社のパンフレットにも載せ、我が社の対外的な宣伝文句にしました。

 

のちの話ですが、私が同友会で経営理念を作ったとき

「鉄を通じて社会を支える」

「最高の仕事のために」

「顧客の信頼」

という文句が出てきたのは、橋本さんの姿勢を見て思い浮かんだからです。

 

そんな橋本さんの仕事ですから、お客さんが喜ばないはずがありません。

徐々に評判を呼び

「橋本さんが切るから坂元鋼材に仕事を出す」

というお客さんまで現れ始めました。

ところがそのころ、事件がありました。

安値競争が横行していた時代です。

 

当時我が社の売上の2割を占める最大顧客だったA社に対して、

当社と同業のBシヤリングが極端な安値で売り込んだのでした。

それもBシヤリングは自社で切らずに小さな鎔断屋(C製作所)を安値で買いたたいて仕事をさせ、

そしてA社に転売しました。

(C製作所がどれほどの安値で仕事をしていたかは、想像を絶する話です。)

 

ある日、A社のトラックが積んできたC製作所の切った品物を見ました。

私はいまいましい思いで見ました。

しかし!

その切り方の悪さときたら・・・。

 

切断面は荒く、色は真っ黒。

私が他社の熔断品をじっくりと見たのは、その時が実は初めてでした。

 

そして、尾和田さんの丸切りを筆頭に、荒川さんのNC、橋本さんの型切りなど、

当社の製品がどれほど高品質であるかを思い知りました。

差は歴然でした。

 

橋本さんはBシヤリングの商品(C製作所の切断品)を見て、私に言いました。

「社長、大丈夫ですわ。これなら怖くありません。お客さんはいずれ帰ってきますわ」

 

橋本さんの予言どおりでした。

A社はその後しばらくはBシヤリングから買い続けましたが、やがて大半は我が社に戻ってきてくれました。

 

この経験から「品質の大切さ」を私は学びました。

それがいまの我が社の方針に至ったわけです。

橋本さんのことを考えると「人の縁」というものを思います。

 

橋本さんはそれまで高城鋼材さんに勤められていました。

その時に私の父(先代社長)と懇意だったと後で知りました。

当時は我が社も熔断品を他社に外注するほど忙しく、高城鋼材さんにもお願いしていました。

だから父は橋本さんの仕事ぶりを良く知っていて、惚れていたのです。

 

高城鋼材さんの廃業は偶然ですが、

自分がいなくなって困っている私のために父が橋本さんを呼んでくれたように思えてなりません。

橋本さんが我が社でご活躍されている姿を、父に一目見てもらいたかった。

橋本さんは入社半年ほどして

「よく知っている若者がいる。紹介したい」

と一人の青年を連れて来ました。それが前和彦君です。

 

彼のその後の大活躍を考えると、ますます人の縁の不思議さを思います。

昨年の佐々木さん、そして吉山さんと続く縁もそうです。

私は本当に人に恵まれた幸せ者です。素晴らしい社員に助けられた13年間です。

橋本さんと言えば技術だけではありません。

朝早く出社され、自主的に機械の清掃を始められたことにも驚かされました。

機械だけでなくトイレまですすんで掃除されました。

 

その高潔なご姿勢に頭が下がりました。

それが今の坂元鋼材の、社員が助け合って仕事をする良き社風になっています。

橋本さんはお辞めになっても、社員が協力しあう良き文化は会社に根づき、これからも生き続けます。

 

橋本さんが12年間に渡って我が社にもたらしてくれた功績、価値は計り知れません。

心から感謝いたします。

本当に、ありがとうございました。おつかれさまでした。

2012年8月24日

坂元鋼材株式会社 代表取締役 坂元正三