創業と事業承継の背景を考える [給料袋メッセージ 207]

【創業と事業承継の背景を考える】

 

 

きょう書いた給料袋メッセージです。

27年後の百年企業に向かって、成長の角度を上げていきます。

[通算 207号]

 

 

 

 
 

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社員の皆さん、ご家族の皆さんへ

 

この4月から新年度(第73期)がスタートしました。

私が3代目を継いだのが1999年(第48期)でした。

それから25年目になります。

 

当時30歳だった私は40歳までの10年間、我流経営で会社を迷走させます。

仕事には一生懸命に打ち込んだものの、周りが見えていませんでした。

 

経営の何たるかも、商売の何たるかも、まったく分からず。

まさに無免許運転で大事故寸前でした。

 

目が醒めたのが2009年の大赤字(リーマンショック翌年)。

そこから経営者としての学びを始め、経営改革に本腰を入れました。

それから15年になります。

 

学んだことを社内に落とし込むと、会社は少しずつ良くなってきました。

 

14期連続の黒字で財務が立ち直り、社員が結束する職場をようやく手にしました。

まさに黄金の15年間でした。

 

■ 改革の第2幕

 

しかし、整えるべきこと・解決すべき課題はまだまだ山のようにあります。

人のこと、現場のこと、組織のこと、さまざまな仕組みのこと。

ようやく真の成長のスタートラインに立ったに過ぎません。

 

今年からは経営改革「第2幕」と位置づけています。

27年後の第100期(百年企業)に向かって会社をさらに発展させるための

「有形無形」の両面で取り組みます。

 

まず「目に見えるもの」としての新工場計画です。

 

昨年、縁あって隣地2カ所を購入しました。

今期は新工場を作り、最新鋭のレーザー加工機を導入します。

2カ所の土地・2カ所の建物・新設備の合計で6億円となる

当社では過去最大のプロジェクトです。

 

そして「目に見えないもの」としては、年初から取り組んでいる

「コーポレート・スタンダードブック」作りです。

 

経営理念を刷新し、ビジョンを更に鮮明にします。

大切にしたい考え(フィロソフィ)を整理し、経営方針を明確にします。

すでに途中経過をお伝えしている通りで、6月の完成を目指しています。

 

 

 

5月22日(水) アチーブメント特別セミナー(大阪市中央区)

 

 

■ 5年ぶりの全社研修

 

そのちょうど良いタイミングで、

今月3日にはアチーブメントの嶌村武男トレーナーによる

全社研修を実施しました。コロナによる4年間の空白を経てのものでした。

 

「個の能力を伸ばし、チームとしての力を最大化する」。

それが研修の目的です。

社員が心を一つにし、思考を研ぎ澄ます貴重な時間となりましたこと、感謝ばかりです。

 

「目に見えないものが、目に見えるものを作る」と言われます。

だからこそ目に見えない価値観・考え方を鍛える必要があります。

平日の操業を止めて(休業日にして)頭に汗をかく理由は、ここです。

 

研修では私が想いを語るセッションを作ってもらいました。

経営者としての25年の歴史を振り返りました。

過去への感謝、現在への反省、そして未来への決意を語らせていただきました。

 

その話の原版をスタンダードブックに掲載します。

「創業と事業承継の背景」という章です。

 

当社の創業・戦争での中断・戦後の再開・

2代目の父の想い・3代目の私の経験からつかんだ確信。

それらを文字にしました。

 

新しい第73期の始まりに当たって、

皆さんとともに振り返ってみます。

ここに当社の原点があります。

 

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【創業と事業承継の背景】

 

■ 裸一貫からのスタート

 

阪神間の重工業が発展した戦前・戦中から、大阪・九条は鉄鋼業の中心地でした。

当社の歩みは九条の歴史とともにあります。

 

昭和10年(1935年)、兵庫県の農村から出てきた

一組の夫婦(坂元正二・はる)が九条の町で鉄の商売を始めました。

わずかなお金を元手に始めた商売は「坂元商店」と号しました。

その小さな店が当社の源流です。

 

昭和17年(1942年)、当主・正二の出征により一時閉店して帰郷。

そして終戦後の昭和24年(1949年)、

焼け野原の大阪に戻って商売を再開、裸一貫からの出直しでした。

 

細々とした商いを粘り強く続け、土地を買い増し、

工場を少しずつ建て増しました。

 

昭和35年(1960年)、同郷から婿養子の良三を迎えます。

一家が団結し、商売を徐々に確かなものにしていきます。

高度経済成長の波に乗って社業は順調に発展しました。

 

■ 石油ショックの苦境、乗り越えた2代目

 

ところが昭和47年(1972年)、石油ショックによる大不況の時に最大の得意先が倒産、巨額の不渡り手形により大きな経営危機に見舞われます。

そのタイミングで良三が2代目社長に交代しました。持ち前の真面目さ、慎重さ、そして夜に日を継ぐ徹底的な働きぶりで経営を立て直します。

 

成長軌道に戻った日本経済は、やがてバブル景気に沸きました。しかし慎重な良三は大きな拡大は望まず、堅実経営を心がけました。

ところがバブル崩壊により鉄鋼業界も大打撃を受けます。

1990年代後半は苦しい経営状態に再び陥ります。

 

「昔は余裕しゃくしゃくの経営やったのに」――。

そう苦衷をのぞかせたタイミングで良三に重病が発覚します。

 

■ 現役社長の急逝、経営危機

 

1998年夏、そのとき勤めていた時事通信社を辞して

家業に入ったのが現社長(正三)です。

若き日に一旦は新聞記者を志したものの、

自らを育ててくれたすべての原点が会社だったと気づいたからです。

 

治療の甲斐なく良三は翌年に他界。

「先代の不在・不景気・未経験」という3重苦のなか、3代目の船出でした。

 

そこへ数々の試練が降りかかります。

大手金融機関が破綻する戦後最大の不況、得意先の相次ぐ倒産、厳しい価格競争。

先代を慕う社員さんの助けを得ながらも、

坂元鋼材という小舟は時代の波に翻弄され続けました。

 

決定打となったのが2008年のリーマンショックです。仕事の半減、

鉄鋼相場の暴落による巨額の評価損、その結果として大幅な赤字を計上。

経営は危機的状況に陥りました。

 

■ 経営改革、そして永続企業へ

 

鉄鋼業界は景気の波に大きく左右される。しかし会社には多くの社員が命を懸けている。

「景気に左右されない強い会社になりたい」

 

そんな燃えるような願望のもとに不思議な「引き寄せ」が起こります。

 

40歳を過ぎて遅まきながら経営を学び始めた正三は、

幾人もの恩師・恩人に出会います。

それは極めて大きな幸運でした。

まさに人生は出会いで決まります。

 

経営改革に乗り出し、学んだことを会社に取り入れ、社内の一致団結に努めます。

試行錯誤の結果、毎年連続して過去最高益を重ねます。

人心も落ち着き、ようやく安定した組織となりました。

 

「こんな小さな会社でも、社員の家族を入れたら五十人が飯を食っている」

それが2代目・良三の残した言葉でした。

 

多くの社員が力を合わせて一致団結することにより、企業経営は成り立ちます。

1人ではできないことを成し遂げるために組織があります。

 

当社の90年近い歴史を振り返ると、

日本経済の浮沈とともに数々の試練に見舞われたことが分かります。

しかし危機を乗り越えるたびに会社は鍛えられました。

 

「どんな不況にもビクともしない強い経営」

「人の育つ良い会社」

 

それが目指すべき経営ビジョンです。

そして「永続」という社是は、このような当社の長い歴史から生まれました。

 

日本に360万社以上ある企業の中から縁あって

当社に集ってくれた社員一人ひとりに感謝し、

その家族の生活のよりどころとなり続けます。

 

職業を通じて成長し、生きがいを感じられる会社人生を一人ひとりが実現すること。

人が育つことなしに会社の発展はあり得ません。

 

社員とともに力を合わせ、2051年の第100期(百年企業)を一つの目標に

「100年後も存在を許される価値ある永続企業」を目指します。

 

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3代目となって25年目の節目で作るコーポレートスタンダードにご期待ください。

この基準(スタンダード)に沿って、もっともっとよい会社にし続けます。

 

2024年4月25日

坂元鋼材株式会社 代表取締役 坂元正三

 

 

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[勉強会のご案内]

 

5月14日(火) ​JPSA福島支部・定例会(福島県郡山市)

 

5月22日(水) アチーブメント特別セミナー(大阪市中央区)

 

ご都合よろしければ、ぜひお越しください。